2019年12月5日木曜日

隣国たちのことより日本がおかしい:中共に利他行為をしてはいけない

第一次世界大戦後から米国は最大の強国になってきていたが、そのまま、米国だけが超大国であり続けている。「もう米国も弱体化してきている」という諸点は指摘され始めているが、今後もかなりの長期間にわたって超大国の立場を維持するだろう。このブログの15・16.17号で、日本・中共・韓国の3国が自らの実力を過信して米国からの離反や反撃をするという愚行をしたのが大問題であったということを述べた。なお、第二次世界大戦後の日本は、とにかくこの超大国との同盟国の立場であるが、このことは、当面の生き残りにとって非常に有利な点であり続けていると思うべきだろう。
最近の私のような保守的な立場の人たちのユーチューブ・チャンネルでは、米国にたてついた中共の経済が破綻しそうだとか、GSOMIAの件で米国にたてついた韓国はもう破滅だろうという趣旨の記事が溢れている。そして、「留飲を下げた」とか、「ざまあみろ」という感じのものが多い。それらの事実認識において、僕も多少は同感のことは少なくない。しかし、大切なことは、「この世界情勢の時に日本はどういう対応をすべきか」の方に精神のベクトルを向けることであるべきだ。しかし、それが疎かになっているように思われる。
ブログの15号で述べたように、日本は戦前だけでなく戦後の経済戦争(頑張ったら、そうなってしまっていた)においても、米国に自国を脅かす国であるとの認識を持たれてしまって、我が国にとっては実に理不尽な経済的要求を突き付けられた。それを境に日本は生産・産業体制がズタズタにされて、米国だけでなく近隣の中共・韓国・台湾に種々の生産業種でトップの立場を追われることになって久しいのだ。このアジアの三国には「漁夫の利の立場」と「生産ノウハウを日本から容易に入手できることができた」という二点によって経済力を一気に上げることができた。
日本が、図らずも米国とモロに「経済戦争」をしてしまったという失敗だけでなく、国を挙げて「隣国への技術流出を防止する」という努力を怠ったことこそ、「過去の教訓」ではないのかと言いたい。当時は、吾が政府はこういう国益にまったく能天気であり、個々の企業も自企業の刹那の利潤確保しか念頭になく、国益や従業員への考慮が結果的に欠如していた。

このことは、今の日本の状況とまさに同じではないか! この1~2年の間にトランプ政権の米国は覇権を目指すことを明言してしまった全体主義国家の習近平政権の中共に対して「最後の覇権争い」をしなければならなくなったという決意を世界に対して宣言したのである。この方針はもうトランプの個人的な方針ではあらずして、与党・共和党もも野党・民主党もこの点においては一致し出したのである。それまで、もともと米国とは距離を置いていて中共と利益共存したいと目していた欧州諸国も、最近は中共と距離を置く姿勢を明らかにしてきたばかりの時点である。しかるに、日米同盟関係にあるにもかかわらす、日本においてはなおも中共への企業進出や合弁事業を発表したりしている。来年には習近平を国賓として迎えようとしている。米国はウイグル民族への中共政府の弾圧に対して遅ればせながら非難を強化し出して、また香港への北京政府の弾圧にも非難を明らかにしているこの時点にである。
一応は盟友ともされている安倍首相とトランプ大統領との間にどういう実際の意見交換があるのかは誰にもわからないことだが、たとえ僕が現安部政権に対して斟酌をするとしても、日本の現政権や日本企業の全体主義国家を露わにしている中共への利他行為は、「世界に誤ったメッセージを与えるに十分である」と非難しなくてはならない。そして、日本も現時点の唯一の超大国の米国から手厳しいしっぺ返しをくらう覚悟をせねばならないという馬鹿げた状況なのだと警告しなければならない。

ところで、数年前から田中角栄元首相を評価した単行本が数編出回っている。政権当時も「今太閤」としてもてはやされたが、ロッキード疑獄で有罪のまま亡くなられた。人心扱いの妙とか強大な派閥権力の座に上り詰めたストーリー性について考えると、僕のような凡人には及びもつかない「立派な人だ」と思う部分もないことはない。しかし、重要なのは、内政もさることながら、「国際政治の中での日本の首相として何を考えてどう行動したのか」であるべきだろう。国際政治家としての資質があったとは僕には思えない。
事実として彼はロッキード事件で日本の裁判所にて収賄罪で有罪を受けた。これは米国の議会のなかで資料が何故か急に表に出てきたものであった。この裁判事件は米政権というトラの尾を田中角栄が踏んだ結果、米国に仕掛けられたのだと言われている。それは、米中国交回復よりもわずかでも早く日本の独自外交として中共と率先して経済を中心とした共存関係を結ぼうとしたためだろうと思われる。後述するニクソンショックに対する意趣返しだったのだろうか。戦後の憲法のもとの日本国は「一人前」ではなく、米国の庇護を必要としているので、それは身の程知らずだったのだ。米中に対する「両天秤」、あるいは韓国お得意の「事大主義」の臭いがするともいえるのかもしれない。
ただ、この頃は米国の方も中共政権を認知することを明らかにしていた(佐藤栄作政権の時に、国連の場で米国や日本の反対派が少数派となり中共が正式承認されたのだが、米国はその後速やかに方針転換をして、日本の頭越しにニクソン大統領と毛沢東が友好会談を行ったニクソンショックということがあった。当時の米国は泥沼のベトナム戦争をもう止めたかったし、ソ連との勢力争いの最中でもあり、まだ国力の今ほどでない中共と近寄るメリットを考えだしていた。日本嫌いのキッシンジャーという共和党政権の黒幕が絵を描いていたと言われている)。
そのような当時の状況と比較した場合、現安倍政権が米国の意向を忖度せずに習近平政権と近づくことの方が田中政権の場合よりも米国からしっぺ返しを食らう蓋然性が高いという理屈になる。日本の中共への進出企業に対してもその後米国からの無法な制裁を受けることになるかもしれない。

さらにその後、天安門事件を契機に西欧諸国がこぞって中共への制裁を続けていた時に、日本が率先して中共に近づき、海部俊樹首相が北京訪問し、次の宮沢内閣の時に天皇陛下訪中まで断行して、中共を国際社会へ復帰させる「露払い」の役割を行った。これらの政権は田中角栄が作り上げた大派閥の傀儡的なもので、田中角栄の親中遺産なのだと思われる。そして、この遺産はいまだに自民党員なおみならず野党人脈や官僚に引き継がれているのである。この日本の親中行動が全体主義国家であることを隠せなくなった中共の軍事経済発展の再出発を加速してきたのだ。
安倍政権の日本は、またもや、全体主義国家であることを隠そうともしなくなった中共の窮地を救う行為をしようとしている。
この中共という国だけでなく、日本以外のどの国も外交政策の方程式の解は「その時点での因数そのもの」で決めるのであって、過去の「温情のお返し」や過去の「恨みに対する仕返し」では実はほとんど決まっておらないのが大まかな事実なのだ。どれほど、恩を売ろうとしても、それが将来の投資になるものではない。韓国のような国は例外的にひどい国だが、このことは大多数の国においてそうなのだ。
日本の外務省や外交政治家は日本国内の巷間では普通に成立しているこういう「日本式の節度ある態度をすべきだ」というイデオロギーから決別できない程の単純で軽薄な精神構造だと思われる。「似非文化人」・「お花畑的良い人」というキーワードに集約されるような愚かな考えが今の日本国内のあらゆる社会現象において席捲している。これらは個人だけの話なら微笑ましいものだが、個人を越えた人間同士のイッシューになってくると正しくもない。それでも、日本人の間での付き合いの範囲では実害が少なくて微笑ましいことである場合が多いのかもしれないが、国際関係ともなれば、こういうお花畑的感覚は自らにとって有害であるだけでなく、他者にとっても害悪のもとになる。そして、かえって、のっぴきならない紛争へと転化してしまうリスクを僕はみている。戦後の日韓関係が将にそのことを証明している。
今述べたことがもし的を得ていないとしたら(つまり、政治家や官僚は、そこまで馬鹿ではなかろうという場合は)、親中の彼らは中国進出志向の日本企業からの金銭面や選挙上での見返りを受けているのか、あるいは中共の情報機関からそういう不正構造の秘密を握られてしまっているのか、さらにハニートラップにかかってしまっているのか、ということが本当に疑われる。
橋本龍太郎元首相も中共のハニートラップにかかったといわれている。日本のマスコミが大きいスキャンダルにしなかった理由は、相手が左翼マスコミの好きな中共だったからなのかと思ってしまう。中国現地企業で働く日本人の職員へのハニートラップ攻勢は稀な話ではないと言われている。なお、中共が握ってしまった政治家・官僚や企業経営者・従業員のスキャンダル的な事案は「世間にばれた」時点で、当該人物は役立たずになるらしい。「ばらすぞ」と恫喝を掛けている時に使い勝手があるということだ。

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