2019年2月5日火曜日

国際標準からは、韓国に公式謝罪する事案はなかった


 戦後の我が国の政治家や官僚は、あまりにも安易過ぎるパターンで、韓国のいわれのない謝罪要求や非難に対していい加減に対応して、拒否してこなかった。それは我が国の国益を大いに損なってきたことは前号に述べた。しかし、僕は以前からそれに劣らず重要な不都合に心を痛めている。それは、当時の朝鮮半島における日本の為政者や入植者に対して、そういう現在の政治家や官僚が無慈悲な冒涜をしているのだということだ。大多数の人々は現地で日本の公の心持でお天道さまの下で誠実に活動をしていたのだと思う。勿論、一部の人々の非道な行為があったのだろうと思う。個々の事案については、真摯に謝罪し反省すべきだと思う。しかし、これは純粋な国内事案であっても、こういう人たちの不適切な行為はあるのである。こういうミクロ的な事案を国の公式謝罪というようなマクロ的なものに直ちに反映させれば、どの国も謝罪の嵐で収拾がつかなってしまう。こういう事案においては、一般的には西欧諸国や中国人の残虐さは日本人どころではない。

日韓併合のことについては歴史の事実を少しでも読めば、現在の韓国が非難をして謝罪を要求することなど恥ずかしいことのはずだ。逆の立場であれば、日本人は併合された不甲斐なさを恥じ、それを相手のせいにすることはもっと恥ずかしいこととして、黙って今後どう自国を不甲斐ないような国にするのかに集中したであろう。日本は「公」と「恥」の国なのだ。それがないから韓国人には発展性がないのである。
日本が当時併合していた朝鮮半島や台湾の経営がいかなるものであったかは、その気になれば明確に書いてある内外の書物や画像資料をみれば判るものだ。僕は、そういう書物の多くを以前から読んで知っている。

日清戦争の勝利の後の1895年の下関条約では、台湾と遼東半島などが清国から日本に割与されたが(第二・第三条)、第一条に「清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、それを阻害するような清国に対する貢・献上・典礼などは永遠に廃止する」とある。つまり、永らく朝鮮半島の宗主国が中国であったことが明らかなのであった。それを独立国として扱えとしたのだ(実態は、独立国の体をなしていなかったのだが)。もちろん、日本の国益のためである。しかし、台湾と異なり、この時点で日本の領土になった訳ではなかった。それなりの扱いを日本は朝鮮半島にしたのである。この事案がイロハのイの第一条であるということは、当時の朝鮮半島の利権が清国にあったという証拠である。
ところが、大昔から朝鮮半島の諸国は自分たちで統一する資質がなく、「事大主義」といって、主に大国の中国の権威を頂いて半島内の対抗勢力に対応しあっていた。そして、新羅という国は唐にも朝貢していたが、日本の国にも朝貢していたという二股を掛けた時があった。つまり、この時点での国力は、中国>日本>朝鮮であった。我が国においても倭の奴国が中国の魏への事大行為をしたことはあったが、そういうことは聖徳太子の時に決別宣言をしているということ(例の、日出づる国の天子云々)こそ中学の歴史から習うことだ。
清国敗戦後も朝鮮半島は予算も決算も判らないような一人前の国家の体をなさない状況で、結局、元の中国か日本かロシアかへの事大行為をしようとする勢力の内紛的状態であった。結局は,日本派が優勢になったという朝鮮半島の国内事情により、1910年に当時の大韓帝国という名称の政府との調印で同国は大日本帝国に合併吸収された。
それに先立つ1905年にロシアは日露戦争に負けて、それまでに進出していた朝鮮半島の権益を日本に譲っていた。そもそも日露戦争も満州と朝鮮半島の権益を争う二国間の争いであったのだ。ロシアは既に満州を侵略していた。ことほど左様に朝鮮半島は気の毒ではあるが、現実的には独立した状況ではなかった。そして、この時代は今の時代ではないのであって、西欧列強は自国の利益のためにアフリカや東洋の力の乏しい国々を属国にしていったのである。ただ、日本だけが非西欧国の中で唯一の列強に準じる立場を努力して獲得していた。日本は自国の利益のためと自国が西欧列強の属国になることを避るけための対外行動を取っていた。歴史的な視点からこの世界情勢における日本の方針を事後的に他の国が非難で済まそうとすることなどできないのである。元はといえば、西欧の列強主義に原因があるのであった。第二次大戦の戦勝国の米・英・露・仏は日本を非難することなどできるものではないのは当然としても、朝鮮半島の人たちにもできるものではない。時は帝国主義に翻弄された時代だったのだ。
この日露戦争の際には、大韓帝国は日韓議定書を交わして日本に協力することを明らかにしている。つまり、この時期においては、既に韓国国内に日韓合邦を目指す勢力が優勢になっていた。
そして、最終的な日韓合併調印は当時の西欧諸国に公に承認されたし,第二次大戦のポツダム宣言を日本が受諾した1945年にこれが失効した、ということが国際的に認められた歴史である。
確かなことは、もし朝鮮半島の権益をロシアが獲得していたら、二度とロシア領から戻らなかったに違いない。しかも、多くの朝鮮人をシベリアに移住させ、ロシア人を朝鮮半島に入植させたのに違いない。そうすると、今頃の朝鮮半島には人種・民族的にはロシア人ばかりで、返還どころではなくなっている。こういう政策はソ連が中央アジアの民族に行った仕打ちである(完璧ではなかったが)。
朝鮮半島の人たちは、日本のような非西欧・非中国的な国に併合されたことを災いの中の福として味わうべきだろう。日本人がその立場であったらお天道さまに感謝すると思う。つまり、日韓併合は次善の策として、むしろ朝鮮人は日本に感謝しないといけないのである。実は、その当時に生活していた朝鮮人の生存者にはそういう考えの人が少なくないのであるが、そういうことを表明すると袋叩きに遭う事例が続くので、silentになっているのである。
日韓併合中の朝鮮人の扱いについては、他の国々を搾取しまくった西欧列強とことなり、インフラ整備・教育の充実などに莫大な補助金を投資して民度を上げていったが(衛生状態が改善して人口は増加し、GDPは増加し、教育レベルも向上した)、こういう「占領」の仕方は日本だけであって、それは西欧の歴史家の多くが明記している。例えば、強国論(1998年 ランデス著、2000年 和訳 三笠書房)にそのように論じられている。台湾やパラオより遥かな資金上および制度上の優遇を受けていたにもかかわらず、朝鮮民族だけが日本を悪者にしようとする。古くから朝鮮民族に道徳教育と胸を張って言えるものがないからそうなるのである。突き詰めると、朝鮮民族の倫理・道徳とは一体全体なんなのだというのが、根源的にとわれるべきものである。
朝鮮半島における日本は弟に対する兄にならんとしたのであると思う。それは弟として強いられる側は受け入れられない部分はあるのだろうが、西欧諸国の「人でなし経営」と比べると天国のようであったということができる。つまるところ、少なくともその頃は西欧人は東洋人を同じ人間であるとは扱っていなかったこと大である諸点が数多くあったのだ。

慰安婦も軍艦島の労働者も、基本的には、朝鮮人は日韓併合していた国の日本人であったのであり、そういう扱いだったのである。朝鮮人で高等教育を受けて軍隊の上層部になった人たちも多く、多くの若者は軍隊にも応募して入隊したのである。同じように、慰安婦も軍艦島にも応募して就労したのであった。慰安婦の問題点は朝日新聞の捏造であることは判っているし、軍艦島(戦時就労の象徴)での就労状況も高い給料で生活設備も一般庶民よりは高かったことが普通のグラビア雑誌にも明らかにされていた。ただ、粉塵などの多い労働強化の大きい仕事だったという資料は誰にでも調べて知ることができるものだ。しかし、この状況は朝鮮半島出身者においても日本国内出身者においても同じようなものだったのである。だから、彼らの給料が非常に高かったのだ。(この議論は、慰安婦問題においても全く同じなのである)。この労働状況を非難することこそ、事後法で戦争犯罪をでっちあげるのと同じ非道なことである。その頃の一般的な労働状況であったのだ。戦後における国内事案である三池炭鉱でも同じ状況だったのだ。現在の能天気な人間が昔の人々の一般的な苦難の生活のことを政治的な翻訳機にかけてはいけないのである。

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