2019年12月23日月曜日

寺子屋教育でも理解できる・憲法改正反対論者は真理を愛していないーその3


 前二回の続きである今回は、「憲法九条」に多少とも関係があることについて子供の時からの記憶につて書いてみたい。
 僕が成人になるまでの家庭は貧乏だった。生まれた時が最も貧しく高校を卒業する頃までに徐々に貧乏の程度がましになっていった。貧乏だったのは基本的には父親が家庭に給料を一部しか入れなかったからだ。他人や体制のせいではなかった。その父親は大阪市役所の正規の職員(主に区役所)だった。
 父親は兄と僕に「他人とは政治と宗教の話はするな」という忠告を何度かしたことがあった。人間関係が悪くなった体験が父親にはあったのだろう。僕は、そのことは当時理解していた。そういう父親は、「社会党は嫌い」と言っていた。貧乏人の立場の父親からは、自民党は貧乏者の敵としても(今の僕は必ずしもそうだとは全然思っていない)、社会党は味方の振りをするが実は敵のように見えたらしい。つまり、公務員職組のやっていることを身近で知ってしまうと、自分たち組合幹部の権益を守ることが最重要だということがバレてしまっているのだ。
 僕自身は小学校の高学年には政治のことを新聞などで知るようになっていた。外国については、「ソ連」は不可侵条約を破って、かつ、戦後は北方領土を占領して、時々日本の漁業操業者を拿捕・拘留するので腹が立った。韓国が李承晩ラインを恣意的に設定して、しばしば日本の漁業操業者を拿捕・拘留することも腹が立った。「米国」への反感はあまりなかったが、原爆投下やあちこちの都市で大空襲して、当時から立派な国際法違反と認定されていた「住民の無差別殺戮を」したことは許せなかった。しかし、時の日本政府が戦争を早期に終結して、国民の生命を守らなかったことの方が許せなかった。戦後の米国は太平洋での核実験で、第五福竜丸の漁業操業者に放射線被爆を与えたことも腹が立ったが、韓国の李承晩ラインほどは腹が立ったわけではなかった。
 国内では、自民党は嫌いだった。その理由のひとつには、大手新聞一般の反自民党論調に情報操作されていたと思う。しかし、自民党の政治家には悪相の人が多かったのが、新聞の論調をより信じるようになった根拠の一つだと思う。それと、自民党の政治家はしばしば放言をしたり態度が横柄のように見えた。「人相が悪い」ことや「横柄」なことは人間性に問題があることを確率的に示していると、今でもそのように思う。しかし、「放言」については現在は違う解釈をしている。「放言」の多くは真実に近いことを言っている。むしろ「奇麗ごと」しか言わない連中は「嘘つき」や「真実よりも出世」という場合が多いと知るようになった。最近でも、懲りもせずに、放言で大臣職を放棄せざるを得ない政治家が多いが、「発言内容は真実を語っていることが多い」と思うが、TPOの学習が少ない、そしてリスク管理ができていない政治家だと思う。辞任は仕方がないという面があるとしても、その類の発言くらいで大臣に辞職せよと迫る、現代の日本のポピュリズム的な世相の方に大きい誤りがあると思われる。

 そして、いよいよ憲法九条のことだが、小学校高学年や中学生までに習得した日本語の素養でもってその条文を読んだ時に、「自衛隊は違憲に決まっているじゃあないか」と普通に判断できた。その頃、多くの野党は自衛隊を違憲として政権与党である自民党を攻めまくっていたが、自民党は「条文の語句の解釈はそうではなく云々」として合憲だとしていた。僕が最も自民党が嫌いになった根拠は、実は、「自衛隊合憲」と主張していたからだ。「自民党は嘘つき」だと認定したからだ。
 僕は、現在、保守的識者が「実は憲法九条は少し前に米国主導で作り上げた国連憲章で他国への武力行使を禁止した内容を適用したから云々」から始まり、要するに「ここまでの範囲では武装などは許される云々」という話はよく聞くが、あまり真剣に読み込んだことはない。僕にすれば、古稀を越えた今の僕が普通に読めば、憲法九条の文言のもとでは自衛隊は合憲のはずはない。僕にすれば、「そんな無理と思われるような拡大解釈するのなら、文章とは一体全体何なんだ」と言いたくなる。しかも「公文書」それも最上級の位置にある公文書だ。普通の文章は書いてある通りに読んでこその書類なのである。
 僕は、中学生頃には日本にも軍隊が必要だと思うようになっていた。普通の程度の国ではそれが当たり前であることを知った。とすると、自衛隊が違憲なら憲法の方を書き換えないといけないと思った。自民党は「嘘の読み方を恥ずかしげもなく主張し、必要な憲法改正に本気で進まないから」嫌いだった。非武装中立などと、国益無視の無責任な左翼政党はもっと嫌いだった。日本社会党も日本共産党も米国の核武装は許さないが、ソ連の核武装は米国に対抗するための仕方なしの方便だから許されるとか、我田引水の主張を恥ずかしげもなくしていた。

 その後、大学生になった頃には。沖縄返還、ベトナム戦争や、大学紛争など、生活の中にも政治色が濃厚になってきた。この頃は僕の政治的な立場は曖昧だったが、どちらかというと「ブレない」との印象を受けた日本共産党に数年間は興味を持つようになった。日本の自主独立路線をうたい文句にしていることにも社会党よりはましだと思った。その下部学生組織の「民青」は学園内では非常に常識的なメッセージを流していた。上部組織の日本共産党の当時の戦略上の方針だったのだろう。当時の社会党(一寸前の民主党の一部の派閥につながっている)の下部組織として親和性のある組織の「中核」「革マル」「社学同」(それぞれのヘルメットは、白(中核の文字)・白(Z字)・赤(社学同の文字))やその他の反日共系の過激武闘学生集団セクトと「民青」とは犬猿の仲であった。最近でも、旧民主党の代表格がいまだに「革マル」派からの政治資金を受けていることが明らかになっている。当時の日本社会党左派は日本共産党よりも左で、それこそ「極左」であったことを庶民は知っておく必要があると思っていた。あの頃は反日共系の学生運動が席捲しており、全国の各大学の学園の中で組織横断的に成立していた「全学共闘会議」という組織のほとんどは反日共系のセクトが影響力を持っていた。
 僕は下宿で「朝日新聞」を購読し(自宅では「毎日新聞」だったが、インテリは「朝日新聞」だと思ってしまった)、時々「朝日ジャーナル」を買って読んだ。それらは概ねは反日共系の学生運動をフォローしていた。
 ところが、「トロツキスト」といって「民青」が口撃していた反日共系の学生運動がその後の日本の一般状況の中で薄れ出した存在感を求めて先鋭化していった。そして、ついには「社学同」が先鋭化した「日本赤軍」という組織は「京浜安保共闘」という社会人の反体制運動組織と「連合赤軍」というのを作って孤立先鋭の極に至り、浅間山荘事件という内部構成員を粛清する凄惨極まる連続殺人事件を引き起こした。ここに至って、流石の朝日新聞も朝日ジャーナルもそれまでの「彼らへの提灯持ち記事」を続けられなくなった。僕はその頃までに「朝日ジャーナル」はそういう記事ばかり書くので買わなくなっていた。「朝日新聞」を読むのもとっくに止めていた。その後、「朝日ジャーナル」は浅間山荘事件後の自己責任の総括をせずにそのうちに廃刊していたのを知った。その後、編集長の一人であった筑紫哲也がテレビのキャスターとしてしたり顔でしゃべっている姿を見ることになった。この頃は、僕は医学の基礎研究の方に関心が向かったりして、政治には関心がないようになった。

 さて、昭和21年に公布して22年に発効した戦後の日本国憲法の「一句一語も改変は許さない」という連中についていえば、僕の判定は、そういう連中にとって「今の日本国憲法は宗教教義と本質的に同等・同質である」。普通の言い方をすれば「日本国憲法はイデオロギー化している」。そういう連中は、宗教教義やイデオロギーで日本国を運営しようと言っているのと同等である。もともと、イデオロギーと宗教教義とはそもそも同等・同質なのである。(参考、https://19a46m.blogspot.com/2018/03/180310.html 意味論的国語辞典「イデオロギー」 この「憲法」のイデオロギー化も東京大学法学部が現在にいたるまで、その総本山に位置している。それ故、日本の法曹界は、特に、弁護士や裁判官に左傾した人物が多いが、検事にも影響が及んでいると思われる。日本弁護士会は明確に左翼集団が牛耳っている(個々のサイレントマジョリティの弁護士は必ずしもそういうことではないと思われる)。結局、政治界でも法曹界でも国のエリートを輩出するべき使命を付与されて開校した東京大学の文系学科による長年月に及ぶ「反日教育」が戦後の長きにわたって行われてきたということは許されないアイロニーだと思うものだ。

 
 日本のような規模の国家で自前の独立した軍隊を有していないということは国家としてリスク管理がなさすぎる。最近でも(数年前か)、「政府は、一体全体どこの国が攻めてくるというのか?」と国会で政府に質問した野党議員がいた。その発言の真意は「どこも攻めてくる国などないじゃあないか。一体どこの国だと言いたいのだ」ということだ。こういう日本の国家のリスクを全く念頭に置かない国会議員こそ日本の国会議員の資格がないということで、大問題にならなければならないはずだ。
 事実としては、当面は、ロシア・韓国・北朝鮮・中共というロシア+東亜三国は日本の領土保全という意味からは潜在的にリスキーな相手である。現実としては、北朝鮮以外の3国は実際に日本との領土問題を抱えている。
 もし、米国が西太平洋への関心を持たなくなったら、現在のような体制の日本は一巻の終わりである。中共は確実に台湾の次に尖閣諸島を占領するし、必ずや沖縄諸島も難癖を付けて支配しようとするだろうと想像する力を持たなくてはならない。沖縄については、日本国内の反日左翼勢力が大挙して沖縄に国内移住し(一部は先日の移民法の成立によって増加する中国人の移民が加わるかもしれない)、先ずは特定の絞り込んだ小規模市町村の議会の勢力を握る。そして、しかる後にその市町村が中共に人権問題などを口実に介入支援を要請する(内部からの要請)、それを受けた形で中共軍が上陸してくる。このシナリオは米国が西太平洋から退いた時点で日本の軍事力が十分な程度でなければ、「ある」と思わなければならない。一旦,占領してしまえば、元に戻すことは極めて困難になる。あの南沙諸島だって、中共の領土だという国際的コンセンサスは全くないのに、今までに傍若無人に建設した中共の軍事施設は余程のことがなければ、元には戻らないのである。これは、見て見ない振りをしてきた米国にその責任があると僕は思っている。
 そして、中共は世界各国に中国系住民の勢力を増やして、ロビー活動や政治家の買収で成功しているのだ。米国やカナダの西海岸で著しい現象だし、オーストラリアでもかなり浸食されている。米国のサンフランシスコで慰安婦像が立ったのも、同じようなことを韓国や中共の反日の移民がサンフランシスコ市長職や議会の勢力を獲得し続けている政治力学の結果なのである。将来、日本国内で伝統的な日本の習慣や制度が条例で否定されるリスクが現実のものとして生じることを恐れなければならない。
 現時点では、最近の川崎市議会で成立した「反ヘイト法案」自身は、見識のない議員が愚かにも成立させたものだと思われるが(別のところでこの問題点について議論したい)、これよりもっとひどい法案が将来生じてくるだろう。そして、最近国会で成立した「アイヌ新法」は国会議員のほぼすべての愚かさ加減に唖然とするものだ(別の機会に述べたい)。これは、将来北海道の一部にアイヌ自治区を作る運動家たちの戦略に大多数の愚かな国会議員がのせられたのである。この運動を既に支援している組織に朝鮮半島と中共の組織が絡んでいることが明となっているらしい。そして、北海道といえば、札幌の繁華街のすすき野の闇を支配する暴力団組織は完全に中共からのマフィアに掌握されているとのことだ。道警であっても、もうその実態を把握できる術がないらしい。道警が日本のヤクザを駆逐した結果、中国マフィアに置き換わってしまって、もっと恐ろしい現実になってしまったらしい。
 既に述べたように、日本に定住した朝鮮半島出身者や中共出身者の集団が「人権問題あり」といって本国に救済を求めた場合には、特に中共からの軍事介入の口実になるのである。これは絵空事では決してない。この時に、日本にある程度以上の固有の軍事力があるかどうかで、絵空事で終わるかそうでないかが決まってしまう。つまり、もう中共は今後数十年から半世紀の長期戦略で日本の領土や制度を削り取ってしまうプランのスイッチをONにしていると思わなくてはならない。特に日本は狙われるべき諸点が多いのだ。先ず地政学的な好位置を占めている。次に盗みたい文化や技術が一杯である。既に中国大陸で乏しくなっている健全な土壌や無限と言うほどの上質の水が中共政府には喉から手が出るほど欲しいのである。そして、馬鹿に思えるくらい穏やかで能天気な民族であることだ。
 相手は、一部の共産党員マフィアの利益のためには自国の国民の民生さえ斟酌せず、自治区として占領している民族に対して国家規模の犯罪を行っている共産党政権であることを忘れてはならない。日本の経団連や中小企業、そして官僚や政治家がこのことを知らないかのような能天気な中共に対する行動や態度は、愚かであるばかりでなく道徳的に許されないことだ。

 以上からの結論として、日本は法律を整備しなければならない。一つには憲法九条であるが、もう一つは情報機関の完備のための立法である。「アイヌ新法」の早々の廃止は当然で、移民を無暗に増やす政策を進めてはならない。ただ、通常兵器をどんどん増やす選択は必ずしも適切ではないと思われる。現在の日本の法体系ではいくら精鋭部隊があってもそれを自由に使えない法律の縛りがあるので、仮想敵国はその足元を見ているから役に立たない。法律をきっちり整備するだけで、現行の軍事力だけで当面は十分余裕があると思われる。今後の日本という国は将来にわたって決して他国への軍事進攻はしないことは国是として確かであると僕は思っている。ただ、侵攻された時には果敢に反撃するべきである。こうしたことは国際的には普通の優良な国家の立ち位置である。
 そうした前提でいえば、日本の経済の余力を維持しつつ実質の防衛力を強化する一石二鳥は上記の「法律整備」の他には「核兵器保有」である。今や、米国がこのオプションを採ることを日本に求めてくるターニングポイントであるという国際的分水嶺の状況だと僕は認識している。このことは、第三次世界大戦が偶然に起こることなしには日本が第二次世界大戦後レジームという現世界の体制から解放される道はないのではないかと僕が認識している絶望的な状況(注、https://19am46.blogspot.com/2019/01/blog-post_31.html 大東亜戦争は誰が誰に謝罪すべきものだったのか?)からすり抜けられるパスが開通するということなのかもしれない。もしそうであれば、日本が良い意味として「普通の国」になることができるという願わしいことだと思うものだ。

2019年12月22日日曜日

寺子屋教育でも理解できる・憲法改正反対論者は真理を愛していないーその2


 前回のブログで護憲論者が初等的な構造的な論理破綻をしていることを(第一)と(第二)に分けて述べた。基本構造的に破綻しているのだから、具体的な条文については触れるまでもないというものだ。それ以上のことはかえって焦点がぼけるので触れない方がよいのかもしれない気もする。しかし、条文の内容も、論理構造のおかしさに負けないくらい「突っ込みどころ満載」と僕には思われる。
 さて、第三としては、「憲法」の「前文」だ。正直なところ、今回初めてじっくり読んだのだが、「前文」は三つの文節からなっている。第一節は「主権在民」を明記している。このことはまあ妥当なところだろう。ただ、この節の中に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」という文章が挿入されている。僕は、ここにGHQの意図が入ってきていると感じる。
「戦争は可及的に避けるように努力しよう」というのであれば、それは非常に重要で立派なメッセージだから。このことは別の独立した節に記するべきだと思う。ところが、実際には「主権在民」がテーマの第一節に混入させて、この前の戦争は大日本帝国政府が民主主義を無視して勝手に起こしたものであり、「日本の政府は民意と違うことをしたがるので、政府は信用するな」という印象操作をしている。結局のところ、これが見事に奏功して、現在の日本がかなり落ち着いた大国になっているにもかかわらず、世界でも稀な「自民党政権は庶民の敵だ」というような政府を敵視するような「けったいな」風潮に満たされているのだ。
この「前文」の第一節の中に書いてある通り、少なくとも戦後の仕組みでは「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」しているのにもかかわらずである。残念ながら僕は今の自民党をほとんど信用していないが、何年かの選挙でその都度多数票獲得政党であることを示しているのだから、次の選挙まではそれなりに政治を信託して委ねなければならない。それが、民主主義なのだ。僕自身は、僕の言う「似非知識人」が主張するのと異なり、「民主主義は欠点が多過ぎる」と思っているが、当面は「仕方がないなあ」と消極的納得をしているものだ。(参考)https://19a46m.blogspot.com/2018/01/180128.html (意味論的国語辞典「民主主義」
 ところが、無自覚的に「民主主義」を礼賛する似非文化人は、正当に選挙された国会における代表者の最大勢力を示す自民党に対してはほぼ常に否定的だ。これは「憲法前文」の精神からすると、日本国民の大衆を馬鹿にしているということだ。日本国民の多くは馬鹿であるということも僕自身は明確には否定しきれないという気がするが、社会秩序上は大衆の民意を消極的であっても認めざるを得ないはずだ。ということで、似非知識人は自己人格の分裂をきたしていることを証明している。
 つい、第一節のことで長い議論をしてしまったが、実は、「憲法前文」の最大の「おかしなところ」は第二節である。この中に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。こんなことを憲法前文に書くなどは独立国ではない。「私たちの国の安全は周りの他の国が真っ当な国であるということに掛けてみるからよろしくお願いします」と吃驚するようなことが書かれてあるのだ。似非文化人の先生に書かされた小学生の作文のレベルだ。これを「とんでも記述」だと思わない風潮だから、戦後の日本の外務省は能天気なのだろう。外務省を代表とする日本の官僚や政治家が「能天気な外交をしている」ことのルーツは公式文書上はこの前文の第二節に存在すると言える。当時の大混乱の日本であったにせよ、日本人の自主的な発意ではこんな「国家の体をなしていない」文章を書き込めるはずがない。それまでの敵国の米国GHQだから書き込めたのだ。
 第二節の後ろの方に「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」とある。ここに書かれてある国際社会についての現状認識が実に劣悪だ。当時だけでなく現在においても「国際」政治というものは軍事力・インテリジェンス能力・経済力などの「国力」を拠り所とした力学によってのみ決まっているのだ。基本的には弱肉強食的要素は大いに(多少はテーパリングしているとはいえ)存在しているのだ。
 第一次世界大戦後のパリ講和条約の際に日本が「人種差別撤廃」議案を提出したが、米国ウイルソン大統領の圧力でこれが抹殺された経緯がある。つまり、日本は第二次世界大戦の前から西欧列強と比較して、非常に博愛的な精神を政府自身が持っていたのである。僕は、これに関する複数の歴史事実を読んでいるので、別の機会に広く知ってもらいたいと思っている。これらの事実は、戦後のGHQ指導の教育の中で闇に葬られるように仕組まれた。GHQによる焚書も実行されている。最近、これらの書物の一部が復刻本として世に出だしたので、多くに人たちに読んでもらいたい。「憲法」を作った米国は終戦前後に国際法違反の殺戮や文化的殺戮を日本に対して行ったというのが事実である。「戦犯」は米国の方ではないのか。
繰り返すことになるが、当時の大戦後の混乱の世界だけでなく、現在の世界を俯瞰してみても、国際関係はこの「前文」のような「奇麗ごと」では済まされないことが判るはずのものだ。(参考、https://19a46m.blogspot.com/2018/09/180919.html 意味論的国語辞典「国際」)
端的にいえば、「各国家は自分の国が破滅しないようにありとあらゆる方策を考え、涙ぐましい努力をしてる」ということが事実であり、国という構造がある以上は、このことは何世紀先でも変わらないものだ。この点では、米国も中共も北朝鮮も同列なのだ。同列でないのはある程度の規模以上の国の中では、米国GHQによって見事に洗脳された能天気国家の日本だけらしい。ただ、小さい国のなかでは、その国の元首が私腹を肥やすために国の将来を真剣に考えていないという例は珍しいことではない。北朝鮮にもかなりこういう部分があるといえるのだろう。
 この「前文」の第二節には恥ずかしくも「綺麗ごと」の現状認識の誤謬が書かれているだけにとどまらず、「名誉ある地位をしめたいと思ふ」とある。敗戦直後なのにそんな呑気でご立派なことを言っている場合かと言いたい。真面目に考えるなら、「なるだけ周囲の国々に迷惑を掛けないように、国家の再生に精進します。ただ、多少の援助や協力は有難いです」ということだろう。 「前文」にあるこの文章に、現在までの日本が、敵国条項の国に指定されているにもかかわらず、かつ国連のいろんな下部組織から日本の制度や政策に対して理不尽な判定を受け続けているにもかかわらず、国連への実質上の最多上納金提供国であり続けている「超良い人」のルーツもこの「前文」にあったということだ。いうまでもなく、「超良い人の国」は国益が損なわれ続ける。

 なお、「前文」の第三節については、「突っ込み処」があまりなくて、僕も良かったと思っている。ただ、「政治道徳の法則は、普遍的なものであり」というところは、小学生の作文のレベルの認識であり、「本当にそうなのか?」となる。「真実とは如何に」「現世界はどうなっているのだろう」ということへの本気度が欠如した、軽薄者の作文だ。

2019年12月19日木曜日

寺子屋教育でも理解できる・憲法改正反対論者は真理を愛していないーその1


 日本国憲法はここでは「憲法」と略記しておく。いうまでもなく敗戦後に占領してきた米国のGHQが作った=作らせた日本の憲法のことだ。
 第一に、憲法の条文如何に拘わらず、成立した状況からこの「憲法」のvaridityの拠り所はないということである。今までお互いに「鬼畜」と政府が喧伝しあっていた相手国が作ろうとした「憲法」が自国の利益のことを考慮しているはずがない。この自明なことを敢えて認められない反日思想洗脳者は恥ずかしくないのだろうかと僕はずって呆れている。個々の条文に、現在でも「まあ立派だ」という箇所がいくら沢山あっても、この「憲法」は基本的には直前までの敵国が作成して強制したものであるから、可及的に早期に解消しなければならなかったものだ。自民党もこの頃にはそのように思っていた(今も自民党の主要綱領の一つだ)。自民党が変質した。何故変質したかについても、僕は興味を持っている。

 第二に、あえて、この「憲法」が敗戦時の日本国民の自由な意思で作成したのであった場合を考えてみる(事実ではないが)。「現在の時点でも改憲は許さない」なんて発言している連中は自らの脳みそが伽藍洞であることを破廉恥に表明していることになる。知性がないから恥ずかしくない。本当は第一のことの方がわかりやすいと思われるが、僕はこの第二のことの方が、普遍的認識論として、より重要だと思うものだ。
 ある歴史上の時点で、ある人間やある人間集団が「良し」と判断したことが、その後「永遠に真理である」ということが「蓋然性」としてありうるかどうかについて、いろんな領域のことで思考実験をしたらどうなのか。そして、「永遠に真理だ」という連中はあまりにも「傲慢」であり、謙虚さの欠片もなく、思考放棄している恥ずかしい人間だと断定しうる。「これで仕舞い」だ。
 そもそもこの物理世界や人間社会の「蓋然性」についての「真理というものに興味を持つほどの知性」がないことを自己暴露していることになる。このことは「憲法」の話という限定したことよりももっと大きい「真理とは」という領域の話である。
 「憲法」の話に限定しても、「神風の国が思いもよらない敗戦を食らってしまった」という日本国民が泡を食ってしまった超混乱のタイミングで「良し」とした(一部の日本人の)判断が、その後の半世紀以上の長期にわたって正しくあり続ける「蓋然性」はほぼゼロであろう。その後の社会変化のダイナミズムの中で、正しくなくなってくる部分がどんどん出てくるということだ。ここを皆でしっかり想像して欲しいものだ。
 当時混乱の中国大陸は今や強大な軍事大国の隣国になっているし(経済の方も世界ナンバー2の大国になっているが、「砂上の楼閣」の面がある)、コンピューターやロボットの驚異的な進歩があって、一部の政府によるサイバー攻撃やネット支配による思想への介入が明らかとなってきているが、こういう事態を昭和21年11月の「憲法」公布時(僕の誕生日の3~4カ月後)に想像などできるはずがない。世の中なんてものは二十年先だって思わぬ事態が出現してくるものだ。最近では、その出現には科学のイノベーションの影響が大きい。コンピューターの演算能力には今までも驚かされてきたが、現在のスパーコンピュータでも1万年かかる計算が最近開発中の量子コンピューターでは3分20秒でできたという記事が科学雑誌ネイチャーについ最近掲載された。こうしたイノベーションの発展が、良きにせよ悪きにせよ、社会の様相~本質を大きく変革している最中なのだ。社会が大きく変化してきた中で、それでも、「憲法」の一字一句を死守するという連中は「馬鹿」でななければ、自己のイデオロギー貫徹のためには社会の実態はどうでもよいという「悪人」である。多分、その両方だろうと僕は思っている。
 いままで述べてきたことは、現在の日本の中学までの義務教育レベルでも判る話だ。むしろ勉強の目的も曖昧に高校や大学へいくような現在の土壌が、こういう基本的なことが判らない人間を輩出しているように思われる。江戸時代の寺子屋の方が、世の中の真理を今より教えていたように思うものだ。因みに、僕は、今後のイノベーション社会においても、義務教育は中学校までの方が良いと信じている。このことについては、他のところで議論したいと思っている。
知性に学歴が無関係だということが、この「憲法」問題で証明されている。そもそも、現在までの護憲派の学問的支柱は東京大学法学部なのである。そもそも、学問というのは真理を探究するための方向性をもっているのではあるが、個々の学問は真理を語っていることなど保証されていない。(参考)https://19a46m.blogspot.com/2018/03/180310.html (意味論的国語辞典「イデオロギー」) 
特に、「社会科学」という怪しい領域は良くも悪くも「イデオロギー」という演繹構造が拠り所であるというのが現実だ。その学問が健全に真理に近づく使命や機能を発揮するには現実現象からの帰納という機能(フィードバック機能)がなければならない。護憲論者にはそれが欠如している。
 戦後すぐの東大法学部の中心教授がGHQと関係構造を作ってしまい、その後に免許皆伝された後継教授たちもその教授たちの講義を受ける学生たちもが連綿と「刷り込み授業」を受けているのだ。講義内容を納得しないとその「単位」をもらえないから理解して受け容れようとする心理機転が作動するのだ。この東京大学の文系卒業生たちが戦後の長い期間に日本の官僚・政治家や法曹界の権威となり圧倒的主流になり続けているのだから、日本の政治家・官僚や法律家のかなりの多くが「普通の感覚」で見ると「不思議な反日的行動」をするのは残念ながら仕方がないのである。「刷り込まれている」からその「行動」は良いことだと思っているので、罪悪感などないのだろう。
しかし、これは「裸の王様」現象だ。巷間の国民の多くが、特別の学歴がなくても、「明らかに変だ」と思うことが「変でない」ということは、将に「裸の王様」だ。何が「変」かというと、官僚や政治家が「国益に反することをしている」ことが常態のようになっていることだ。この「変」なことを現実に成立させているものとして、現在の日本において作動している権力~利権における「力学」があるのだろう。その個々の力学の作動する場は、大学のヒエラルキー、官僚のヒエラルキー、政治家の選挙対策と派閥内の力学などがすぐに思いつく。この場の中に企業の経営者の利益が絡んでくる(政治資金など)ということだろう。
最近このブログを読んで頂いている方とお話ができたので、時々追加記事を書かなくてはならないという気持ちになって、以前から書こうと思っていた「憲法」について触れてみたが、今日はここまでで中断しておく。この記事(その1)の続きは、エネルギーが戻った時に書く予定だ。

2019年12月5日木曜日

隣国たちのことより日本がおかしい:中共に利他行為をしてはいけない

第一次世界大戦後から米国は最大の強国になってきていたが、そのまま、米国だけが超大国であり続けている。「もう米国も弱体化してきている」という諸点は指摘され始めているが、今後もかなりの長期間にわたって超大国の立場を維持するだろう。このブログの15・16.17号で、日本・中共・韓国の3国が自らの実力を過信して米国からの離反や反撃をするという愚行をしたのが大問題であったということを述べた。なお、第二次世界大戦後の日本は、とにかくこの超大国との同盟国の立場であるが、このことは、当面の生き残りにとって非常に有利な点であり続けていると思うべきだろう。
最近の私のような保守的な立場の人たちのユーチューブ・チャンネルでは、米国にたてついた中共の経済が破綻しそうだとか、GSOMIAの件で米国にたてついた韓国はもう破滅だろうという趣旨の記事が溢れている。そして、「留飲を下げた」とか、「ざまあみろ」という感じのものが多い。それらの事実認識において、僕も多少は同感のことは少なくない。しかし、大切なことは、「この世界情勢の時に日本はどういう対応をすべきか」の方に精神のベクトルを向けることであるべきだ。しかし、それが疎かになっているように思われる。
ブログの15号で述べたように、日本は戦前だけでなく戦後の経済戦争(頑張ったら、そうなってしまっていた)においても、米国に自国を脅かす国であるとの認識を持たれてしまって、我が国にとっては実に理不尽な経済的要求を突き付けられた。それを境に日本は生産・産業体制がズタズタにされて、米国だけでなく近隣の中共・韓国・台湾に種々の生産業種でトップの立場を追われることになって久しいのだ。このアジアの三国には「漁夫の利の立場」と「生産ノウハウを日本から容易に入手できることができた」という二点によって経済力を一気に上げることができた。
日本が、図らずも米国とモロに「経済戦争」をしてしまったという失敗だけでなく、国を挙げて「隣国への技術流出を防止する」という努力を怠ったことこそ、「過去の教訓」ではないのかと言いたい。当時は、吾が政府はこういう国益にまったく能天気であり、個々の企業も自企業の刹那の利潤確保しか念頭になく、国益や従業員への考慮が結果的に欠如していた。

このことは、今の日本の状況とまさに同じではないか! この1~2年の間にトランプ政権の米国は覇権を目指すことを明言してしまった全体主義国家の習近平政権の中共に対して「最後の覇権争い」をしなければならなくなったという決意を世界に対して宣言したのである。この方針はもうトランプの個人的な方針ではあらずして、与党・共和党もも野党・民主党もこの点においては一致し出したのである。それまで、もともと米国とは距離を置いていて中共と利益共存したいと目していた欧州諸国も、最近は中共と距離を置く姿勢を明らかにしてきたばかりの時点である。しかるに、日米同盟関係にあるにもかかわらす、日本においてはなおも中共への企業進出や合弁事業を発表したりしている。来年には習近平を国賓として迎えようとしている。米国はウイグル民族への中共政府の弾圧に対して遅ればせながら非難を強化し出して、また香港への北京政府の弾圧にも非難を明らかにしているこの時点にである。
一応は盟友ともされている安倍首相とトランプ大統領との間にどういう実際の意見交換があるのかは誰にもわからないことだが、たとえ僕が現安部政権に対して斟酌をするとしても、日本の現政権や日本企業の全体主義国家を露わにしている中共への利他行為は、「世界に誤ったメッセージを与えるに十分である」と非難しなくてはならない。そして、日本も現時点の唯一の超大国の米国から手厳しいしっぺ返しをくらう覚悟をせねばならないという馬鹿げた状況なのだと警告しなければならない。

ところで、数年前から田中角栄元首相を評価した単行本が数編出回っている。政権当時も「今太閤」としてもてはやされたが、ロッキード疑獄で有罪のまま亡くなられた。人心扱いの妙とか強大な派閥権力の座に上り詰めたストーリー性について考えると、僕のような凡人には及びもつかない「立派な人だ」と思う部分もないことはない。しかし、重要なのは、内政もさることながら、「国際政治の中での日本の首相として何を考えてどう行動したのか」であるべきだろう。国際政治家としての資質があったとは僕には思えない。
事実として彼はロッキード事件で日本の裁判所にて収賄罪で有罪を受けた。これは米国の議会のなかで資料が何故か急に表に出てきたものであった。この裁判事件は米政権というトラの尾を田中角栄が踏んだ結果、米国に仕掛けられたのだと言われている。それは、米中国交回復よりもわずかでも早く日本の独自外交として中共と率先して経済を中心とした共存関係を結ぼうとしたためだろうと思われる。後述するニクソンショックに対する意趣返しだったのだろうか。戦後の憲法のもとの日本国は「一人前」ではなく、米国の庇護を必要としているので、それは身の程知らずだったのだ。米中に対する「両天秤」、あるいは韓国お得意の「事大主義」の臭いがするともいえるのかもしれない。
ただ、この頃は米国の方も中共政権を認知することを明らかにしていた(佐藤栄作政権の時に、国連の場で米国や日本の反対派が少数派となり中共が正式承認されたのだが、米国はその後速やかに方針転換をして、日本の頭越しにニクソン大統領と毛沢東が友好会談を行ったニクソンショックということがあった。当時の米国は泥沼のベトナム戦争をもう止めたかったし、ソ連との勢力争いの最中でもあり、まだ国力の今ほどでない中共と近寄るメリットを考えだしていた。日本嫌いのキッシンジャーという共和党政権の黒幕が絵を描いていたと言われている)。
そのような当時の状況と比較した場合、現安倍政権が米国の意向を忖度せずに習近平政権と近づくことの方が田中政権の場合よりも米国からしっぺ返しを食らう蓋然性が高いという理屈になる。日本の中共への進出企業に対してもその後米国からの無法な制裁を受けることになるかもしれない。

さらにその後、天安門事件を契機に西欧諸国がこぞって中共への制裁を続けていた時に、日本が率先して中共に近づき、海部俊樹首相が北京訪問し、次の宮沢内閣の時に天皇陛下訪中まで断行して、中共を国際社会へ復帰させる「露払い」の役割を行った。これらの政権は田中角栄が作り上げた大派閥の傀儡的なもので、田中角栄の親中遺産なのだと思われる。そして、この遺産はいまだに自民党員なおみならず野党人脈や官僚に引き継がれているのである。この日本の親中行動が全体主義国家であることを隠せなくなった中共の軍事経済発展の再出発を加速してきたのだ。
安倍政権の日本は、またもや、全体主義国家であることを隠そうともしなくなった中共の窮地を救う行為をしようとしている。
この中共という国だけでなく、日本以外のどの国も外交政策の方程式の解は「その時点での因数そのもの」で決めるのであって、過去の「温情のお返し」や過去の「恨みに対する仕返し」では実はほとんど決まっておらないのが大まかな事実なのだ。どれほど、恩を売ろうとしても、それが将来の投資になるものではない。韓国のような国は例外的にひどい国だが、このことは大多数の国においてそうなのだ。
日本の外務省や外交政治家は日本国内の巷間では普通に成立しているこういう「日本式の節度ある態度をすべきだ」というイデオロギーから決別できない程の単純で軽薄な精神構造だと思われる。「似非文化人」・「お花畑的良い人」というキーワードに集約されるような愚かな考えが今の日本国内のあらゆる社会現象において席捲している。これらは個人だけの話なら微笑ましいものだが、個人を越えた人間同士のイッシューになってくると正しくもない。それでも、日本人の間での付き合いの範囲では実害が少なくて微笑ましいことである場合が多いのかもしれないが、国際関係ともなれば、こういうお花畑的感覚は自らにとって有害であるだけでなく、他者にとっても害悪のもとになる。そして、かえって、のっぴきならない紛争へと転化してしまうリスクを僕はみている。戦後の日韓関係が将にそのことを証明している。
今述べたことがもし的を得ていないとしたら(つまり、政治家や官僚は、そこまで馬鹿ではなかろうという場合は)、親中の彼らは中国進出志向の日本企業からの金銭面や選挙上での見返りを受けているのか、あるいは中共の情報機関からそういう不正構造の秘密を握られてしまっているのか、さらにハニートラップにかかってしまっているのか、ということが本当に疑われる。
橋本龍太郎元首相も中共のハニートラップにかかったといわれている。日本のマスコミが大きいスキャンダルにしなかった理由は、相手が左翼マスコミの好きな中共だったからなのかと思ってしまう。中国現地企業で働く日本人の職員へのハニートラップ攻勢は稀な話ではないと言われている。なお、中共が握ってしまった政治家・官僚や企業経営者・従業員のスキャンダル的な事案は「世間にばれた」時点で、当該人物は役立たずになるらしい。「ばらすぞ」と恫喝を掛けている時に使い勝手があるということだ。

2019年11月28日木曜日

韓国からの「李承晩学堂」講義の発信について


今年の春から夏にかけて、「李承晩学堂」という名称の歴史講座シリーズの存在をユーチューブ(YT)でみつけた。僕はこのブログの二つ前の記事に簡単に紹介している。主宰しているのは李栄薫(イ・ヨンフン)ソウル大学校名誉教授だ。史実に基づいた自国の歴史を国民に知らそうとする心魂の講義と思われる。
このYTは韓国語での講義であるが、字幕に日本語の遂時訳があるので日本人にも内容が分かる。
全部ではないかもしれないが、日本人の僕にとっては日本人の主張したいことをほとんどそのまましていてくれているような印象があるので、驚いたと同時に嬉しかった。それ故、韓国の数多くの種々のカテゴリー(普通の人々も含む)の人々から「非国民」という猛烈な非難を受けているが、それはもう覚悟のうえであろう。
しかし、このシリーズの目的はなにも日本に尾を振る目的では決してないのだ。これは日本で読ませてもらう僕たちがしっかり認識しておかないと判断を間違うし、失礼に当たることにもなる。「このままでは韓国は滅びてしまう」「残された時間やそんなにないように思う」という憂国の愛国者の叫びなのだ。
もともと「李承晩学堂TV」というところで発信しているらしい。このブログの最期に、「韓国の反日種族主義」と決別して真っ当な国家を創るよう努力しようというシリーズの最初と最後のYTのURLを示しておいたが、このシリーズの他にも「日本軍慰安婦の真実」その他のシリーズも見付けることが出来る。本シリーズにも慰安婦問題が含まれている。さらに、いわゆる徴用工問題(実は、応募工である)についても、このシリーズで扱っている。このテーマでの講演は李宇衍(イ・ウヨン)韓国・落星台経済研究所研究員が担当している。彼は今年7月に国連本部(ジュネーブ)でこの問題について発表して、日本は朝鮮人の労働者を日本人と同様に処遇したことを明らかにした。彼は、この発表から帰国した韓国内で何者かの襲撃を受けたこと、そして幸い大した負傷をせずに済んだことも、僕はネットで知った。「李承晩学堂」のメンバーは身体の危険を予感しながら頑張っていると思われる。
ところが、この極めて重要な発表を日本のNHKや新聞の多くは目立つような取り上げ方は一切していないのが、彼らマスコミの「真実を述べることが一義的に重要なことではけっしてない」および「日本の国益について何ら関心を払っていない」というスタンスがバレている。あるいは、「厚かましくも自国の国益など主張することは恥ずかしいことだ」と思っているかのように、国際社会の「イロハのイ」あるいは「当たり前のこと」がアナウンスできない精神的インポテンツであることを示している。
この日本側の言論エスタブリッシュメント(特に、大多数のテレビ・新聞)がこの「李承晩学堂」の人たちの発言を無視したりしていることに、朝鮮民族の真の愛国者である発表者が残念な気持ちを持っていると思われる。日本の言論エスタブリッシュメントの現状は、戦後次第に左翼思想がメジャーになってきているのである(少なくともつい最近までは、現在進行形であった)。彼らは自らが洗脳されていることに気付かず、スーパーエゴになっているイデオロギー(自分の所属している現実の母国の枠を破って、博愛的世界市民にならんとする)に固執するあまり、日本と韓国の双方の多くの人々の健全な精神的発展を阻害しているのである。このイデオロギーは仮想的なものであり、非現実的であるがゆえに現実的には種々の罪悪をもたらしてきたことがこの一世紀の間に証明されいることなのだ。
 この「李承晩学堂」シリーズの内容については、最近までに韓国自国で書物にまとめられて書店やネットで売り出されて「大騒ぎに」なっているとのことであるが(自国を貶める捏造書物として告発の動きもある)、最近は日本でも日本語版(李栄薫「反日種族主義・日韓危機の根源」が出版された。

なお、このグループはその名称に「李承晩初代韓国大統領」の名前を冠している通り、彼を愛国者だとして尊敬している。戦後の多くの日本人からすれば、李承晩などという輩は決して許すことが出来ない記憶で一杯だし、僕たちの知識からは、朝鮮半島の人たちにとっても、北の金日成と南の李承晩は「どっこいどっこい」の「いい加減なところ大」な人物のはずだということなので、この名称だけは素直に受け入れ難いが、僕は我慢しようと思う。このグループの人たちによると、李承晩は独立した国家を創ろうとしていたということを評価しているらしい。現時点では、そのことくらしかここで僕からは述べることができない。
この名前のせいだと思うが、日本の保守論壇の一部の人が数か月前に、このグループの存在を斜交いに眺めているような発言をしていたのを僕はYTで知ったが、多分、その人も内容が判るにつれて、今では評価を変えているのではないかと思っている。

僕は今の時点で、このグループの歴史に基づいた資料と評価にの内容について、断片的にしか読んでいないが、徐々に読んでいこうと思う。日本の多くの人々にも、この著作をちゃんと読んでほしいと思っている。韓国のイッシューにつては、この紹介をすることをもって、当分は十分だと思っている。

(参考)01.種族主義を打破しようシリーズを始めるにあたって
     19.大韓民国解体、反日種族主義の業報(完)

日韓のGSOMIA破棄の凍結という時点での考察


 韓国は今年8月22日に日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA )を延長せず破棄することを明らかにした。ところが、11月22日24時に消滅となる直前に、破棄すると言い出した当の韓国政府が当面破棄しないことに態度を変えた。僕は、GSOMIA について2つ前の当ブログで書いた。そこでは、「米国が継続せよという強力なテコ入れを韓国に行っているという報道が目立っているが、破棄ということで終わるだろう」と予測した。しかし、これは外れてしまった。
 GSOMIA はオバマ政権の時の米国政府の方針により、3年前に日韓における軍事情報に関する協定が締結させられた。日米・米韓に軍事条約があるが、日韓には軍事に関する条約のようなものはない。対北・対中・対露に対する米国の朝鮮半島における安全保障体制を強化する目的ということである。特に、北朝鮮のミサイル等発射の瞬時の把握をすることも重要なのだろう。人権外交・弱腰外交的なオバマ政権の時のことということが面白く思われる。やはり、北朝鮮のミサイル・核の脅威が有意になってきたと判断したというのが公式的な話なのだろう。
 当事国の韓国は終始の反日国家であるので(戦後ずっと教科書で日本が悪魔の国だと刷り込まれたら、国民の大多数が反日精神を持つのは自然の理であろう)これは歓迎されるものではなかった。当時の韓国大統領の朴槿恵がこれを受け入れたことが、その後の朴政権打倒のクーデターのような状況を招いた原因の一つとも言われているほどだ。日本の場合は「米国が言うから仕方なくそうした」に過ぎない。偵察衛星を10個ほど維持している日本が衛星の一つも有していない韓国からはそれほど有用な情報が期待できないからだ。しかも、特に文在寅政権になると日本の情報が北朝鮮に漏れるのではないかという危惧があるのであるから、もともと重要な軍事情報がどれだけお互いに交換し合っているかも不明だと思われる。僕には、GSOMIAは米国の体制上の体裁を繕うためのものだと思っていた。
 この3カ月ほどの間に目に触れた情報(主に、ユーチューブ)や報道(テレビ・ニュースはもうほとんど見ていないし、二つの新聞を購読しておりタイトルで興味あるものだけを斜め読みする程度だ)から、今の自分の考えを述べておく。
 現時点で、韓国が「破棄する」との意思を示し、日本も「それで基本的には差し支えない~止むを得ない」ということだったが、やはり米国の維持への意思が本気であったということだった。僕は、それでも対中北露の軍事体制を形式にでも維持しておくことが重要だと判断したのだろうと思った。その後、「米国の最大の関心は、韓国に駐留している米将兵の生命である。北朝鮮が韓国に攻め込んできたことを想定すると多数の米将兵が死ぬことになる。このリスクを最小限に抑えるには、日本の衛星先進情報技術が有用である」という解説を読んだ時に、「これがポイントだったのだ」と腑に落ちた。文政権になってから、38度線の韓国側の地雷を撤去したことに米軍は今後のことを真剣に考え出しているだろう。
 さて、GSOMIA延長の決定を聞いた韓国人の反応は興味深い。いつもと違って、「GSOMIA はそもそも日韓の問題でなく、米国の意思で始まったことだから、米国に反旗を明確にするという文大統領は素人政治家だ。とんでもない制裁をされると国が潰れてしまうではないか」「今回の件では、日本にはあまり非難されることはないのではないか」というまともな意見もかなり多いようだった。こういう意見の人たちも、「一般的反日発言」は忘れずに付け加えていることがしばしばだった。一方、文在寅への中核的な支持者の多くはGSOMIA延長からの方針転換を知って、「腰砕け」だと怒っているらしい。
 つまり、文在寅への不満が広がるとともに反日論調はいずれにしろ堅調であるようだ。「一般的反日発言」を入れておかないと大衆に受け入れてもらえないというコンセンサスがある特殊な国なのだと思われる。この「反日姿勢」は革新層でも保守層でも大なり小なり同様であるということを日本人はしっかりとわきまえておかなくてはならない。文在寅が失脚しても「お花畑」は実現しないのだ。かの国の歴史教科書が問題のルーツなのだ。
 戦後ずっと反日姿勢を続けてきた韓国をホワイト国に指定したことなど、そもそも日本は自民党自体が正常な精神を持っていないではないかという気がする。アジアでは韓国だけにそう言うと扱いをしていたのだ。しかし、資料によると、ある四つのレジーム(同盟)に参加している国というのに合格していたので、国際的には妥当な対応であったらしい。しかも、反日国家の韓国も日本をホワイト国に指定していたのだ。ただ、実質的には日本に経済的なメリットはほとんどなく非対称な利益関係だと思われる。スワップと同じだ。スワップなど日本にメリットはほとんどなく片務的なものである。いずれにしても、韓国の経済は、日韓併合以来、日本への寄生的な存在で発展してきたのである。
 ただ、僕に言わせれば、歴史教育で明確な反日国家だと宣言しているような国であることをもってホワイト国指定はもともと除外可能であったはずだ。こういう判断が、国家の場合でも「健全な心理的機序」と「健全な自律神経機能」を維持する基盤なのだと思われる。今後は、もう「良い子ぶる芝居」を日本政府は止めて欲しい。国際社会では、国際的に「普通の子」がよいのだ。それは、真の紛争を抑止するための賢明な態度なのである。

 日韓併合以来の朝鮮半島に対する日本の国家経営は、国際標準から見れば際立って人道的で博愛的なものであったし、朝鮮人慰安婦に対する扱いも日本人慰安婦に対するそれとかわらないものであったし、朝鮮人の応募工ついても同様の状況であったことは、残っている資料を普通に読んだり見たりすれば判るものだ。朝日新聞のような確信犯的な連中は別にして、日本の多くの似非知識人は、目の前に証拠を見せられても、意識的か無意識的な機序からかは判らないが、自分のイデオロギーに合わないことは頭の中に入ることを排除してしまうのである。僕は、以前、このブログで「裸の王様現象」として、このことを触れている。
 戦後の日本政府は多くの普通という意味で真っ当な戦前・戦中の日本人の先達に対する韓国からの不当な侮辱を甘んじて受け続けている。僕はこの政府の姿勢が一番腹立たしい。
 国を挙げて日本の先祖のことを不当に非難・侮辱する連中は、一番は「朝鮮半島の民族」で次は「中国共産党政権に影響を受けている人々」に限られていることを日本人はアラートでないといけない。この二国以外はそうでもないということは事実なのだから、ある程度のインテリジェンシーがあれば、この限られた二国の方が「普通ではない」という蓋然性があると思うべきなのだ。
戦前に日本が統治していた南洋諸島の人々の多くが日本の統治時代を非常にポジティブに受け取っている多くの資料があるのに、左翼イデオロギーに洗脳された連中はそういう資料を見たくないらしい。台湾の人々も朝鮮半島の人々と比べると、事実をそのまま受け入れている人々が多い。ここでは多くは触れないが、大日本帝国陸軍がインドシナ半島を侵攻した際の当地の人々は日本の侵攻によって甚大な迷惑や影響を受けたのであるが、朝鮮半島の人々とは違って、一方的に日本の軍隊を非難・侮辱するようなことはしていない。それは、侵攻地の当地の人々に対する日本軍の扱いが、既に当地を占領していた欧州列強の支配者と比較すれば非常に博愛的で人道的であったからだ。この扱いとそれに応えた現地の人々の日本の敗残兵に対する手厚い扱いについての資料も僕は読んだが、心揺さぶられる思いがした。
そして、侵攻のプロセスの後で生まれた結果というのが、西欧列強からの独立だったことが歴史上の事実だった。最近、このことをもって「大東亜戦争に勝ったのは実は日本である」という著作が西欧人から上梓されているらしい。その趣旨は「西欧列強を破って、その結果東南アジア諸国が独立した」ということだ。これは偶然などではなくて、日本の目指したことだったのだ(ただ、日本国としては、自らの指導権を維持して、そういうことを成し遂げようとしたのだが、この指導権の維持は日本の敗戦で失敗してしまった)。戦後のインドシナ半島やインドネシアなどの人々はこの事実もちゃんと認識しているのである。

朝鮮半島の民族は、残念なことに、①国家としての独立よりも部族内の対立のエネルギーが常に大きいこと、②自分の部族の優位を勝ち取るために隣国の大国にテコ入れしてもらう目的で「属国」扱いを受け入れる(これを事大主義という)という状況が古代から現代にまで続いている、稀有な集団なのである。付け加えると、③古くからの両班制度の仕組みが現代にも影響を及ぼしていて、基本的に「持てるもの」と「持たざるもの」との差が大きく、世代を超えても後者が前者に入り込むのが難しい社会構造になっている。韓国は一見普通の民主国家のようであるが、実際はかなり階級社会的な面が残っているとのことだ。そして、剛直的な儒教文化が上下関係を厳しくしている。
朝鮮半島の宗主国は、古代ではほとんどがシナ大陸の歴代王朝であったが、時には日本に寄ってきた部族もあった。
日清戦争の頃から日韓併合の頃までの間は、シナ・ロシア・日本に対して朝鮮内の分派が事大主義を行っていた。親日の分派が内部抗争で優位になった結果、そしてその派閥が求めてきたので「日韓併合」になっただけである。そして、これは国際的に正式に承認されたという事実を知らない振りをしてはならない。シナの国力はこの頃はもう下降線をたどっていたが、もし親ロシアの分派が優位になっていれば、ロシアが併合していたのである。もしそうなっていたら、朝鮮の人々はシベリアに大量強制移住させられて、半島にはロシア人を大量に入植させたのに違いない。日本にとっては(今から思うと)その方がよほど良かったと思われる。面倒な朝鮮半島に関わりを持たなくて済んだし、第二次世界大戦の敗戦国側に立っていなかった可能性が大きいのだ。ハルピンでテロリストに暗殺された伊藤博文は朝鮮半島に手を出すことに反対であったことを、現代の日韓の普通の人々は知っておく必要がある。暗殺者はそういう伊藤を狙ったということで、「愛国者」でも何でもなく、単なるチンピラのテロリストだったというのが真実らしい。犯人は本当には誰だか同定されていないらしい。朝鮮の歴史は史実には基づかないことが多過ぎる。
そして第二次世界大戦後は、ロシア(ソ連)・米国への事大主義が試みられている。当時のシナはまだ国共内戦の後始末で余裕はなかった。戦後、東南アジア諸国は独立国になっていったが、朝鮮半島は実は「独立国」になっていない。

僕が思うには、東南アジアの人々に対する西欧列強の非人道的経営が過酷であったので、敗戦した日本が引き上げた後の空白状態という絶好の機会において、民族挙げての独立運動が成立したのだろう。一部の敗残日本兵は自らの意思で当地に居残り、プロフェッショナルな兵士として当地の独立運動の指導にに身を捧げている。大東亜共栄圏の根底思想には、東南アジアの「民族独立」を目指す精神があったという証拠であと思われる。そして、独立に成功したインドネシアの暦は当初は日本の「紀元節」を採用したのである。これは新政府が日本をある種信頼していたことを物語っている。このことを現在の日本人のほとんどが知らないと思われる。ここに、戦後の日本の教科書の「反日」的な証拠があるのである。
一方の朝鮮半島においては、この民族の特質自体もさることながら、日本の半島経営が西欧列強と比較して非常に人道的であったので、自力独立という必死さが欠如しており、終戦前後からまたぞろ「部族同士のせめぎあい」という「能天気な」精神状態で、日本に代わる事大主義の相手を求めただけだったのだろう。
事実として、主にソ連と米国に事大主義の相手を求めたので、北と南の朝鮮に分かれたままになって今に続いている。特に、北朝鮮の立場からすれば韓国は米国の傀儡属国なのであって、「正当性は我にあり」ということになっている。この怪しいところもかなりある主張をすべて否定しきれないところが韓国政権の辛いところであり、文在寅の拠って立つところでもあるのだろう。

今年におけるこのブログでは、韓国のことについて多くを書いてしまったが、それはかの国の有形無形の反日言動がうるさすぎるから自然にそうなってきた。韓国など所詮は大国でないから将来も大して脅威ではないはずだ。脅威からすれば、今の中共はずば抜けた存在だ。現在進行中の真の脅威は著しい非人道的国家の中共なのだ。ただ、中共は表向きのプロパガンダだけはしばしば節操を保つ点を心得ており、韓国のような稚拙な攻撃~口撃はうんと少な目なのだ。
しかし、他の人の悪口のようなことは自身の精神衛生上もよくないし、素敵でもない。次のブログ記事を最後に連載的な「韓国編」を終わりにしようと思う。
ただ、僕の特に主張したいことは、間違ったイデオロギーを持った日本人側にこそ大きい問題があることなのだ。朝鮮半島の人々自体は、その特性が自分から見ていくらおかしいと思っても、それを積極的に非難することは差し出がましいことだと僕も思う。そういう気質が昔からの日本人のものだと思う。
しかし、彼らが、小中高の教科書で日本のことを不当な扱いをしていることは、極めて遺憾であり、これは見逃せないことだと思うべきだ。左翼的な我が国の言論エスタブリッシュメントに迎合して、我が国の教科書が偏向し続けていることはもっと許せないし、愚かすぎると思う。

2019年11月5日火曜日

日本は朝鮮半島に対して「静かな断交」状態を30年間は続けよう


 韓国は文在寅が政権を握ってからは極端な反日攻勢をかけ続けてきた。その結果、能天気な多くの日本の国民も政治家も反韓・嫌韓のトレンドになってきていることはいろんな対応や数字にあらわれている。
 このことは、もし文在寅政権がことの損得からギリギリになって日本政府に軟化政策を取ってきた場合に、日本の政府は以前に近いような甘すぎる対応に戻るのだろうか? 戻るかどうか判らないが、私は戻ってはいけないと書いておきたい。これがここで言いたいことであり、以下はその根拠の一部だ。

 終戦前までの朝鮮民族の品格についてはここでは触れないが、終戦後からの韓国は、一貫して小学校からの教科書における歴史教育に捏造が行われ、「反日」「嫌日」に貫かれている。物心がついたばかりの子供の頃からこういうプロパガンダに貫かれている国だ。大多数の韓国民が基本的に「日本憎し」というのは当たり前だ。これがもう70年の間続いているということは怖ろしいことだ。精神的な反日戦士を大量生産し続けているのでだ。もう2~3世代がこういうスーパーエゴで洗脳され続けているのだ。今、韓国の教科書が妥当なものに書き変わったとしても、その教育を受けた人々がマジョリティーになるのは、30年以上かかることになる。
 それ故、左翼的な金大中、廬武鉉、文在寅の政権のみならず、保守的な全ての政権において反日政策が大なり小なり取られている。保守政権の場合は、政権運営に失敗して支持率が低迷した危機状況の際に、支持率を上げようとして「反日キャンペーン」を必ず選択する。そうすると、支持率が回復するのだ。この点をゆっくり考えてみると、韓国国民自体にこそ、コンセンサスに「反日」が染みついているのだ。個々の韓国の政権の体質がどうのこうのというのも多少意味を持つのだろうが、反日の歴史捏造教育を受け続けているのが韓国国民ということだ。

こういう人たちで成り立つ国と「普通に付き合うことができる」と考える日本人の精神レベルは「裸の王様」状態だ。目の前に「黒いものを」見せられても「白いと思いたい」という低知能状態が、戦後の旧体制の中で主流を占めてきたマスコミ・進歩的な大学人・官僚・政治家・進歩的な人々に溢れている。その頻度ないし影響力は上に挙げた順番に近いだろう。
これは世界に類がない程の精神レベルだと思われる。何故そうなのかは簡単な話だ。日本も60数年間の2~3世代にわたってGHQ指導の歴史捏造による日本民族の「自己否定」洗脳のベクトルの歯止めがないからだ。GHQによる「自国否定」の教育は私の小学校の辺りまではあまり強くはなかった記憶があるので60数年と書いた。GHQの指示を朝日新聞などの新聞社とNHKが(最初はGHQの権力に従わざるを得なかった点もあったかもしれないが)受け容れてからは、次第にその「反日勢力」が朝日新聞やNHKの組織内で主導権を取って数的にもメジャーになっていったことは容易に想像できる。NHKであっても、それらの組織においては経営陣と比べて数的に圧倒的な従業員によって組織された労働組合があるのだから、当初のGHQの先導のもとで誘導された左翼体質が自己増殖的にどんどん強化されていった。HNKの報道内容を眺めてみれば、世界基準からするととんでもない程の「反政府」論調だ。それにもかかわらず、「裸の王様」状態の多くの国民は最近までNHKを政府肝いりの機関と思ってきている。

朝日新聞は大変興味深い。古く、日露戦争で勝った後のポーツマス条約の内容に対して、「多数の戦死者の犠牲を払ってそれだけの賠償か!」という政府非難が巻き起こり東京で暴動まで起きた。実は、それ以上戦争を続けることは日本の財政上無理であったので、早急に戦争の幕引きをせねばならなかったし、それには欧米諸国の応援があったのだ。そういう国際的な状況であったのにどうしてそういう世論になるかというと、新聞が煽っていたのである(一番の影響力があるのは老舗の朝日新聞だ)。真実よりも売り上げを伸ばす方を優先するのはマスコミのDNAだ。つまり、政府よりもマスコミに踊らされた国民が好戦的であったということだ。戦前の外務官僚の資質やインテリジェント機能は現在と比較して相対的に(対外比較的に)遥かに優秀であったと思われる。それは、現在の日本と違い、国益を最重要にしていたから当たり前の話だ。
しかし、大陸に進出したことは日本政府の大いなる間違いであった。福沢諭吉や伊藤博文たちは彼らの経験からそれが分かっていたが、分っていない政治家や軍人や官僚が数で圧倒していた。朝鮮半島やシナ大陸の人々は精神的文化として日本人とは全く違うのであり、日本人の倫理観や生活規範で誠意を込めてすることには見返りがないようなものだった。できるものなら関わらないのが正解であったし、それは現在への教訓なのだ。この辺のところは、最近視聴したユーチューブが大変参考になると思われるので、以下に示しておく。
https://www.youtube.com/watch?v=Yr0wVaCxwLI 2018.08.24
歴史学者・宮脇淳子 朝鮮半島と満州の「なぜ」)
https://www.youtube.com/watch?v=g1_ueUwrRp4  2018.08.22
韓国の「反日」の実態 朝鮮近現代史研究所所長・松木國俊)

マスコミが戦争を煽る流れはその後も続いていた。第二次世界大戦の際に、日本の軍隊がシナ大陸に進出する際には、常に朝日新聞の社旗がその軍隊の周りや見送る国民の中で多数揺れているのを当時の報道映像で普通に見ることが出来る。つまり、政府全体が好戦的であったというのは真実ではなく(政府は満州からの撤退を考えていた)、それは戦後のGHQによって歴史歪曲されたものだ。時の政府には、ハルノートの米国からの開戦圧力だけでなく、マスコミと群衆の好戦圧力が継続的にあったということだと思うものである。その要因には資源の乏しい日本の国民の貧困問題からの脱却への対応というのもあったと思われる。
戦後、朝日新聞が大いに反省して、一転して左翼的になったというのは筋道としてはありうる話だ。しかし、問題は右の極から左の極へ行くなよといいたい。「真実は中道にあるものだ」。そして、朝日新聞、貴方自身が心から反省すればよいだけの話であって、偉そうに庶民を巻き込むなよ、といいたいものだ。しかし、私は、朝日新聞は廃業すべきだったと思う。思想的には財閥解体には根拠がなく、もしGHQが多少ともまともな組織であるならば、朝日新聞の廃業こそすべきことであった。朝日新聞とNHKは戦後のGHQが日本を弱体化し続けるプロパガンダを積極的に流すことを利用するのに好都合だったので利用したのだ。「朝日新聞はどの面下げて戦後のマスコミ界に居直っているのだ」と言いたくなる。なお、毎日新聞はずっと「小朝日新聞」であり続けている。 

 つまり、戦後の我が国もGHQ主導の教科書から始まりマスコミにも洗脳し続けられていて、国家としては、自己否定的で幼児的だ。対外的にはあまり直接の害悪はまき散らさないが、自己アイデンティティがどんどんなくなっていく。対して韓国は、反日を国是としており、自己主張が強いパターンの幼児性が著しい。確かに対日においては信じ難いような主張をし続けているが、対日以外においても自分たちの歴史を知らされていないので、根拠のない自尊心で溢れていて、かつ、その裏返し現象としての劣等感も隠せない。こういう人たちとは「穏やかな断交」を保つのが賢明だ。ただし、韓国が日本に対して根拠の薄い非難をする際には、必ず「静かな反論」をしておき、世界の第三者の諸国にもその旨を明確に主張しておかないといけない。そうしないから日韓両国から遠い諸国は韓国の主張だけを知ることになり、日本が悪いのだと受け取られることになってしまう。戦後の外務省はこういう最低限すべきことを怠り続けて、国益をどれだけ損ねたことか。

2019年8月25日日曜日

韓国は「張り子のトラ」を自覚して「そこそこ」にしておけばよかった


 韓国は8月22日に日韓のGSOMIA(軍事情報包括保護協定)を延長せず破棄することを明らかにした。これは、2016年に締結されたもので、互いの軍事情報を2国間だけに共有して保護しようというものだ。結果的には日米韓の3国の間で、特に北朝鮮のミサイル発射などの状況を把握するのに有意義だというものだった。
韓国は、最近の日本の態度(韓国への輸出に関するホワイト国という優遇措置を取りやめた)への反発(日本は信用できない)としてそのように決めたこと、そして、米国は了承しているなどと政府筋から表明していた。しかし、米国や日本はこれを破棄すると北朝鮮の動きを察知する能力に障害が出るとの懸念を表明していたことになっていたし、韓国がそう決定した後も米国はその決定に反対していたと表明している。少なくとも米韓の表明内容に不一致がある。
日本のマスコミは日米の公式的な表明をそのままその通りに信じており(あるいは、そのような振りをしている)、「朝鮮半島の安全保障に憂慮すべき状態で、日本はなんとか韓国に思い直すように働きかけるべきだ」という風な論評ばかりである。
以前からそうだが、日本のマスコミはどういう事案においても、各国の公式発表が真実だと受け取って、その後の報道や論評をしているようだが(公式見解自体の報道は妥当だが)、毎度本気にそう思っているとしたら、プロフェッショナルとは程遠い「痴呆状態」じゃあないかと思う。どの人物もどの国家も、あらゆる発言には意図が含まれていることが多いのだ。
 
さて、昨年12月に韓国海軍が海上自衛隊の哨戒機にレーダー照射するという大問題を起こし、それを咎めた日本に対して「嘘つき呼ばわり」という非常に失礼な逃げの虚偽態度を続けているが、この時点で、GSOMIAは日本の方から破棄の検討をすべきものだったはずだ。要するに、文政権の韓国は北朝鮮シンパの組織であるので、日本の軍事情報は韓国から北朝鮮に漏れるリスクが高過ぎる。日本の方から破棄を検討するべきなのだ。日本は韓国に言うべきこともするべきことも全然行っていないということに日本政府に怒りを感じる。現実には日本ではなくて韓国の方が破棄を決めてしまった。

ところが、日米の公式見解は額面通りには受け取れないという僕の希望的観測がある。本当のところは、日米両国にはかなり怪しくなった韓国が軍事的・情報的にリスキーな国になってしまったという共通認識が出来上がってしまっているのに違いないと思う。そして、米国は北朝鮮との直接のパイプができつつあるので、米国は少なくとも仮想敵国である北朝鮮と直接談判ができるようになっている。この方が、判りやすい。つまり、韓国の存在意義は米国にはもうあまりないのだと思われる。
韓国は米国がGSOMIAの破棄を本当は事後的に認めるだろうということを事前に信じる楽観的な習慣があったかもしれない。あるいは、米国との接触でそう思う余地を信じるような曖昧なコメントと受け取ったのだろう。日米は、自己中心的で利己主義的で直情的な韓国の方から協定の破棄の行動を起こさせて、日米両国は遺憾であるという表明をするというストーリーを書いて、その通りになった可能性を僕はみる。
ソウルのアメリカンスクールは最近までに閉鎖された。そこには米軍の子弟が通学していたのだ。米軍は韓国から引き上げるプランを実行し始めているようだ。

戦後の朝鮮半島に対する米国の行動には単純思考からは理解出来ないことが多い。そもそも朝鮮戦争は、時の米国国務大臣が「北が南に侵攻しても見逃すだろう」と受け取れるメッセージを発表して、その直後のタイミングで北朝鮮が南下侵攻してきて、朝鮮戦争が始まっている。そして、米国の(国連軍の)司令官であったマッカーサーが北の援軍の中共軍(人民解放軍というアイロニーのような自称をしている)を簡単に撃破する作戦を進言したが米本国が認めなかった。マッカーサーは北に原爆を落とそうとも主張したがトルーマンは許可しなかった。しかし、マッカーサーは原爆は別として、中国から朝鮮半島への補給路になっている河川の橋梁を爆破するという簡単な作戦を進言したが、トルーマン政権が許可しなかったのが摩訶不思議だ。そのために、莫大な数の米国の若い将兵が戦死してしまった。
米国は、朝鮮半島を共産国家との緩衝帯にするように目論んだように思われる。米国の民主党政権のスポンサーであった英国のシティーなどの金融資本の意向を受けていたとも言われている。その後、ソ連の崩壊による脅威の低下と中共の膨張による脅威の増大という一般情勢の変化が起きた。そして、北朝鮮だけでなく、そもそも韓国が近代国家としての内実がないということが、次第に明示されてきたことから、米国主導の南北朝鮮の統一シナリオが米国には描けなくなったと思われる。つまり、ドイツ統一よりもベトナム統一の方の可能性がより現実的になってきたということだ。そして、米国の現在の対中共戦略において、かつての戦争相手のベトナムは重要な協力国になりえている。金正恩とホーチミンとの道徳性には大きい違いがあるとしても、そういう当事国の国内の話は米国にとっては「しばしば知ったことではない」ということは米国の過去の対外政策が明らかにしている。米国の韓国疲れは限界を越した。

戦後の日本を再び強力な主権国家にならないように、日韓両国に常にトラブルがあって、日本の国力の疲弊が適当に存在するのが今までの米国にとってよかったのかもしれない。
つまり、米国にとって韓国という国は、共産国家との緩衝地帯としてと、日本の国力を制限する国としての、そういう意味合いの地域でしかなかったのだと思われる。そう考えてみると、最近までの日韓関係と米国の第三者的な態度を貫いてきたことが何となく分かるような気がする。
しかし、米国が中共は核心的な脅威であると認知した昨今、日米同盟の前提で、日本にもう少し影響力のある国家になってもらおうと米国が舵を切ったのではないかと思われる。日本も米国も面倒極まりない朝鮮半島やシナ大陸には直接関与することは控えて、日本海・東シナ海・南シナ海に中共からの防衛線を設定し直すことが賢明であると僕は思っており、日米両国もそのように思うようになっているという希望的観測をしている。
 そのうちに米国から日本の憲法九条の見直しへの圧力が始まると思うる。外圧があろうがなかろうが、軍隊の保有は独立国家としては当たり前至極のことだ。そういえば、明治維新の頃も米国の外圧で開国が起こった。

韓国は、昨年だったか、日本とのスワップを自分の方から「もう要らない」と延長せず破棄してくれた。これも腹立ちまぎれで後先を考えない韓国の性癖だ。このスワップはもともと日本側に全然メリットのない片務的なものだった。日本政府は韓国に悪態をつかれ続けてきて、実にお人好しといえるが、日本国民の資産の保護に対しては裏切り行為を続けてきたのだ。しかし、スワップがなくなった現在でも、韓国の銀行の決済に対して、日本の銀行の信用保証を与えているのだそうだ。これがなければ、世界の企業は韓国の銀行などと取引きしないことになるという。これも片務的なものだ。
そして、韓国の特定のメーカーは最近まで世界のシェアの先頭を走っていて、国民は自国を先進国と思っているようだが、もともとは労働力が安かったからの産業移転であったに過ぎなかったが、今でも実は「組み立て工場」でしかないのである。核心的な技術やノウハウの開発は米欧日のものに依存しているのでしかない。日本が部品や工作機械を利用させず、円によるウオンの保証をしなくなったら直ちに韓国経済は崩壊してしまう。それなのに、韓国政府だけでなくマスコミに発信できるこの国の人たちは日本に対して上から目線の悪態の限りをつくものだ。これが朝鮮半島の種族の精神構造なのである。そして、これに対して唯々諾々と良い人ぶることを守ることとの引き換えに、戦中にあって必死に日本民族として苦労した人々の名誉を守らないだけでなく、侮辱し続けているというのが大手マスコミを通じて大手を振っている日本人の精神構造なのである。

韓国は、反日教育を含む自国の歴史の捏造を止めて、自国の足らない点を真摯に見つめる機会があればよかったのに、自省も自制もなさ過ぎた。それ故、過去と同様に未来も難しいのではないかと思われる。
 昨年、朝鮮半島問題の専門家である西岡力氏が米国の安全保障の専門家から聞かされた内容は実に怖ろしいことであったそうだ。「我々がこの半島から撤収する時は、焦土化して引き上げる」。朝鮮戦争の直後での撤収であれば、爆弾を落としまくって将にこの通りのことを米国はしたであろう。現在は時代も変わったし、日本に原爆を落としたような非道はしにくい時代となっている。韓国の経済的なインフラを壊滅して去っていくということである。
 この半島の統一ということが物理的に可能になるには、現実的には韓国の経済・生活レベルが北朝鮮のそれに近付くことでしかありえないと思われるが、韓国の「焦土化」は米国にとっても北朝鮮にとっても、奇しくも共通した必要条件となる。現在、北朝鮮シンパの文在寅はそういう作業を確信的に進めているとして韓国の行動を眺めると、実に腑に落ちる気もする。そもそも、韓国は朝鮮戦争における当事者とは認められていないのだから(休戦協定の当事者でもない)、ずっと米国の傀儡政権なのであったので、文在寅の言動はそれなりに理解できる。

最近、「李承晩学堂」という韓国で活動している韓国人自身の歴史学者たちのグループ(李栄薫校長=ソウル大学校名誉教授)が、「韓国の正しい歴史」のような講座シリーズを公開している。日本でもユーチューブで一連の講義を視聴することが出来る(https://www.youtube.com/watch?v=zu3dMjzOgy4 20190703、 韓国の歴史 国民に知らされない真実1 反日種族主義を打破しようシリーズを始めるにあたって) 本当に、自国の将来を思っての韓国の愛国者なのだ。こういう人たちの主張が拡がっていけば、韓国の未来に明るさが見えてくるというものだが、まだまだ、こういう人々は身の危険を感じながらこういう発信をしているのだ。
その内容は、過去の史実に忠実であろうとの努力の成果であり、ほとんどが同意できる内容である。しかも、韓国人が朝鮮民族の将来を祈念しての心からの叫びであるので、僕たちの日本人が今までの韓国を批判するよりももっと深い真実の迫力がある。是非、多くの人がユーチューブを視聴してほしいものだ。
 ただ、李承晩初代大統領を尊敬しているこそのグループの名称であるが、これについては、僕は今のところ驚きと違和感を持っている。彼らの李承晩に対する尊敬の理由は「自主独立」の精神であることは共感できるが、それと表裏一体として、「反日」の精神に貫かれているからだ。この韓国の反日教育というものは、李承晩個人の方針でもあったが、実質上の権力者であったGHQがこの政権に指示ないし容認していたということも言われている。
李承晩が始めた反日の歴史捏造教育が、現在の韓国の不幸の大きな原因であることを考えると、「李承晩学堂」の悲しいような矛盾に内心気が滅入る。しかし、この「講座」では、過去からの日本のあり方に対して概ねは正当に評価している。それが真実であったから当然ではあるが、有難く思うのである。
今年7月、ジュネーブの国連シンポジウムの場で、いわゆる徴用工については、日本人の労働者と同じような扱いであったということを韓国人の大学の研究者である李宇衍氏が証言したという注目すべき報道があった(日本の大手マスコミは目立たないように報道している)。この講座では彼の講義も含まれている。彼は、国連から韓国に帰国してから暴漢に襲われているが幸い大事には至らなかった。

 李栄薫校長は最初の講義の中で、韓国の極めて大きい不具合を「嘘の文化」「種族主義」「反日主義と中国事大主義」だと看破して、これから決別しないと自国に未来はないと自国民に説いている。そして、彼は「崔南善先生が言うには、韓国は建国することにも失敗したし、亡びるのにも失敗した」と、自国民の胸に突き刺さるような言葉を敢えて述べている。こういう人たちがいることを思うと、朝鮮民族の将来が実りの多いものになって欲しいと心から願う気持ちになる。ただ、我々はそういう国になるまでは深入りはしてはならない。福沢諭吉の教訓を忘れないでおこう。

2019年8月15日木曜日

米国は中国をどう扱ってきたか・ 中共は「そこそこ」にしておくのがよかった


 第二次世界大戦がはじまる前において、米国は直接シナ大陸にそれほど権益を持っていなかった。既に、欧州やロシア、そして日本が進出していた後だったからである。ただ、グアム島やフィリピン諸島の統治権を持っていた。
 その頃は既に米国は軍備において強力になっていた日本に対しては厄介者と感じていた。シナ大陸は清国が日清戦争に敗れた後は国民党が勢力を伸ばしてきていた(清国の末裔・溥儀は満州に落ち延びて、日本の加護のもとに傀儡政権といわれる満州帝国を建てていた)。その後、太平洋戦争になる前の時期に、宋慶齢と宋美齢の姉妹はシナ大陸における日本の進出に対する非難の宣伝活動を流暢な英語の弁舌で米国のラジオ媒体などで行っていた(前者は孫文の妻で、後者は蒋介石の妻である。父親はクリスチャンで、ともに幼少時から米国に留学して、米国文化や生活に馴染んでいた)。こういうことも直接米国民に影響も与えたと思われる。また、米国では、中国の舞台で日本軍の残虐行為の筋書きの映画を作って、対日戦争への国策映画を作っている。ここで述べたいのは、対米世論宣伝工作で日本は国民党政権に完全にしてやられていたのだ。日本の暗号はとっくに米国に解読されてもいた。実は、この頃からも、軍事力に負けず劣らず諜報力や宣伝力が重要であったのだが、日本の対外的な総合国力は本人たちが思ってたよりは低かったのだと思う。日清戦争や日露戦争の時までは、少なくとも情報能力はある程度優秀だった。それ以後に劣化していった理由は今の僕には判らない。この劣化こそが、日本を勝ち目のない戦争に突入させた最大の理由だったし、戦争中は軍事作戦の失敗の原因だったし、早期終戦をし損ねたのもこれが大きい原因だった。
 とにかく、この頃から米国はシナ大陸における日本の進出を侵略行為と認定して(じゃあ、シナ大陸で権益を行使していた欧州やロシア(その後、ソ連)は侵略者でなかったのか?アメリカはアメリカインディアンからハワイの人々までを侵略し尽くしたのではなかったか?)、次第に米国の国民感情も日本悪しというようになっていった。開戦直後には日本の移民は強制収容所に入所させるという非人道的なことをしており、このことからも米国が戦争犯罪国であった。そして、米国こそが対日戦争を準備をしていたのだ。
 そして、第二次大戦が始まる頃は、米国ルーズベルト(フランクリン)大統領自身が共産主義にシンパシーを持っていた。それは、よく考えると不思議ではない。共産主義者のアジテートの修辞学は過去も現在も実に優秀であり、単純な頭脳の人間がそれを聞けば、ユートピアを想い馳せて、共感を抱いてしまうのだ。「平和」とか「平等」とかその実現の手立てもなく吹聴するだけなのだ。いかに、そういうことを実現するのかについて真面目にも緻密にも考えないので、その人々が権力者の立場になると、決まって「全体主義」政策を採らざるをえなくなり、その結果は必然的に「戦争」と「不平等」に親和性の高い体制になっているのが現状だ。
当時の米国の与党である民主党には共産主義シンパが多くて、大統領の重要な側近にソ連のスパイが複数いたことが最近までに開示された文書によって明らかになっている。因みに、GHQの米国職員の半数以上は共産主義シンパだったということだ。そういう連中が日本国憲法を数日くらいで作り上げたのだ。

 戦前・戦中から既に米国の世論は日本よりも中国に好意を持つ傾向にあったが、戦後も極東の潜在的な大国の日本と中国(この頃は毛沢東の中国共産党が蒋介石の国民党を台湾に追いやって、シナ大陸の実権を握っていた)との扱いを、中国に好意的に扱うことから始まっている。米国は日本の軍隊には恐怖を味わった後なので当然であった。
 共産主義に対しては、もともとルーズベルトとスターリンとは盟友であったほどである(英国首相のチャーチルは単純な人間ではなかったので、スターリンを警戒していた)。
 太平洋戦争の終戦時は米国は政権を引き継いだ民主党のトルーマン政権時の1950年に朝鮮戦争が始まり、米国を旗頭とする資本主義陣営とソ連と中共を旗頭とする共産主義陣営との冷戦時代に突入した。
 1950年の米国というと、250名という多数の国務省職員である共産党員のリストをマッカーシー共和党議員が暴露告発して以後、米国のソ連離れが始まり、「赤狩り」が始まった。1949年には蒋介石政権を打破した毛沢東による共産党政権が成立し、ソ連の原爆実験が成功するなどの共産主義国家に対する警戒感が湧き出した。日本においても、ここにきてそれまでの左派シンパが多かったGHQにも通達が行き、日本の左翼を泳がせることはなくなって、たとえば日本共産党を非合法化した。
 ただ、この頃の中共の国力はまだまだで、米国はソ連ほどまでは警戒をしていなかった。あるいは、その後、ソ連に対抗するために、中共とある程度の協力を求めようとする姿勢をとることもあった。

 その後の米国はソ連に対しては軍拡競争を仕掛けて、ソ連の経済の破綻を顕在化させて、レーガン大統領とゴルバチョフ大統領の時に一本勝ちをした。もともと二大国ではなく、国力からは米国一強であったのだ。米国は経済力からしてソ連は「張り子のトラ」であることは判っていたという意見もある。
 当時の米国から見れば、中共はまだまだ混乱と貧困の国であり、将来の中共を警戒する気にはなっておらず、まだまだ日本が復活し過ぎることを恐れていたようであった。中共が次第に軍備拡張をし続けていたにもかかわらずである。僕は、それほど米国にとって日本の軍隊や国民の強さの印象が強かったのだと思う。
 そのうちに、世界において国力の重心が経済競争にどんどん移っていったが、米国にとって中共は安い労働力が豊富であり、また人口が極めて多いので輸出先の対象としても非常に魅力のある市場だった。そして、中共が欧米や日本からの援助で国民の生活がそれなりに豊かになった時点で、共産主義を捨てて自分たちの陣営に近寄ってくるのではないかという期待を持っていた。
 だから、最近までに次第に増長してくる中共の覇権主義体質にまるで盲目のようになっていたのだろう。特に、クリントンとオバマの民主党政権は日本と中共とを比較すると明らかに親中共政権であり、この政権が長期にわたっている間には、中共の「やり過ぎに」を気に掛けなかったとみえる。しかし、いろんな製品の海賊版を作ったり、特許を盗んだり、ネット犯罪を起こしたりしていた不道徳国家であることは明らかだった。歴史的事実からは、日本にとって米国の民主党政権は疫病神のオンパレードだ(ウイルソン・ルーズベルト・トルーマン・クリントン・オバマ)だが、米国の大手マスコミはことごとく民主党シンパであるし、その受け売りの日本の大手マスコミも産経新聞以外はことごとく民主党シンパだ。

 ところが、軍事的には東シナ海にある中共の領土といえない南沙島にとんでもない規模の軍事基地の増築し続けており、マラッカ海峡を通るシーレーンに脅威を与え出た。そして、経済覇権的には「一路一帯」プランを立ち上げて、米国に代わる経済圏の主導者になるというあからさまな挑発をし出した。つまり「そこそこ」でなく「やり過ぎ」なのだ。
 無能な民主党政権が共和党のトランプ政権に交代した頃に状況が激変した。新政権はこの「やり過ぎ」を見逃さなかった。
 僕は、日本にとってこそ、中共に習近平、米国にトランプという指導者が現れたことは神からの恵みだったと思っている。習近平は「やり過ぎ」という失敗をしてしまい、トランプはもう少しで取り返しの付かなくなる中共の危険を正しく診断して、何らかの対応の実行をしようとしている。そして、米国に対して「やり過ぎ」の北朝鮮の金正恩指導者と特に日本に対して「やり過ぎ」の韓国の文在寅大統領の出現は、神からの恵みであるように思っている。「やり過ぎ」は失敗の始まりだからだ。しかも、我が国には長期政権で欧米の列強の指導者と伍していける安倍首相が在任中ということも、日本の国益にとって有難い巡り合わせだと思っている。

 第二次大戦後の中共は毛沢東主席が権力者であったが、すぐさまチベット族やウイグル族・モンゴル族の領土などを侵略して自国のものにしている。戦勝国とはいえないが、曲がりなりにも戦勝国側になった中共の不法行為というべきものは見咎められずに現在進行形なのだ。日本のマスコミがこれについてほとんど報道しないことこそ非倫理的で腹立たしい。
 毛沢東はその後は内部抗争に明け暮れ、紅衛兵というまさに私兵的ないい加減な組織を作って利用し、文化大革命を起こして、自分の政治生命を長らえることを図った。ただ、まだ国力は不十分で、日本に対する非難もあまりなかったように思う。韓国のようないじましい国とは少し違い、戦争中の案件における日本に対する賠償は当初から毛沢東政権は放棄している。まだまだ、対外的に考える余裕がなかったこともあったのかもしれない。
(注)日本の敗戦の時点での中国の政権は、まだ曲がりなりにも蒋介石の国民党政権であった。多数の日本人の引き上げ者が無事に帰国できたことについては、当時の国民党政権下での中国人のお蔭であるということを、最近遅まきながら知るようになった。これにひきかえ、ロシア人と朝鮮民族には日本人の多くの引き上げ者が言うのも憚れるような残忍な仕打ちを受けている。2021.06.27追記)

 ところが、毛沢東の死後に政権を引き継いだ鄧小平は実に老獪であった。彼は「政治は共産主義を貫徹するが経済は自由主義にひろげる」とかなんとか言って、いわゆる殖産興業を目指したのである。資金や技術を先進諸国からただ同然で取り入れようということで、この政策は大正解であった。そして、大多数の国民は貧しいが、軍事大国・経済大国に至ってしまった。国際社会もこういう国に対して、ずっと経済途上国の扱いを受けることを容認してきたのであり、日本も、最近までODA(政府開発援助)を与えたりする大馬鹿をやっていたのである。ハニートラップがあったのではないかと思ってしまう。

 現在に鄧小平が生きていたら、習近平のような阿呆な行動はしなかったと思われる。現在もなお超大国の米国が存在しているからだ。鄧小平ならもう後10~20年くらいたって米国が気付いた頃にはもう後の祭りだという頃までは「爪を隠していた」と思われる。習近平は「2025年には軍事的にも経済的にも米国を追い抜く」とぶち上げてしまったのである。僕は、習近平のせいで、中共の世界制覇は夢物語になることに決したと思っている。

 しかし、米国はつい最近まで、こういうような中共よりもなお日本の方に警戒心を持っていた一面があるように思われる。中共が共産主義国家であり、日本は資本主義陣営内であって、かつ、日米同盟があるにもかかわらずそのようであった。その理由は、超大国の米国は、自国以外は「バラン・オブ・パワー」を守りたいのだろう。多くの国の中で米国を軍事的に震撼せしめたのは日本軍が飛びぬけていたのだろうと思う。かなり、中共が強力になってきた時点でも、日本が再び強力になってくることとの天秤に掛けると、中共寄りになってしまうという選択をしたのではないかと思う。
しかし、本当は、日本という国の風土は西欧や中国大陸のような肉食系の文化ではないのだが、米国も戦後七十余年経って多少それが分かってきたのかもしれないと僕は思っている。そして、習近平の言動でやっと、中共を最大警戒の国家と位置付けることになったのだ。ロシアは経済的には問題があるので、中共ほどは脅威に感じなくなったと思われる。しかも、ロシアは曲がりなりにも共産主義を卒業した国なのだ。
 ある意味では、この1~2年は戦後レジームの大転換の最中であり、僕たちはそれを証人として見ているのだと思う。つまり、米国の態度として、戦勝国側の中共と敗戦国の日本との戦略的立場は逆転したということだ。
ただ、トランプ大統領はこの流れの主導権を握っているのだが、対立側の民主党も含めて、米国の議会の多数が中共をそのように位置づけるようになったようである。トランプはそういう意味では時代の子であったということが出来る。
面白いことに、日本のテレビ番組や大多数の大手新聞からは、こういう話はほぼ出てこずに、「トランプは知性のない馬鹿な奴だ」、という情報操作を繰り返しているので、これらのマスコミしか見ない多くの日本の国民は洗脳されている。トランプは柄は悪いが、賢明な指導者だと思われる。もちろん、米国の国益にとってである。国益第一は当然のことであって、これを非難する勢力は国際政治のエネルギーのベクトルがどういうことであるか判らない知能しかない者だと思う。トランプが「自国が第一」と何度も発言しているのは、同時に「貴方の国も「自国が第一」のスタンスでしてください」ということで、自明の理のことを言っているのだ。「国連第一主義」的なスタンスがどの国のためにもならない悪しきグローバリズムに陥っていることへの明確な反旗なのである。トランプは二国間交渉が基本であるとも明言しているが、これもまことに正しいことだと思われる。
 今後、国連機能不全状態に対する反省期に進んで行くと思われるが、これも戦後レジームの転換の一表現だろうと思う。

 とにかく、長期政権の安倍首相と合理的なビジネスマン上がりのトランプ大統領が同時期に日米の首脳であり、二人の個人的な交流が異常に多いといことは日本の国益にとってこそよいことであり、このタイミングで、「やり過ぎ」の習近平と文在寅が中韓の首脳であることは得難い組み合わせの妙だとして、僕は喜んでいる。ただ、僕にとって、金正恩委員長についての評価は一番判りにくい。つまり、彼を米国が最終的にどう扱うかについて今のところ読めない。

2019年8月14日水曜日

米国は日本をどう扱ってきたか・ 日本は「そこそこ」にしておけばよかった

 米国は、清教徒という英国において迫害されていたキリスト教徒(プロテスタントの一派)が1620年に東海岸に上陸してから増殖してきた国家だ。そもそも、今の米国という国の成り立ちは、英国の開拓民がアメリカ原住民に終始戦いを仕掛けて駆逐していったということから始まる。その後、相当数のドイツ系移民やその他の欧州の人々が加わった。当初から黒人の奴隷~奉公人が使用させられている。
その後、母国の英国からの独立戦争(1775~1783年)を経て、1846年のメキシコとの戦争(米墨戦争)で西部の土地を奪取して西海岸にまで到達した。1898年のスペインとの戦争(米西戦争)を経て、カリブ海の諸島の他にグアム島やフィリピン諸島の統治権をスペインから奪取した。さらに、ハワイ王国の崩壊の前後に影響力を及ぼしていた米国は米西戦争のしばらく後に米国に吸収してしまった。アラスカだけはロシアから購入した。
 
 日本が大東亜戦争の際にシナや東南アジア諸国に進出した際、進出・占領を受けた人々の一部が非難するとはことがありえても、今述べたような歴史の米国が日本を非難することなどは滑稽の極みだ。日本の敗戦70数年後においても、なお日本国内にこのような戦勝国のレジームの観念(日本が戦犯国であるという戦後の米国の洗脳)を抱いている人たちは貧しい知能しかないのだと思う。米国がこの洗脳を企てた理由は、東洋人の分際の日本人が西欧人に戦いを挑むとは「怪しからん」という人種差別であると思われる。日本の落ち度は「負けいくさ」をしたことに尽きる。戦勝国なら何も問われることはないのだ。この戦争の前も、現在においても現実はそうなのだ。

日本に2発も原爆(第二次世界大戦の時点でも、非戦闘員の大量無差別殺戮ということは、国際平和条約で明記されていた戦争犯罪である)が落とされた理由はいろいろ議論されていることは承知しているが、大きい要因としては日本が東洋人種であったからに違いないと思われる。ドイツがなかなか負けなかったとしても、開戦時の驚異がしぼんできたドイツには原爆は落とさなかったと思われる。
とにかく、米国はハワイ諸島付近まで西への進出を果たしていたが、その広大な太平洋の先には広大はユーラシア大陸があったが、その手前に日本列島があった。当時の東南アジアは欧州諸国に占領され、シナ大陸は欧州やロシアの列強により割譲をされていったが、米国はまだ直接の進出は出来ていなかった。

米国のペリー提督が幕末の1853年に日本に現れて開港を強要したのは、自国の捕鯨船の燃料その他の補給のために港を提供してほしいためであったに過ぎない。ただし、当初は不平等な通商条約を結ばされた。しかし、英国と仏国が明治維新の際に政治介入しようという思惑を持っていたのとはいささか異なる。国内問題が不安定で、そういう余裕がなかったからのようだ。
そしてその後、欧州や米国の各国は日本からの留学生を受け入れてくれたり教育者を派遣してくれたりして、東洋の小国の発展に好意的に貢献してくれた。そして、日本人の文化や能力についてはスポラディックに評価されていたと思われる。
その後、日清戦争の後の日露戦争の際には、戦費やポーツマス条約において欧州や米国が日本の方に好意的であったので、日本に不利にならないような結果で済んだものだ。もちろん、日本の知力と武勇の成果でもあったことは確かである。この頃までは、米国は(たとえ東洋人種への差別意識がそれなりにあったとしても)日本に対して好意的であったと思われる。

僕は、最近までに、この頃からの近代のことを書き記した書物をいろいろ読み足していく従って、日本は第一次世界大戦後から米国から邪魔な国家だと思われるようになったということを知った。余談だが、その長い歴史は令和時代になってやっと払拭される可能性が出てきたという感触を今持っている。
日本は、あの栄光の大英帝国と日英同盟を結ぶようになった。今から思っても、この事実は驚くような快挙だったと思う。ロシアに対する利害が共通していたのだろう。そして、その状況の時に起こった第一次世界大戦(この戦争は基本的には欧州が主戦場だった)では、同盟国の要請でやむを得ずにロシア出兵を行ったりして、戦勝国の立場になった。大戦後の1919年のパリ平和会議によって、ヴェルサイユ条約が締結された。 この会議は影響力の大きくなった米国のウィウルソン大統領が議長として主導権を握っていた。
この会議において、日本は「人種差別撤廃」の議題を提出したことは現在の日本国民は知っておかないといけない。この時点では、欧州の列強がアフリカ・中東・アジア・アメリカを占領しまくっていた時代である。僕は、この日本の行為が政治のパワーゲームにおいては拙かったのであると思う。
もちろん、この「人種差別撤廃」は素晴らしい主張であり、日本の政治・文化の風土と歴史があったからこその立派な主張だったと思われるが、これは、当時の西欧列強にとっては「過激過ぎる主張」であったはずだ。この立場表明により、これ以後の世界の指導者にならんとする米国は日本を厄介者と扱うようになったと思われる。なお、この動議は賛成多数を得て採択されるべき状況だったが、議長の米国・ウイルソン大統領が議長職権を行使して、「この重要過ぎる議題は全員一致が必要だ」といって否決して終わっている。僕たちは小学校の歴史で、国際連盟はウイルソンが提唱したもので、なんだか立派な人物として習ったが、決してそうではない。しかも、勝つはずのなかった米大統領選で英国のユダヤ系財界からの多大の援助を得て当選していたので、その操り人形であったという点があったらしく、政治信念が平和主義であったというのも疑わしい。

第一次大戦後には、敗戦国のドイツの領土であった太平洋にある南洋の諸島を日本の信託統治として任された。この時点で、米国にとって、太平洋の西側は千島列島―日本列島―沖縄諸島―台湾―南洋諸島という日本領土のアーチがシナ大陸やインドシナ半島方面への手前に塞がる状況だったのである。台湾と南洋諸島の間だけは日本領ではないフィリピン諸島(米西戦争の結果、当時は米国に統治権があった)が挟まっていた。こうした地政学的な状況も、米国にとって日本は厄介者と思われるようになったと思う。つまり、欧州の列強にとっては日本はただの遠い国に過ぎなかったが、米国こそは太平洋において対峙していたのである。
パリ会議は欧州の戦後処理が議題であったが、米国はシナ大陸などの権益に関わる案件についても議論をしなければならないということで、1922年にワシントン会議を招集した。日本が大戦の間隙の中で膨張してきたことに米国が危機感をもったからだ。この会議の時に日英同盟は更新せずに解消する運命になった。それは米国が日英同盟の存続が英米間の緊張につながることを恐れて、英国に破棄するように圧力をかけた。英国にとってはロシア帝国とドイツ帝国が崩壊した状況からは日英同盟の必要性は少なくなったのだが、存続の選択に異存はなかったのかもしれない。ただ、英国も米国との海戦につながるような因子は解消した方がよいという一点で最終判断をしたのだろう。とにかくは、米国の意思が日英同盟を終わりにさせた。

真珠湾攻撃が第二次大戦における日米開戦の時ではなく、ハルノートの時点で既に米国の経済封鎖発動ということで実質上始まっていたという認識が、米国の極秘資料の公開が相続くことにより確かなものになりつつあるのが最近のことである。米国の方が着実に開戦の準備をしていたのだ。最近は、ルーズベルト大統領が日本との戦争を仕掛けたという資料が出回るようになっている。
しかし、それよりずっと以前の第一次大戦の終戦直後からの上記の状況が、米国をして日米開戦に向わせる一般状況であったと診断することができる。

では、日本は最後の敗戦を避けることができたのであろうか? 日米開戦は普通であれば避けられなかったかもしれない。それは米国の方の意思であったからだ。ただ、日英同盟の破棄と日独伊三国同盟の締結が決定的に拙いことであったと思われる。

それはそうだと思うのであるが、ここでは違った側面から考えてみた。結論は、戦争は避けられたかも知れない。日本は「やり過ぎた」と思う。「そこそこ」で様子をうかがっておればよかった。
領土については、千島列島から台湾、そして南洋諸島という回廊で上出来とすべきだった。当時のシナの状況はカオス的な政治状態で、コミットを深めた日本も翻弄されるようになってしまった。大陸への進出が身の程知らずであったということだった。たとえば、大本営が駄目だったのか、関東軍が悪かったのかという議論がずっとされてきたが、どちらの意見や主張にはそれなりの根拠があったのだと思う。本部と現場が遠すぎて、特に現場から大本営の方への情報のフィードバックが伝わっていなかったのだと思われる。ただ、大本営は現場からの具体的な情報を十分に知ろうとしなかったかもしれない。とにかく、日本の進出版図が管理できる範囲を超えていたのだ。

 また、ワシントン会議のサテライトであったワシントン軍縮会議で決められた各列強の軍艦の割り当て比(米英日仏伊がそれぞれ、5:5:3:1.671.67については、日本にとっては無念の結果だったとなっている。しかし、世界の3番目の海軍勢力を容認されていたのだ。米国の方もこの辺で妥協していたのだ。西欧列強の中のこれは「そこそこ」で上出来でよかった。なにせ、相手は白人の列強国ばかりだったのだ。最近でも、イラク戦争などを身近にニュースで体験すると、欧米諸国の強靭さが分かるというものだ。
そして、当時、西欧列強は異分子である東洋人種の日本人の能力が多分次第に恐ろしくなっていったのだろう。

「そこそこ」で様子を見ていて、当時の米国にある程度は「ヘイヘイ」「ハイハイ」と言っておればよかったのだろうと思う。そうしたら、それなりの扱いを受け続けていたかもしれない。そうしなかったので、日本は太平洋戦争に負けた結果、最近まで米国に完全に「ヘイヘイ」「ハイハイ」してきたのである。
もし日本が自信過剰にならなかったら、現在までの日本は全然違った発展・成長をしていたかもしれない。その代わり、東南アジアの諸国の独立は何時になっていたかわからない。日本がインドシナに侵攻したのが契機で独立できたわけだから。

米国は自国の戦勝後に日本の戦争犯罪に関する東京裁判を開いた。そして戦争犯罪人として日本の指導者を絞首刑に処したりした。この裁判は「違法」であった(当時も現在も、「事後法」は「違法」である)。何故、このような無理やりの裁判を開き、憲法九条を含む国権無視の今の日本国憲法を押し付けたのか。その理由は、やはり先程述べたように、東洋人種であるにもかかわらず末恐ろしい日本民族を二度と米国に立ち向かわないようにしておこうと考えたのだろう。それは、見事に成功を収めている。その当時の米国GHQが行った洗脳思想についての現在の日本人代弁者が左翼ないし似非文化人というのは、本当に残念を通り越して喜劇である。

しかし、朝鮮戦争の勃発後に、米国は日本に共産勢力の防波堤としての機能を認識して、日本に対してのネガティブな姿勢は多少は減少していった。さらに、米国はGHQによる日本統治の経験で、日本民族の非常に従順で温和な民族性をやっと実感するようになっていった。そして、日本は軍備を米国に依存しながら、当然の資質から経済大国になっていった。そして、一時は米国に続く世界第二位の経済大国に上り詰めた。
僕は、今度は経済活動の面で、第一次大戦後と同じような間違いを日本が犯したと思う。それは、日本の企業が米国の誇りであるエンパイアステートビルを買収したことに象徴している。それまでに、これは仕方がなかったにしろ、日本の車が米国の顔である自動車産業の誇りを傷付けていたこともあった。米国に対して「そこそこ」を逸脱して有頂天になり過ぎたのである。米国は今度は経済において、日本の経済による世界制覇の勢いに危機感を抱くようになった。「軍事力と情報力を半人前にさせて安心していたら、今度は経済力で攻めてきた」ということだ。
この後、1985年のプラザ合意により、輸出抑制の方便としての円高を誘導するよう圧力を掛けられて、その後の日本の経済は勢いを失っていったといわれる。しかし、今の韓国と同じく、自国の経済を輸出に依存し過ぎていた構造がまともではなかったと僕は思う。やはり、合意の方向の通り、適度の「内需」が重要だったのだ。しかし、日銀・政府の対策は拙速で、地価が暴騰してバブル景気となった(現在の中共では猛烈な地価バブルが生じているらしい)。「内需」の主力が土地売買ということが不健全の極みなので、その後に重病を発症することは自明の理だと思うものだ。それに対する引き締め政策(公定歩合の急激な引き上げに続き、不動産の総量規制や種々の土地所有関連の税金の強化)がもっと拙速で、それで急激なバブル崩壊を起こした。医療に置き換えれば、医学の文言だけ覚えて、患者の生理反応の速度や程度を斟酌せずに薬物を投与して、血圧や脈拍が乱高下してしまった(医療の場合では死んでいる程度)ということだろう。日銀や政府は「治療が下手で乱暴」であったということだ。

さて、令和という元号になったが、たまたま今は、日本が最浮上するかどうかの重要なタイミングであるとの根拠がある。それは、今度は、中共と韓国が間違いを起こしたからだ。両国はもともとオカシカッタが、今や「そこそこ」はまったくなくなり「やり過ぎ」まくりになった。ただ、韓国は中共と比較する程の国力が全然ないので、事の重要性は低いのだが、習近平と文在寅とに「そこそこ」が全くなくなった言動が同時期的に起こったことは、非常に興味深く思っている。これらの反面教師のお蔭で米国をはじめ世界の多くの国々が、相対的な日本のまともさに気付いてくれるようになるだけでなく、対中共や対韓国に対する比較的厳しい対応をしてくれることになって、日本の立ち位置が改善されることになるという期待ができる。
しかし、日本が「そこそこ」の戒めを忘れないだけでなく、世界標準の成熟した姿勢で自らの国の権利を守らなくてはならないことが必要不可欠だ。「隣国とは友好第一」「戦争絶対反対」「再軍備反対」などの幼児的で空虚で国益を一切考えない世界市民イデオロギー(他国に利用されるだけのグローバリズムであり、現実には戦争を仕掛けられるリスクが極めて大きくなる)から抜け出さないと再浮上は無理だろう。
第一に他国から攻められることがないこと、第二に他国に攻めることのないように、ということは国家として実際に一番重要なことである(我が国の似非文化人は、世界標準と全く異なり、第一と第二の順番が違うのであるが)。第一と第二との重要性は相当の開きがあってしかるべきだ。このことを担保する最大のノウハウが、世界標準の成熟した国際感覚なのだと思われる。つまり、「隣国とは友好第一」「戦争絶対反対」「再軍備反対」の題目を唱えているだけでは、日本の領土は少しずつ隣国に持っていかれることになる。特に、近い将来、米国が西太平洋への関心をなくすようなことがあれば、その時点で間違いなくそうなってしまう。
(①)米国と仲良くしてもらって(米国の子分)、軍備や情報機能(スパイ対策など)を不完全のままでしのぎ続ける。(②)米国の子分をやめて、軍備や情報機能を普通の先進国レベルに上げる。(③)米国の子分でいながら、軍備や情報機能を普通の先進国レベルに上げる。(④)米国の子分をやめて、かつ、軍備や情報機能に力を入れない。
の4択ならば、成熟した国際感覚では③しかないはずだ。ここでいう成熟した国際感覚とは、なにも思想的に立派なことというのではなくて、沢山の国民の安全を守る立場の政府ならば、左右のイデオロギーではなくて現実的な対応をせねばならないという、当たり前の感覚を指している。
④は日本の「世界市民」イデオロギーのシンパだけが主張しているだけなので、阿保らしい以外の言葉はない。①は今の日本の状況で、それが危うい状態であることはすぐ前の文節で述べたとおりだ。②は第一次世界大戦後の日本の状況で、身の程知らずで非常に危険である。つまり、当面は、否が応でも、超大国の米国が君臨しているのだ。日本の国益(つまり、これは日本人の益である)からすると、米国の傘の下にいることが有利だということだ。米国が中共よりも倫理的であるからというのが拠り所ではない。ただ、幸いなことに、米国政府の方が共産中国の指導部よりも相対的に倫理的に遥かにましである。

2019年5月15日水曜日

憲法に「高校の授業料免除」を書き入れようとする愚かさ


授業料免除を憲法に書き入れたいと(日本維新): 僕は、多くのことで、大阪維新の会や日本維新の会に期待しているものだ。その「日本維新」は、今後の憲法改正の際に、公立だけでなく私立高校の授業費の免除を書き入れたいと主張していると聞いた。
「憲法」は最小限度の理念あるいはそれに不即不離と思われる若干の具体的なものに限っていなければならないと思う。そうでないと、後世の国民が不都合な縛りを受けるリスクが問題になるからだ。もちろん、不都合になれば、その都度、憲法を改正すればよい。日本以外は頻繁に憲法を改正しているのが現状だ。ところが、日本ではそうではないので厄介なのだ。
「私立高校の授業料のような具体的過ぎるような案件を憲法に書こうとするなど、いわゆる左翼の似非文化人やイデオロギストのような真似をしてはいけないと思う。「日本維新」はもっと、地に足をつけている政党ではなかったのかな。既に国民が教育を受ける権利については憲法に明記されている。公平に受けるべきという理念が入っているのであろう。しかし、同一的な意味での平等ということを一般法律であってもアプリオリに正しいものと決めつけてはならない。その時々でのその国の経済状態や生活状態にあった対応が必要なのだ。
「教育を受ける権利」→「授業料の免除」の筋道は判りやすい図ではあるが、そんなことは義務教育であっても論理上の証明ではない(権利=無料ではない事例は多過ぎる)。しかも、高校はもう義務教育でもないのだ。因みに、高校を義務教育化する考えに僕は若い時から反対だ。早くから職人や農業という技術者の訓練を受ける人たちも素晴らしいと思う。その人たちが途中で必要性を見つけた場合に、その時点で学校にも行くというようなフレキシブルな社会を行政が作ることこそ大切だと思う。
公立高校の授業料も別にあまねく免除にすることがよいとも僕は思っていない。貧困でないものからは授業料を徴収する正義もあるのだ。あまねく無料というのは浪費性向と無料で当たり前という権利意識という悪影響を精神に与えるものだ。本当に経済的に困る人々には、別の個別的(奨学金・補助金など)対応をする方が良いと思うものだ。受給することを恥ずかしいと思う必要はない。それは贅沢とも言いうるものだ。一方、受給を当然と思う精神や、あまねく授業料免除が当たり前だという精神の方が恥ずかしい。誰の資金か?国民の税金なのだ。
いろいろマスコミが好きなことを流しているが、今の日本の世相を概観すると、今の日本は、実は、やはり金満の国だと感じる。この精神に慣れていく我が国の将来に立派な未来はあるのだろうか。どの国でもどの時代でもそれなりの裕福と貧乏が混在するが、現在の日本はかつてない程の世界の中でも非常に貧富の差の小さい国であることは数多くの事実が示している。特に極貧が少ないと思われる。これ以上、「贅沢」を張っては罰が当たるのではないか。
その現状を否定して、なお「人間みな全く平等に扱われる権利がある」と声高にいっているのは主に、社会主義イデオロギーの面々であり、または西欧有力国が主導する国連などの機関の面々であるが、そのどちらもが、その実現してきた社会は日本と違って、貧富の差が激しいことが避けられない構造なのであったし、今後もそうなのである。ソ連邦・北朝鮮・中共をみたら社会主義という思想は「全体主義国家」にならざるを得ないことを示している。そうすると極貧が数多く生まれてくる。これは誰にでも判るはずの歴史の教訓である。
日本の良いところを既に世界に示しているのではないのか?