2019年8月14日水曜日

米国は日本をどう扱ってきたか・ 日本は「そこそこ」にしておけばよかった

 米国は、清教徒という英国において迫害されていたキリスト教徒(プロテスタントの一派)が1620年に東海岸に上陸してから増殖してきた国家だ。そもそも、今の米国という国の成り立ちは、英国の開拓民がアメリカ原住民に終始戦いを仕掛けて駆逐していったということから始まる。その後、相当数のドイツ系移民やその他の欧州の人々が加わった。当初から黒人の奴隷~奉公人が使用させられている。
その後、母国の英国からの独立戦争(1775~1783年)を経て、1846年のメキシコとの戦争(米墨戦争)で西部の土地を奪取して西海岸にまで到達した。1898年のスペインとの戦争(米西戦争)を経て、カリブ海の諸島の他にグアム島やフィリピン諸島の統治権をスペインから奪取した。さらに、ハワイ王国の崩壊の前後に影響力を及ぼしていた米国は米西戦争のしばらく後に米国に吸収してしまった。アラスカだけはロシアから購入した。
 
 日本が大東亜戦争の際にシナや東南アジア諸国に進出した際、進出・占領を受けた人々の一部が非難するとはことがありえても、今述べたような歴史の米国が日本を非難することなどは滑稽の極みだ。日本の敗戦70数年後においても、なお日本国内にこのような戦勝国のレジームの観念(日本が戦犯国であるという戦後の米国の洗脳)を抱いている人たちは貧しい知能しかないのだと思う。米国がこの洗脳を企てた理由は、東洋人の分際の日本人が西欧人に戦いを挑むとは「怪しからん」という人種差別であると思われる。日本の落ち度は「負けいくさ」をしたことに尽きる。戦勝国なら何も問われることはないのだ。この戦争の前も、現在においても現実はそうなのだ。

日本に2発も原爆(第二次世界大戦の時点でも、非戦闘員の大量無差別殺戮ということは、国際平和条約で明記されていた戦争犯罪である)が落とされた理由はいろいろ議論されていることは承知しているが、大きい要因としては日本が東洋人種であったからに違いないと思われる。ドイツがなかなか負けなかったとしても、開戦時の驚異がしぼんできたドイツには原爆は落とさなかったと思われる。
とにかく、米国はハワイ諸島付近まで西への進出を果たしていたが、その広大な太平洋の先には広大はユーラシア大陸があったが、その手前に日本列島があった。当時の東南アジアは欧州諸国に占領され、シナ大陸は欧州やロシアの列強により割譲をされていったが、米国はまだ直接の進出は出来ていなかった。

米国のペリー提督が幕末の1853年に日本に現れて開港を強要したのは、自国の捕鯨船の燃料その他の補給のために港を提供してほしいためであったに過ぎない。ただし、当初は不平等な通商条約を結ばされた。しかし、英国と仏国が明治維新の際に政治介入しようという思惑を持っていたのとはいささか異なる。国内問題が不安定で、そういう余裕がなかったからのようだ。
そしてその後、欧州や米国の各国は日本からの留学生を受け入れてくれたり教育者を派遣してくれたりして、東洋の小国の発展に好意的に貢献してくれた。そして、日本人の文化や能力についてはスポラディックに評価されていたと思われる。
その後、日清戦争の後の日露戦争の際には、戦費やポーツマス条約において欧州や米国が日本の方に好意的であったので、日本に不利にならないような結果で済んだものだ。もちろん、日本の知力と武勇の成果でもあったことは確かである。この頃までは、米国は(たとえ東洋人種への差別意識がそれなりにあったとしても)日本に対して好意的であったと思われる。

僕は、最近までに、この頃からの近代のことを書き記した書物をいろいろ読み足していく従って、日本は第一次世界大戦後から米国から邪魔な国家だと思われるようになったということを知った。余談だが、その長い歴史は令和時代になってやっと払拭される可能性が出てきたという感触を今持っている。
日本は、あの栄光の大英帝国と日英同盟を結ぶようになった。今から思っても、この事実は驚くような快挙だったと思う。ロシアに対する利害が共通していたのだろう。そして、その状況の時に起こった第一次世界大戦(この戦争は基本的には欧州が主戦場だった)では、同盟国の要請でやむを得ずにロシア出兵を行ったりして、戦勝国の立場になった。大戦後の1919年のパリ平和会議によって、ヴェルサイユ条約が締結された。 この会議は影響力の大きくなった米国のウィウルソン大統領が議長として主導権を握っていた。
この会議において、日本は「人種差別撤廃」の議題を提出したことは現在の日本国民は知っておかないといけない。この時点では、欧州の列強がアフリカ・中東・アジア・アメリカを占領しまくっていた時代である。僕は、この日本の行為が政治のパワーゲームにおいては拙かったのであると思う。
もちろん、この「人種差別撤廃」は素晴らしい主張であり、日本の政治・文化の風土と歴史があったからこその立派な主張だったと思われるが、これは、当時の西欧列強にとっては「過激過ぎる主張」であったはずだ。この立場表明により、これ以後の世界の指導者にならんとする米国は日本を厄介者と扱うようになったと思われる。なお、この動議は賛成多数を得て採択されるべき状況だったが、議長の米国・ウイルソン大統領が議長職権を行使して、「この重要過ぎる議題は全員一致が必要だ」といって否決して終わっている。僕たちは小学校の歴史で、国際連盟はウイルソンが提唱したもので、なんだか立派な人物として習ったが、決してそうではない。しかも、勝つはずのなかった米大統領選で英国のユダヤ系財界からの多大の援助を得て当選していたので、その操り人形であったという点があったらしく、政治信念が平和主義であったというのも疑わしい。

第一次大戦後には、敗戦国のドイツの領土であった太平洋にある南洋の諸島を日本の信託統治として任された。この時点で、米国にとって、太平洋の西側は千島列島―日本列島―沖縄諸島―台湾―南洋諸島という日本領土のアーチがシナ大陸やインドシナ半島方面への手前に塞がる状況だったのである。台湾と南洋諸島の間だけは日本領ではないフィリピン諸島(米西戦争の結果、当時は米国に統治権があった)が挟まっていた。こうした地政学的な状況も、米国にとって日本は厄介者と思われるようになったと思う。つまり、欧州の列強にとっては日本はただの遠い国に過ぎなかったが、米国こそは太平洋において対峙していたのである。
パリ会議は欧州の戦後処理が議題であったが、米国はシナ大陸などの権益に関わる案件についても議論をしなければならないということで、1922年にワシントン会議を招集した。日本が大戦の間隙の中で膨張してきたことに米国が危機感をもったからだ。この会議の時に日英同盟は更新せずに解消する運命になった。それは米国が日英同盟の存続が英米間の緊張につながることを恐れて、英国に破棄するように圧力をかけた。英国にとってはロシア帝国とドイツ帝国が崩壊した状況からは日英同盟の必要性は少なくなったのだが、存続の選択に異存はなかったのかもしれない。ただ、英国も米国との海戦につながるような因子は解消した方がよいという一点で最終判断をしたのだろう。とにかくは、米国の意思が日英同盟を終わりにさせた。

真珠湾攻撃が第二次大戦における日米開戦の時ではなく、ハルノートの時点で既に米国の経済封鎖発動ということで実質上始まっていたという認識が、米国の極秘資料の公開が相続くことにより確かなものになりつつあるのが最近のことである。米国の方が着実に開戦の準備をしていたのだ。最近は、ルーズベルト大統領が日本との戦争を仕掛けたという資料が出回るようになっている。
しかし、それよりずっと以前の第一次大戦の終戦直後からの上記の状況が、米国をして日米開戦に向わせる一般状況であったと診断することができる。

では、日本は最後の敗戦を避けることができたのであろうか? 日米開戦は普通であれば避けられなかったかもしれない。それは米国の方の意思であったからだ。ただ、日英同盟の破棄と日独伊三国同盟の締結が決定的に拙いことであったと思われる。

それはそうだと思うのであるが、ここでは違った側面から考えてみた。結論は、戦争は避けられたかも知れない。日本は「やり過ぎた」と思う。「そこそこ」で様子をうかがっておればよかった。
領土については、千島列島から台湾、そして南洋諸島という回廊で上出来とすべきだった。当時のシナの状況はカオス的な政治状態で、コミットを深めた日本も翻弄されるようになってしまった。大陸への進出が身の程知らずであったということだった。たとえば、大本営が駄目だったのか、関東軍が悪かったのかという議論がずっとされてきたが、どちらの意見や主張にはそれなりの根拠があったのだと思う。本部と現場が遠すぎて、特に現場から大本営の方への情報のフィードバックが伝わっていなかったのだと思われる。ただ、大本営は現場からの具体的な情報を十分に知ろうとしなかったかもしれない。とにかく、日本の進出版図が管理できる範囲を超えていたのだ。

 また、ワシントン会議のサテライトであったワシントン軍縮会議で決められた各列強の軍艦の割り当て比(米英日仏伊がそれぞれ、5:5:3:1.671.67については、日本にとっては無念の結果だったとなっている。しかし、世界の3番目の海軍勢力を容認されていたのだ。米国の方もこの辺で妥協していたのだ。西欧列強の中のこれは「そこそこ」で上出来でよかった。なにせ、相手は白人の列強国ばかりだったのだ。最近でも、イラク戦争などを身近にニュースで体験すると、欧米諸国の強靭さが分かるというものだ。
そして、当時、西欧列強は異分子である東洋人種の日本人の能力が多分次第に恐ろしくなっていったのだろう。

「そこそこ」で様子を見ていて、当時の米国にある程度は「ヘイヘイ」「ハイハイ」と言っておればよかったのだろうと思う。そうしたら、それなりの扱いを受け続けていたかもしれない。そうしなかったので、日本は太平洋戦争に負けた結果、最近まで米国に完全に「ヘイヘイ」「ハイハイ」してきたのである。
もし日本が自信過剰にならなかったら、現在までの日本は全然違った発展・成長をしていたかもしれない。その代わり、東南アジアの諸国の独立は何時になっていたかわからない。日本がインドシナに侵攻したのが契機で独立できたわけだから。

米国は自国の戦勝後に日本の戦争犯罪に関する東京裁判を開いた。そして戦争犯罪人として日本の指導者を絞首刑に処したりした。この裁判は「違法」であった(当時も現在も、「事後法」は「違法」である)。何故、このような無理やりの裁判を開き、憲法九条を含む国権無視の今の日本国憲法を押し付けたのか。その理由は、やはり先程述べたように、東洋人種であるにもかかわらず末恐ろしい日本民族を二度と米国に立ち向かわないようにしておこうと考えたのだろう。それは、見事に成功を収めている。その当時の米国GHQが行った洗脳思想についての現在の日本人代弁者が左翼ないし似非文化人というのは、本当に残念を通り越して喜劇である。

しかし、朝鮮戦争の勃発後に、米国は日本に共産勢力の防波堤としての機能を認識して、日本に対してのネガティブな姿勢は多少は減少していった。さらに、米国はGHQによる日本統治の経験で、日本民族の非常に従順で温和な民族性をやっと実感するようになっていった。そして、日本は軍備を米国に依存しながら、当然の資質から経済大国になっていった。そして、一時は米国に続く世界第二位の経済大国に上り詰めた。
僕は、今度は経済活動の面で、第一次大戦後と同じような間違いを日本が犯したと思う。それは、日本の企業が米国の誇りであるエンパイアステートビルを買収したことに象徴している。それまでに、これは仕方がなかったにしろ、日本の車が米国の顔である自動車産業の誇りを傷付けていたこともあった。米国に対して「そこそこ」を逸脱して有頂天になり過ぎたのである。米国は今度は経済において、日本の経済による世界制覇の勢いに危機感を抱くようになった。「軍事力と情報力を半人前にさせて安心していたら、今度は経済力で攻めてきた」ということだ。
この後、1985年のプラザ合意により、輸出抑制の方便としての円高を誘導するよう圧力を掛けられて、その後の日本の経済は勢いを失っていったといわれる。しかし、今の韓国と同じく、自国の経済を輸出に依存し過ぎていた構造がまともではなかったと僕は思う。やはり、合意の方向の通り、適度の「内需」が重要だったのだ。しかし、日銀・政府の対策は拙速で、地価が暴騰してバブル景気となった(現在の中共では猛烈な地価バブルが生じているらしい)。「内需」の主力が土地売買ということが不健全の極みなので、その後に重病を発症することは自明の理だと思うものだ。それに対する引き締め政策(公定歩合の急激な引き上げに続き、不動産の総量規制や種々の土地所有関連の税金の強化)がもっと拙速で、それで急激なバブル崩壊を起こした。医療に置き換えれば、医学の文言だけ覚えて、患者の生理反応の速度や程度を斟酌せずに薬物を投与して、血圧や脈拍が乱高下してしまった(医療の場合では死んでいる程度)ということだろう。日銀や政府は「治療が下手で乱暴」であったということだ。

さて、令和という元号になったが、たまたま今は、日本が最浮上するかどうかの重要なタイミングであるとの根拠がある。それは、今度は、中共と韓国が間違いを起こしたからだ。両国はもともとオカシカッタが、今や「そこそこ」はまったくなくなり「やり過ぎ」まくりになった。ただ、韓国は中共と比較する程の国力が全然ないので、事の重要性は低いのだが、習近平と文在寅とに「そこそこ」が全くなくなった言動が同時期的に起こったことは、非常に興味深く思っている。これらの反面教師のお蔭で米国をはじめ世界の多くの国々が、相対的な日本のまともさに気付いてくれるようになるだけでなく、対中共や対韓国に対する比較的厳しい対応をしてくれることになって、日本の立ち位置が改善されることになるという期待ができる。
しかし、日本が「そこそこ」の戒めを忘れないだけでなく、世界標準の成熟した姿勢で自らの国の権利を守らなくてはならないことが必要不可欠だ。「隣国とは友好第一」「戦争絶対反対」「再軍備反対」などの幼児的で空虚で国益を一切考えない世界市民イデオロギー(他国に利用されるだけのグローバリズムであり、現実には戦争を仕掛けられるリスクが極めて大きくなる)から抜け出さないと再浮上は無理だろう。
第一に他国から攻められることがないこと、第二に他国に攻めることのないように、ということは国家として実際に一番重要なことである(我が国の似非文化人は、世界標準と全く異なり、第一と第二の順番が違うのであるが)。第一と第二との重要性は相当の開きがあってしかるべきだ。このことを担保する最大のノウハウが、世界標準の成熟した国際感覚なのだと思われる。つまり、「隣国とは友好第一」「戦争絶対反対」「再軍備反対」の題目を唱えているだけでは、日本の領土は少しずつ隣国に持っていかれることになる。特に、近い将来、米国が西太平洋への関心をなくすようなことがあれば、その時点で間違いなくそうなってしまう。
(①)米国と仲良くしてもらって(米国の子分)、軍備や情報機能(スパイ対策など)を不完全のままでしのぎ続ける。(②)米国の子分をやめて、軍備や情報機能を普通の先進国レベルに上げる。(③)米国の子分でいながら、軍備や情報機能を普通の先進国レベルに上げる。(④)米国の子分をやめて、かつ、軍備や情報機能に力を入れない。
の4択ならば、成熟した国際感覚では③しかないはずだ。ここでいう成熟した国際感覚とは、なにも思想的に立派なことというのではなくて、沢山の国民の安全を守る立場の政府ならば、左右のイデオロギーではなくて現実的な対応をせねばならないという、当たり前の感覚を指している。
④は日本の「世界市民」イデオロギーのシンパだけが主張しているだけなので、阿保らしい以外の言葉はない。①は今の日本の状況で、それが危うい状態であることはすぐ前の文節で述べたとおりだ。②は第一次世界大戦後の日本の状況で、身の程知らずで非常に危険である。つまり、当面は、否が応でも、超大国の米国が君臨しているのだ。日本の国益(つまり、これは日本人の益である)からすると、米国の傘の下にいることが有利だということだ。米国が中共よりも倫理的であるからというのが拠り所ではない。ただ、幸いなことに、米国政府の方が共産中国の指導部よりも相対的に倫理的に遥かにましである。

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