2019年8月15日木曜日

米国は中国をどう扱ってきたか・ 中共は「そこそこ」にしておくのがよかった


 第二次世界大戦がはじまる前において、米国は直接シナ大陸にそれほど権益を持っていなかった。既に、欧州やロシア、そして日本が進出していた後だったからである。ただ、グアム島やフィリピン諸島の統治権を持っていた。
 その頃は既に米国は軍備において強力になっていた日本に対しては厄介者と感じていた。シナ大陸は清国が日清戦争に敗れた後は国民党が勢力を伸ばしてきていた(清国の末裔・溥儀は満州に落ち延びて、日本の加護のもとに傀儡政権といわれる満州帝国を建てていた)。その後、太平洋戦争になる前の時期に、宋慶齢と宋美齢の姉妹はシナ大陸における日本の進出に対する非難の宣伝活動を流暢な英語の弁舌で米国のラジオ媒体などで行っていた(前者は孫文の妻で、後者は蒋介石の妻である。父親はクリスチャンで、ともに幼少時から米国に留学して、米国文化や生活に馴染んでいた)。こういうことも直接米国民に影響も与えたと思われる。また、米国では、中国の舞台で日本軍の残虐行為の筋書きの映画を作って、対日戦争への国策映画を作っている。ここで述べたいのは、対米世論宣伝工作で日本は国民党政権に完全にしてやられていたのだ。日本の暗号はとっくに米国に解読されてもいた。実は、この頃からも、軍事力に負けず劣らず諜報力や宣伝力が重要であったのだが、日本の対外的な総合国力は本人たちが思ってたよりは低かったのだと思う。日清戦争や日露戦争の時までは、少なくとも情報能力はある程度優秀だった。それ以後に劣化していった理由は今の僕には判らない。この劣化こそが、日本を勝ち目のない戦争に突入させた最大の理由だったし、戦争中は軍事作戦の失敗の原因だったし、早期終戦をし損ねたのもこれが大きい原因だった。
 とにかく、この頃から米国はシナ大陸における日本の進出を侵略行為と認定して(じゃあ、シナ大陸で権益を行使していた欧州やロシア(その後、ソ連)は侵略者でなかったのか?アメリカはアメリカインディアンからハワイの人々までを侵略し尽くしたのではなかったか?)、次第に米国の国民感情も日本悪しというようになっていった。開戦直後には日本の移民は強制収容所に入所させるという非人道的なことをしており、このことからも米国が戦争犯罪国であった。そして、米国こそが対日戦争を準備をしていたのだ。
 そして、第二次大戦が始まる頃は、米国ルーズベルト(フランクリン)大統領自身が共産主義にシンパシーを持っていた。それは、よく考えると不思議ではない。共産主義者のアジテートの修辞学は過去も現在も実に優秀であり、単純な頭脳の人間がそれを聞けば、ユートピアを想い馳せて、共感を抱いてしまうのだ。「平和」とか「平等」とかその実現の手立てもなく吹聴するだけなのだ。いかに、そういうことを実現するのかについて真面目にも緻密にも考えないので、その人々が権力者の立場になると、決まって「全体主義」政策を採らざるをえなくなり、その結果は必然的に「戦争」と「不平等」に親和性の高い体制になっているのが現状だ。
当時の米国の与党である民主党には共産主義シンパが多くて、大統領の重要な側近にソ連のスパイが複数いたことが最近までに開示された文書によって明らかになっている。因みに、GHQの米国職員の半数以上は共産主義シンパだったということだ。そういう連中が日本国憲法を数日くらいで作り上げたのだ。

 戦前・戦中から既に米国の世論は日本よりも中国に好意を持つ傾向にあったが、戦後も極東の潜在的な大国の日本と中国(この頃は毛沢東の中国共産党が蒋介石の国民党を台湾に追いやって、シナ大陸の実権を握っていた)との扱いを、中国に好意的に扱うことから始まっている。米国は日本の軍隊には恐怖を味わった後なので当然であった。
 共産主義に対しては、もともとルーズベルトとスターリンとは盟友であったほどである(英国首相のチャーチルは単純な人間ではなかったので、スターリンを警戒していた)。
 太平洋戦争の終戦時は米国は政権を引き継いだ民主党のトルーマン政権時の1950年に朝鮮戦争が始まり、米国を旗頭とする資本主義陣営とソ連と中共を旗頭とする共産主義陣営との冷戦時代に突入した。
 1950年の米国というと、250名という多数の国務省職員である共産党員のリストをマッカーシー共和党議員が暴露告発して以後、米国のソ連離れが始まり、「赤狩り」が始まった。1949年には蒋介石政権を打破した毛沢東による共産党政権が成立し、ソ連の原爆実験が成功するなどの共産主義国家に対する警戒感が湧き出した。日本においても、ここにきてそれまでの左派シンパが多かったGHQにも通達が行き、日本の左翼を泳がせることはなくなって、たとえば日本共産党を非合法化した。
 ただ、この頃の中共の国力はまだまだで、米国はソ連ほどまでは警戒をしていなかった。あるいは、その後、ソ連に対抗するために、中共とある程度の協力を求めようとする姿勢をとることもあった。

 その後の米国はソ連に対しては軍拡競争を仕掛けて、ソ連の経済の破綻を顕在化させて、レーガン大統領とゴルバチョフ大統領の時に一本勝ちをした。もともと二大国ではなく、国力からは米国一強であったのだ。米国は経済力からしてソ連は「張り子のトラ」であることは判っていたという意見もある。
 当時の米国から見れば、中共はまだまだ混乱と貧困の国であり、将来の中共を警戒する気にはなっておらず、まだまだ日本が復活し過ぎることを恐れていたようであった。中共が次第に軍備拡張をし続けていたにもかかわらずである。僕は、それほど米国にとって日本の軍隊や国民の強さの印象が強かったのだと思う。
 そのうちに、世界において国力の重心が経済競争にどんどん移っていったが、米国にとって中共は安い労働力が豊富であり、また人口が極めて多いので輸出先の対象としても非常に魅力のある市場だった。そして、中共が欧米や日本からの援助で国民の生活がそれなりに豊かになった時点で、共産主義を捨てて自分たちの陣営に近寄ってくるのではないかという期待を持っていた。
 だから、最近までに次第に増長してくる中共の覇権主義体質にまるで盲目のようになっていたのだろう。特に、クリントンとオバマの民主党政権は日本と中共とを比較すると明らかに親中共政権であり、この政権が長期にわたっている間には、中共の「やり過ぎに」を気に掛けなかったとみえる。しかし、いろんな製品の海賊版を作ったり、特許を盗んだり、ネット犯罪を起こしたりしていた不道徳国家であることは明らかだった。歴史的事実からは、日本にとって米国の民主党政権は疫病神のオンパレードだ(ウイルソン・ルーズベルト・トルーマン・クリントン・オバマ)だが、米国の大手マスコミはことごとく民主党シンパであるし、その受け売りの日本の大手マスコミも産経新聞以外はことごとく民主党シンパだ。

 ところが、軍事的には東シナ海にある中共の領土といえない南沙島にとんでもない規模の軍事基地の増築し続けており、マラッカ海峡を通るシーレーンに脅威を与え出た。そして、経済覇権的には「一路一帯」プランを立ち上げて、米国に代わる経済圏の主導者になるというあからさまな挑発をし出した。つまり「そこそこ」でなく「やり過ぎ」なのだ。
 無能な民主党政権が共和党のトランプ政権に交代した頃に状況が激変した。新政権はこの「やり過ぎ」を見逃さなかった。
 僕は、日本にとってこそ、中共に習近平、米国にトランプという指導者が現れたことは神からの恵みだったと思っている。習近平は「やり過ぎ」という失敗をしてしまい、トランプはもう少しで取り返しの付かなくなる中共の危険を正しく診断して、何らかの対応の実行をしようとしている。そして、米国に対して「やり過ぎ」の北朝鮮の金正恩指導者と特に日本に対して「やり過ぎ」の韓国の文在寅大統領の出現は、神からの恵みであるように思っている。「やり過ぎ」は失敗の始まりだからだ。しかも、我が国には長期政権で欧米の列強の指導者と伍していける安倍首相が在任中ということも、日本の国益にとって有難い巡り合わせだと思っている。

 第二次大戦後の中共は毛沢東主席が権力者であったが、すぐさまチベット族やウイグル族・モンゴル族の領土などを侵略して自国のものにしている。戦勝国とはいえないが、曲がりなりにも戦勝国側になった中共の不法行為というべきものは見咎められずに現在進行形なのだ。日本のマスコミがこれについてほとんど報道しないことこそ非倫理的で腹立たしい。
 毛沢東はその後は内部抗争に明け暮れ、紅衛兵というまさに私兵的ないい加減な組織を作って利用し、文化大革命を起こして、自分の政治生命を長らえることを図った。ただ、まだ国力は不十分で、日本に対する非難もあまりなかったように思う。韓国のようないじましい国とは少し違い、戦争中の案件における日本に対する賠償は当初から毛沢東政権は放棄している。まだまだ、対外的に考える余裕がなかったこともあったのかもしれない。
(注)日本の敗戦の時点での中国の政権は、まだ曲がりなりにも蒋介石の国民党政権であった。多数の日本人の引き上げ者が無事に帰国できたことについては、当時の国民党政権下での中国人のお蔭であるということを、最近遅まきながら知るようになった。これにひきかえ、ロシア人と朝鮮民族には日本人の多くの引き上げ者が言うのも憚れるような残忍な仕打ちを受けている。2021.06.27追記)

 ところが、毛沢東の死後に政権を引き継いだ鄧小平は実に老獪であった。彼は「政治は共産主義を貫徹するが経済は自由主義にひろげる」とかなんとか言って、いわゆる殖産興業を目指したのである。資金や技術を先進諸国からただ同然で取り入れようということで、この政策は大正解であった。そして、大多数の国民は貧しいが、軍事大国・経済大国に至ってしまった。国際社会もこういう国に対して、ずっと経済途上国の扱いを受けることを容認してきたのであり、日本も、最近までODA(政府開発援助)を与えたりする大馬鹿をやっていたのである。ハニートラップがあったのではないかと思ってしまう。

 現在に鄧小平が生きていたら、習近平のような阿呆な行動はしなかったと思われる。現在もなお超大国の米国が存在しているからだ。鄧小平ならもう後10~20年くらいたって米国が気付いた頃にはもう後の祭りだという頃までは「爪を隠していた」と思われる。習近平は「2025年には軍事的にも経済的にも米国を追い抜く」とぶち上げてしまったのである。僕は、習近平のせいで、中共の世界制覇は夢物語になることに決したと思っている。

 しかし、米国はつい最近まで、こういうような中共よりもなお日本の方に警戒心を持っていた一面があるように思われる。中共が共産主義国家であり、日本は資本主義陣営内であって、かつ、日米同盟があるにもかかわらずそのようであった。その理由は、超大国の米国は、自国以外は「バラン・オブ・パワー」を守りたいのだろう。多くの国の中で米国を軍事的に震撼せしめたのは日本軍が飛びぬけていたのだろうと思う。かなり、中共が強力になってきた時点でも、日本が再び強力になってくることとの天秤に掛けると、中共寄りになってしまうという選択をしたのではないかと思う。
しかし、本当は、日本という国の風土は西欧や中国大陸のような肉食系の文化ではないのだが、米国も戦後七十余年経って多少それが分かってきたのかもしれないと僕は思っている。そして、習近平の言動でやっと、中共を最大警戒の国家と位置付けることになったのだ。ロシアは経済的には問題があるので、中共ほどは脅威に感じなくなったと思われる。しかも、ロシアは曲がりなりにも共産主義を卒業した国なのだ。
 ある意味では、この1~2年は戦後レジームの大転換の最中であり、僕たちはそれを証人として見ているのだと思う。つまり、米国の態度として、戦勝国側の中共と敗戦国の日本との戦略的立場は逆転したということだ。
ただ、トランプ大統領はこの流れの主導権を握っているのだが、対立側の民主党も含めて、米国の議会の多数が中共をそのように位置づけるようになったようである。トランプはそういう意味では時代の子であったということが出来る。
面白いことに、日本のテレビ番組や大多数の大手新聞からは、こういう話はほぼ出てこずに、「トランプは知性のない馬鹿な奴だ」、という情報操作を繰り返しているので、これらのマスコミしか見ない多くの日本の国民は洗脳されている。トランプは柄は悪いが、賢明な指導者だと思われる。もちろん、米国の国益にとってである。国益第一は当然のことであって、これを非難する勢力は国際政治のエネルギーのベクトルがどういうことであるか判らない知能しかない者だと思う。トランプが「自国が第一」と何度も発言しているのは、同時に「貴方の国も「自国が第一」のスタンスでしてください」ということで、自明の理のことを言っているのだ。「国連第一主義」的なスタンスがどの国のためにもならない悪しきグローバリズムに陥っていることへの明確な反旗なのである。トランプは二国間交渉が基本であるとも明言しているが、これもまことに正しいことだと思われる。
 今後、国連機能不全状態に対する反省期に進んで行くと思われるが、これも戦後レジームの転換の一表現だろうと思う。

 とにかく、長期政権の安倍首相と合理的なビジネスマン上がりのトランプ大統領が同時期に日米の首脳であり、二人の個人的な交流が異常に多いといことは日本の国益にとってこそよいことであり、このタイミングで、「やり過ぎ」の習近平と文在寅が中韓の首脳であることは得難い組み合わせの妙だとして、僕は喜んでいる。ただ、僕にとって、金正恩委員長についての評価は一番判りにくい。つまり、彼を米国が最終的にどう扱うかについて今のところ読めない。

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