2019年3月16日土曜日

韓国問題から垣間見られる日本の「尊厳や道徳」よりも「金の亡者体質」

 この原稿を書いている時点での既成のマスコミやユーチューブ(YT)からの発信において、韓国の「徴用工問題」(ここでは、「応募工問題」と正しく記する)の件で、「もし韓国が国家権力の発動として、日本の企業から賠償金として差し押さえなどで取りたてた場合に、日本からの経済制裁の発動をすべきだ」という声が大きくなりつつある。その一方で、「いや、そうすることは日本にも回りまわって大きい損害が出るので、止めた方がよい」という意見を述べる人たちがいる。
 私は、こういう情報を見るに、少なくとも二つの面で、現実的には日本が陥ってしまった経済第一主義を雄弁に示していることを知る。
 第一は、「応募工問題」という、主に韓国に進出している日本の企業が直接的な経営的な損害を受けるという事態に至って初めてこういう議論が政府関係者の中から出てきたということだ。既に、「慰安婦問題」「竹島問題」その他、多くの日本国を貶めたり侮辱したりする数多くの国家的行為を韓国は継続的に行ってきた(別号2019.03.03)。「竹島問題」は領土の問題であり、日本が普通の独立国であれば、軍事衝突が不可避の事態である程の重要案件だ(憲法九条があるから韓国は足元を見て竹島を事実上占拠している)。「慰安婦問題」も日本の尊厳をいわれもなく侮辱している案件であり、韓国に進出している企業の損害云々どころの話ではない。この時点から「制裁」の発動を検討しなければならなかったのではないか。YTではこういう意見が以前から数多く出ているのである。結局は、日本の国益などには無頓着な刹那の私益を求める日本の企業が直接被害を蒙るという事態にならないと、政府は本気で「制裁」を考えることをしなかったのだ(まだ制裁はしていない。考え出したということを述べている)。
 つまり、日本の尊厳に係る重要な問題よりも韓国に進出している企業の損害の方が上位問題であるという現実こそが、戦後のGHQが日本を二度と自立できないようにしようと日本国民を洗脳した(先ずは、エリート層の思想改変から始め、その後庶民に広めていった)ことが成功している惨めな現実を雄弁に示している。ただ、GHQもここまで日本が洗脳されるとは予想していなかった。日本人には、敢然と向かうことができる資質もあるが、際立って人の好いところ(国際関係的には「幼稚」・「未熟」)が共存しているのである。

 第二に、経済人や経済評論家などの日本に係る経済を熟知している人々の問題である。彼らの少なくない勢力は「韓国への経済制裁を行うと、日本への損害も予想以上に大きいのだ。否応にかかわらず、日韓は既に運命共同体になっているのである」というのである。例えば、元韓国ゼロックス会長の高杉暢也氏もそのように述べているらしい(文芸春秋4月号)。私は、損得の話に限ったらそういう点はあるだろうと思う。ただ、経済の損得がすべてなのか?という設問は高杉氏の思考のアルゴリズムには含まれていないに違いない。しかも、損得といってもせいぜい数年~十年くらいのことであろう。戦後の日本は本当の経済危機の時にこそ、必要に迫られてイノベーションが進んだという実績がある。為替で得をするとか労働力の安い国に出掛けて得をするというような、いかにも安易でかつ刹那的な愚策を選択した企業の責任者(あるいは株主)が自分で蒔いた種ではないか。そんなことで、日本の尊厳をまたまた貶めさせるのかと問いたい。経済評論家の方などが日本の経済を良く知っているといって、日本全体を知っているような偉そうなことを言うなと言いたい。ただ、ご本人はそのつもりはなかっても、周囲が専門家の意見としてこれが最上位の判断だなんて扱うのが問題なだけかもしれない。
 「日本は今やあの韓国と運命共同体である」という認識があれば、「これは大変拙いことである。早々にそういう事態から脱却するにはどういう対応をしようか」という話でなければならない。自分の付き合っている相手が暴力団員であったとか狂気の性格の人物であったということに気付いた時に(気付くのが遅すぎたことはここでは取り上げないとして)どうするのか? 運命共同体だからもう仕方ないだろうと言うのか? 否、「自分の今までの選択が悪かったので、しばらくは苦難が続いても、アイツとは絶縁するように努力しよう」が道徳的にもまともで現実的な選択であるはずだ。別号で既に議論したように、韓国だけとは向後半世紀はお付き合いを止めておくのが正しいことなのである。
 
「此の段になっても政府から経済制裁の一つも出動していないことの呆れた日本の現状」という論点で述べてきたが、これに係る日本人の精神的な問題点と、これに関連する日本列島の地理的および地政学的な認識について持論を述べておきたい。
 第一に、日本人の精神的問題点について。「右の頬をぶたれたら左の頬を出せ」とはキリスト教の教えにある。他にもいろいろあるとしても、この一言で、これを信じたり実践したりするキリスト教徒は「空恐ろしい」なあと僕は思う。広い意味の宗教心は僕はまあ積極的に肯定するのだが、宗教団体になった時点で構造上怪しい事柄が増えてくる。左翼イデオロギー団体と同根である。上記の教えなどには教団の何らかの魂胆が反映されていると思わなくてはならない。もともとの教祖の心理病理学的な狂気が反映されていることは言うまでもない。
それはさておき、「右の頬をぶたれたら痛いし、普通は腹が立つ」というのが正常の人間の生理的反応である。生理の赴くままに生きるというのも恥ずかしいことなので是としないが、スーパーエゴの指令に従って生理に反することをし続けるということは不健康そのものである。いずれかの時点で精神や肉体が破綻してしまう。三木清は「人生論ノート」の中で「世間一般の受け取り方と違って、感情は没個性的で理性こそは個性的」のような卓見を書いていた。つまり、「腹が立つ」ということは生理的で当たり前のことなのだ。度重なる韓国の仕打ちに「腹を立てるな。彼らの気持ちも理解してあげよ」という意見を垂れ流す人たちは破廉恥だと思う。スーパーエゴのバイブルに従って考えさせられて発言させられている似非文化人なのだ。
腹が立つのがまっとうな国のまっとうな人間の反応のはずだ。腹を立てさせられたことにどう対処しようかなということが以後の理性的な対応になる。ここからが肝要なのだ。アプリオリにケンカをしては絶対にいけないというのはイデオロギーに属する。何時もケンカするのは道徳的にも宜しくないが、時にはケンカ(喧嘩の振りでもよい)が妥当で賢明な結果をもたらすことになる。特に、国益というような重要な利権が関わってくるような事柄についてはそうなのだ。
翻って、我が国の戦後の外交について考えると、「アイツは絶対に仕返しをしてこない」という確信的な判断を他国に植え付け続けてきた。そう思わせることは自立した国がするべきことではない。そのように思わせることこそが国益を損ねている。特定のあるいは非特定の相手国を増長させて、さらなる国益の損害や圧迫を受けることにつながってきた。こういう事態を避けるために、時々は制裁を加えなくてはならない。少なくとも、現時点で遅まきながら経済制裁の第一弾くらいはしておかないといけない。その手始めに、在韓大使の引き上げくらいは継続的に実現しておかなくてはならない。

第二に、日本の地理的および地政学的な特徴について。日本列島はモンスーン気候の地域に存在して、南からの二つの暖流によって西南部分が挟まれている適当な広さを有している領土である。つまり、大体は温暖多湿である。それ故、海の幸も豊かであるのみならず、列島の植物は放っておいてもどんどん繁るのである。しかも、大陸と陸続きでないので、今までは他国からそう簡単に侵略されなかった。世界を見渡してもこんな楽園はあまりない。こういう状況が日本民族をして相対的に穏やかな性格に作り上げたのである。このことを、先ず、日本人はお天道さまに感謝しないといけない。これが望ましい宗教心であると私は思う。英国は日本に地政学上で似たところがあるが、気候的には日本と違って穏やかではない。地震・台風は別に議論しよう。
日本列島ではそう簡単に餓死しないのである。現代の日本人は精神が贅沢になり過ぎているので厄介であるが、突き詰めると、日本人は飢え死にしないのだ。将来、現代文明が地球規模で破綻しても、日本列島ではエネルギー摂取における自活は可能である。ただ、現在、日本の食物エネルギー資源について危機感を煽っている声が大きい。しかし、その前提は「生活様態やものの考え方が贅沢になり過ぎている今の日本人についての反省について無視している」ということなのである。欧州に海外旅行に行くと、日本人がいかに贅沢な生活をしてかについての実感が得られるはずだ。

ところが、将来の地球危機の時点でも餓死を免れさせうる列島は、今後はそうでない地域の民族から侵入・侵略される標的になるだろう。つまり、日本民族は餓死によって滅ぶのではなく、侵略によって滅ぶことになりうる。日本列島は究極的に想像すると以上のような位置にあるということが地理的および地政学的に本質的なことと思われる。
 ただ、この日本列島の地理的・地政学的な構図では、現在ならびに近未来の不都合に既になっているのが残念である。日本の最近隣には、朝鮮半島・支那(中国)・ロシアという面倒臭い国々がある。これらの3つの境界を接している国または地域を飛び越せば、圧倒的な数の概ね日本との友好国か少なくとも中立的な国ばかりである。偶然にしても運が悪すぎるというものだ(別号で述べているような、「実は、近隣だから面倒なことが生じる」という一般的なことではなくて、現在の最隣国そのものの政治体制や民族性に問題がある)。
また、現時点でも、偏西風に乗って、中国大陸や朝鮮半島から有害な物質を含む可能性のある空気が毎日降り注いでいるのである。日本国内でいくら環境改善をしてもザル法のようなのである。もし、大陸や半島の核施設に異常が生じれば、核汚染した空気は日本列島に降り注ぐのである。偏東風だったらよかったのにと以前から思っている。
こういう核問題を考えると、むしろ日本国内の各施設の方が蓋然的にずっと安心なので、日本国内の環境放射線量基準を含む種々の国際基準のしばしば十倍も厳しいという馬鹿な法律を作るのではなく、共産政権の中国や北朝鮮の経済を潤さなくする方針を堅持すべきであったのである。潤すと、結局は核施設や核兵器をどんどん作ってしまうのだ。
  ただ現在、世界制覇を目標にしていることを隠さないのは共産政権の中国だけである。ロシアはその方針は今や捨て去っている。朝鮮半島の国は国家を挙げての歴史捏造をし、道徳教育をないがしろにしてきたので、いまだに信じ難いほど民度が低く、戦後ずっと隣国の日本に「言いがかり」と「タカリ」を行ってきた。しかるに、自尊心だけが異常に強い。しかしながら、国力としての脅威は、我が国が憲法をまともにさえすれば、取るに足らないと思われる。
それ故、中国は放っておくと末恐ろしいから適切な対応をしなければならないので(最善は、今の全体主義国家を崩壊させるのが一番ではあるが・・・・・)、今の米国の方針に協調していかないといけない。日本ではいまだに親中政治家が幅を利かせているが、日本の国益のために彼らを無力化しないといけない。中国とは国民レベルでは仲良くできる余地は少なくないと思っている。朝鮮半島については、付き合わないという方針を堅持するという単純なことでよい。中国や朝鮮半島に進出している企業は撤退しないといけない。自業自得であるが、多少は政府が撤退に手助けをすることは許容できるかもしれない。ロシアについては、北方領土(これは日本固有の領土であることに違いがないが)のことで、変な妥協をしないことを第一とすべきだ(別号2019.02.19)。その上でロシアとは、是々非々で国民レベルでは仲良く付き合えばよい。
そして、米国と協調して台湾と国交回復して戦後レジームを変えないといけない。親日的な台湾に手を差し伸べないような日本は道徳的に恥ずかしい。贅沢や金や軍隊よりも道徳が大事である。ただ、道徳の遂行に寄与するという一種の国益のために金と軍隊を利用することは賢明で必要なことである。日本の国益のためには、なお長期間は世界最強の米国とは日米協調を堅持しないといけない。そして、日英関係の強化の路線が見えてきたことが非常に望ましい兆しだと私は思っている。

2019年3月10日日曜日

韓国の「戦犯企業」との言い方は許容の限度を越し過ぎている


「日本戦犯企業」はあり得ないほど酷い言葉だが、もう、慣れてしまっているような事態が怖ろしい。韓国に侮辱されても反撃しない日本は当面の経済安定のためなのか、それとも聖人ぶるためか。前者は長期展望のない刹那主義だし、後者は国際的には幼児的対応であり、世界の非常識だ。国もそうだが、企業も誇りがないのかと問いたい。君たち企業はそういう国に進出したのだ。韓国の精神風土など判っていたはずではないか。

 経団連も土光会長が存在感を示していた頃までは、大手の経営者も国士のような人物が多かった。最近の経団連の歴代会長は、最近のこの集団の精神劣化の反映であろうが、もう日本国のためにということを考えていないようだ。少しでも、大東亜戦争の頃の生活の記憶がある人々が生きている間は、日本の国力再生のエンジンが凄かったのである。生き残った自分たちの使命を自覚していたからだ。僕は、もちろん、戦争は絶対にない方が望ましいと思う(ただ、世界は「個人の望み」だけで動いてはいない)。ところで、僕の青春時代に流行った「戦争を知らない子供たち」というフォークソングには、僕は当時、既に反発する思考回路を持っていた。戦争を知らないで育ったということは有難いことである。しかし、そのことを誇らしげに歌い上げるとはどういう精神を持っている馬鹿者かと腹立った。今もそう思っている。僕は小学生の時には家にあった戦争物の本やグラビアを読む機会があったし、高校生の頃には江田島の「回天」という特攻潜水艦を見学したこともある。君たちと同じ世代であった若者が、日本の戦争のために尊い命や生活を犠牲にしてくれたことを思うと、あんな歌など嬉しがって歌うことできないはずだ。日本政府が開戦に踏み切った判断については僕も是とはしていないところ多である。しかし、当時の若者の人生や生活を今の若者は振り返ってみるべきだ。「お国のため」というその屍の上に今の日本の生活があるのである。「お国のため」が「天皇陛下のため」というのは反体制を自認する戦後のマスコミなどのウソである。若い彼らが戦地に送られて、追い込まれながら思ったことは、「自分の家族を守るため」「同胞を守るため」であったはずだ。現代人はそれに応えなければならない。

今の経団連も多少は国益を考えているだろうは思うが、自企業や自業界の利益を最大限にしたいという至上目標と国益とを天秤にかけると迷いなく前者を選択しているのだろう。もちろん、財界と政治資金などを介して運命共同体と思い込んでいる政治家や官僚の大部分あるいは一部の人々も、その立場を忘れているかのように、僕のいう日本の国益に無頓着である。彼らも刹那あるいは当面の日本の経済的な指標の維持・向上こそが国益であると思い込んでいるようでもある。
池田隼人首相の所得倍増計画の辺りから、日本は道徳上の名誉よりもマネー第一主義に舵を切りだして、今に至る。僕は、だからといって池田隼人が、失礼ながら、愚人だとは思わない。やはり、この頃の首相は、名誉を含めた国益を考えていたと思われる。しかし、選択を誤ったのである。今の日本の現状をもし池田氏がみたとすれば、自分の方針決定は拙い結果をもたらしたのだなあと思うだろう。
 いろいろ拙いことがあるのだなあと思うだろうけれど、日本の企業が韓国の数多くの立場ある人物や政府機関から「戦犯企業」などという暴言を浴び続けていることこそ、ここに至るまでの政権与党の政治家の無責任さに胸を痛めるに違いない。そして、暴言を受けている企業のそれまでの企業方針が刹那的な最大の利益という目的のみが拠って立つところであることを知って、情けなく思うのではないか。現時点では、安倍現首相に期待はするのだが、連立の公明党からだけでなく、自民党の議員(左翼教育を受けてきたからでもあるが、選挙に勝つのが最優先だからだ)からも骨抜きにされることが多過ぎる。真の保守政党の立ち上げの動きがあるほどだ。
 しかし、この暴言は中共も北朝鮮もあまり突出してはいない。東亜三国の中でも韓国の酷さが突出している。戦後の日本の姿勢が韓国をそのように育てたのであるから自業自得の一面もある。しかし、ここではこれ以上、韓国の酷さについては述べないことにしよう。述べたいことは山ほどあるが、そうすると述べている自分が卑しくなってくるように思うからだ。韓国の酷さの実態やその解析については既に数多くの書物やネット情報がある。
 
 僕は、今述べたように、日本の方に根本的な不都合があると思っている。今の時点のタイミングで考えても、早々と在韓大使の引き上げを断行し、韓国に対する有形無形の制裁をどんどん発動することのない日本国なんて、独立国ではない。サンフランシスコ条約の後も実は独立国ではないことを実証しているのだ。この条約の後でもこういうことなので、それは他国の責任ではなく、自国がそう選択していることなのだ。
 マッカーサー元GHQ司令官が朝鮮戦争後の米議会における証言の中で、「日本は12歳ほどの精神年齢」であると述べた。これを伝え聞いた日本人のかなりが「日本人は彼を慕っていたのに、侮辱的なことを言った」として残念に思ったらしい。しかし、この言葉尻だけをマスコミが流したからそういう誤解をしてしまう(反米・反日=反体制のマスコミは国民の気持ちを誘導する操作をし続けてきた)。彼は、長年、日本を統治した結果、「あの戦争は日本の自衛戦争であった(驚嘆すべきことに、この発言をこの米議会で公言したのである➞この発言で次の大統領の大本命であった彼が政界から締め出されたのだ)」という考えに達していたり、日本人が実に素晴らしい愛すべき国民であることを知ったのである。すなわち、統治者である米国人の彼が日本で生活して、その被占領国の文化によって、米国人の独りよがりの国民性から解脱をしていたのである。日本が彼をして解脱させてしまったという言い方もできる。つまり、日本という国はそういう国なのであることを現代人は知っていないといけない。
あの「12歳」ということは、西欧人からみれば対外的には未熟な対応しかできない精神状態であることと同時に、多くの物事をどんどん吸収できるという素晴らしい柔軟性を持っているとの両方を言いたかったのである。
僕は、その時の彼を信じている。「対外的には人が好過ぎる」ので、今後が心配な状況であるということだったのだ。「人が好い」のは、まあまあ美点のようである。しかし、「人が好過ぎる」というのは(これは言葉の綾であるし)実は、悪い資質なのである。長期的に考えると、しばしば自分も不幸にするが、相対する他人も不幸にするのである。一寸、また触れてしまうが、今の韓国がここまで酷い国になったのは、もともと多少とも酷い国が、戦後の日本と遣り取りを重ねることにより、さらに酷くなってしまったのである。日本に大きい責任がある。

当時のGHQの人々からすれば、戦後70年経てもなおGHQ憲法を後生大事にしていることなど全く予想外なのだ。日本でしかあり得ない。つまり「12歳」発言で彼が言いたかった二つのことで、前者の「未熟な精神状態」であることはその後も証明されているが、そこから成人にならなかったということで終わっているのである。日本の左翼の諸君(マスコミ人や大学人にも多い)の言動は意味論的には「未熟」そのものだ。決して真のエリートではない。
やはり、岸信介の「安保改定」の後の池田隼人は、首相になる前には彼もそう思っていたはずの、「憲法改正」路線を貫徹せねばならなかった。たとえ、経済回復が十年遅延しても、国民の精神・肉体の他国からの防衛という高所からは憲法改正をしなければならなかった。そして、日本国民の精神の未熟性の克服のためにもそれが必要だった。その付けが、現在の「戦犯企業」という暴言を甘受することに端的に表れている。現在、「刹那の経済成果」の観点で我が国の政界・官界・経済界で同じ誤りをしており、さらに誤りし続けそうなのが、「今、韓国との国交を絶やせれば、日本の経済にもしっぺ返しがくる」という思考回路である。日本国民が餓死するわけではあるまいし(終戦直後の日本や今の北朝鮮とは違うのだ)、10年くらい先を考えて、政治・経済を決めてくれよと言いたい。ただ、韓国と断交やそれに準じた状態にするには、予め米国の承認が必要なのであるはずだ。やはり、日本は真の独立国ではないのである。それは、憲法九条があるからそうなのである。

なによりも、朝鮮半島には係わるべきではないという教訓を堅持すべきだ。何度も教訓があるのだ。日清戦争・日露戦争・日韓併合はすべて我が国が朝鮮半島の利権に係ったからであるが、豊臣秀吉の朝鮮出兵もそうである。結局はどれも日本のその後にとってよくなかった。明治維新後に朝鮮半島の人々への文化的援助をし始めていた福沢諭吉が、賢明にも、あそこは酷い民族なので係わらない方が宜しいと悟って、手を引いたということは僕でも知っていることである。その後、日本国内でも併合に賛否両論が戦わされたが、結局、日韓併合派が勝ってしまった。朝鮮半島でも伝統の事大主義において、親日派・親露派・新中派が争っていて、たまたま親日派が勝ってしまったということだ。当時の日本が国を挙げて日韓併合に突き進んだのではなく、そういう巡りあわせになってしまったのだ。
自主独立という選択は朝鮮人自身にもなかったほど、民度も低く戦力も乏しい単なる部族社会の集まりだったのだ。こういう状況と事大主義というのは鶏と玉子の関係ともいえるので、まあ、仕方がなかったという見方も可能だが、十数世紀以上の長い間、そうであり続けたというのは信じ難い。とにかく、日韓併合前夜の朝鮮半島は帝国主義が席捲している時代で、自前で民族を維持できないそういうカオスの地域であったのだ。この頃の外国人が撮影した朝鮮半島の記録写真がネットに出回っているのを容易に見ることができるので、当時の現状が判る。朝日新聞や地方新聞(共同通信という朝日と同等の左翼的思想の会社が記事を配信している)、そしてNHKやTBSなどしか見ていない多数の善男善女は、目隠し状態を唯々諾々として受け容れている状態だ。

この時の朝鮮半島にもし日本が関わらなかったら、東南アジア諸国より遥かに発展の乏しい国にしかなっていなかったことは明らかだと思われる。当時の東南アジア地域では、独立国のタイだけでなくインドシナ半島の諸国は欧米列強に占領される前は、朝鮮半島と比較すると遥かに自立していた実績があったのである。
それなのに、韓国が、今、東南アジア諸国に対して上から目線であり、日本に対して恩知らずの暴言を繰り返すことは滑稽でさえある。そのうちに事実が世界に広まるのは必至だと思うので、僕はその時が待ち遠しい。書籍やネット情報がどんどん真実を明らかにしている最中である。僕は、さらに、次世代のAIが歴史の資料をことごとく吸収すると、人間のイデオロギーや意味論的に怪しい考えのバイアスに左右されないある種客観的な歴史評価をするという事態が、そう遠くない時に実現するように考える。僕は、ごく最近に、こういうことに気付いて、密かに期待している。結局、朝鮮半島の話がオチになってしまった。しかし、日本にこそ不都合の根があるとの力点に変わりはない。






2019年3月3日日曜日

韓国とは「断交かそれに準じる対応」からブレないように


 先日(2月末)のベトナムで行われた二回目の米朝首脳会談で合意に至らなかった。主目的は核放棄と経済制裁の解除の取引ということだが、トランプ米大統領が「これでは取引できない」との結論を出して終わった。金北委員長と文南大統領がシナリオ通りに行かなかったので困った立場に陥ったという評価に落ち着いている。僕も、大体そうだろうと思っている。そうすると、たまたま直後の3月1日あった独立百周年(と彼らが言っているようだ)での記念的な文大統領演説で、日本に対する攻撃を急にトーンダウンさせて、日本に擦り寄ってくる姿勢を見せた。やはり恥とか面目という項目が存在しないことを示している。しかし、これは織り込み済みだから驚くことではない。
 多くの日本人の庶民がこういう報道を受けての最大の関心事は、日本の政府が「じゃあ、韓国とまた仲よくしよう」とするのではないかという危惧だろう。我が国の政治家・官僚だけでなく経済人・メーカなどがそういう舵取りをするのを恐れるということだ。前者は国の名誉や国益より自分の議員の椅子に関心がある人たちが少なくないし、後者は金儲け第一主義に特化しているので(ただし、株主の意向があるので自社の長期的展望を貫徹することは困難だ)、そうするのではないかと予想する。もし、そういうことにでもなれば、そろそろ自民党政府を倒そうという非左翼的な流れが出てきても不思議ではない。人間の性(さが)がそう簡単に変わるものではないごとく、「恥」と「公」の欠如した韓国の性(さが)もそう簡単に変わるものではない。自分たちの都合によって「朝令暮改」「黒を白と言い張る」のは今後も目に見えている。
 文大統領は確かに北朝鮮のスパイではないかと指摘されることもある極端な立場のようだが、同国の保守的政権であった朴槿恵や李明博でさえも反日~恨日を表明あるいはそう装わないわけにはいけない国情なのである。ただ、李大統領自身が竹島に上陸して自国領土であるというアピールをしたのは、当時の我が国が国益意識の極めて希薄な民主党政権であったから足元を見られたのである。中国が尖閣諸島へのチョッカイをあからさまにし出したのもこの民主党政権であり、やはり足元を見られたのだ。だから、もちろん今までの自民党政権でも民主党政権や自社共同政権よりは遥かに国益上ベターなのである。国益のエッセンスは他国に対して自国の国民の保護と自国領土の保全を主張することに尽きるのであり、尖閣問題や竹島問題がいかにも些細な問題というようにマスコミが意図的に誘導していることは由々しきことである。

 僕の今思い浮かぶだけでも韓国の日本に対する非礼・侮辱を最近から遡って並べてみる。
 a 慰安婦問題で、天皇陛下が直接謝罪をすれば両国の関係は良くなると発表。
 b 日本海で飛行中の日本の哨戒機に韓国の艦船から攻撃目標セット用レーザーを
  照射。
  c 平昌五輪開催の時期にそのホームページの地図に日本列島だけを2回も消した。
 d 世界に定着して久しい「日本海」という名称を「東海」に変更しろと主張する。
 e 我が国の旭日旗を冒涜して、スポーツ大会などで我が国に自粛させている。 
 f いわゆる徴用工(実は、志願工)に対するいわれのない賠償金要求。
 g 戦時中の慰安婦へのいわれなき謝罪と賠償金要求と、他国にまでに慰安婦像を
  立てる暴挙。 
 h 竹島を韓国領と言い出して、国会議員や大統領までが勝手に上陸している。
 i 日本の仏像を国家レベルで窃盗して返却しない。
 j 日本開催のサッカーW..を強引に日韓共催に変えさせ買収誤審まみれの不名誉大会にした。
 k 日本の政治責任者の靖国参拝という国内問題を口撃し続ける。 
 l 戦後日本が主権を回復するまでの期間に、李承晩ラインという国際法無視の
  勝手な排他領域のラインを日本海に引いて、多数の日本の漁民を長期間抑留する
  非道を行った。抑留中に何人も死んでしまった。
  この人質を利用して日韓交渉を自分たちに有利に導いた。
 
 最近は、aやbのことで日本の世論?の対韓意識は最悪になっているようだが、僕の判断からは、特に、b,c,g,hの4点はそれぞれ1点であっても、国家に対する重大な侮辱として断交に相当すると思う。aもそれなりに腹が立つが、この4点は国家として実力行使をしているのだ。cの地図問題はマスコミも政府もほとんど反応なしだが、韓国の国家をあげての五輪のホームページに2度も日本列島だけを削除した地図を掲載するなんぞ、意図的な実力行使でないはずはないではないか。滑稽な程に民度の低いことを証明するような仕業だが、笑って済む話ではない。
 韓国が日本にいちゃもんをつけてくる時の拠り所は「日本は戦争犯罪国」だということだろう。自民党政権は立党の時からの綱領に憲法改正があることを忘れてはいけないし、戦争犯罪国といういわれのないラベル付けに対して世界に広く否定周知させる努力もしておかねばならなかった。声高でなくともよいのだ。いかにも冷静を装っておいてよいのだ。しかし、しつこく継続的に周知と理解させる努力や姿勢をしておかねばならなかったはずだ。

 上記のようなことを仕掛けてくる韓国は、自国を恐怖のロシア支配から防いでもらい、併合中に民度を向上させるための人的および金銭的な多大の貢献を受けて、戦後は何故日本が支払う必要があったのか理解のできない多額の賠償金の流用で目立った経済発展をし、さらには日本の企業からの支援や窃盗による製造業のノウハウを利用して寡占財閥を形成して輸出能力を向上させた。この百年間の間に日本が居なければ経済発展はなかったことは明らかだ。これは有力なASEAN諸国の指導者が公言していることと一致することである。日本の大手マスコミは東亜三国の日本非難ばかりを拡大報道して(朝日新聞などは率先して東亜三国に日本の専制政治を攻撃しなさいと誘導したのであり、これが引き金になっている)、数多いASAN諸国やインド・中東諸国が概ねないし積極的な日本肯定の姿勢を表明していることは意図して報道しないのだ。保守政権を倒したいの一念だ。韓国の事大主義と同根である。半世紀にもわたってこういう報道しか接することができていない多くの団塊の世代やそれに近い世代、そして多くの主婦層は洗脳され尽くしているので、哀れであるが投票権を持っているので国を憂うる者にとっては政治的には迷惑である。

 戦後しばらくしてからの日本の官僚や政治家や起業家はGHQの方針の通りに公の気持ちや恥(自分の良心、あるいはお天道様にたいする恥)の精神が次第に抜かれていってしまい、もともと恥や公の精神の希薄な韓国や全体主義国家の中共に安易に産業のノウハウを渡してしまって、今になって日本のメーカーが倒産させられている。そういう今の日本の企業には公の精神が欠如してきている。結局、その副作用は誇るべきであるはずのメイドインジャパン製品に最近は手抜きによる不良品が多くなってきているということになる。
 
 日本が戦後に朝鮮半島から「恩恵」を受けたのは朝鮮動乱の特需景気くらいであろう。確かにこの頃から日本の産業は息を吹き返したことになっている。これは、僕は、今から思うと良くなかったと思う。経済再興が早まったことは確かだが、この情勢が日本を自立した国家を再建しようとしていた方針を経済優先の方へ舵を切ることになり、そして今に至るのである。
岸信介政権の時にマスコミや活動家の大反対を押し切って日米安全保障条約が改定された(不平等条約を是正)。自民党の次の目標はGHQ憲法から自前の日本国憲法への改定であって、これは後進に委ねたはずだった。米国も、その後の日本があんな自国の主権を否定したままの憲法を改定しないとは全く予想していなかったということだ。後任の池田隼人首相も首相になる前は改定の気持ちがあったらしいが、何故か、経済重視主義に舵を切った。そして、所得倍増計画をぶち上げた。それは予想以上の成果を得たのである。国民の精神も、国家の問題より経済ということになった。「武士は食わねど高楊枝」でなく「花より団子」となり、「愛国心を言わなくても飯が食えて贅沢ができればそれでいいじゃあないか」ということになり、それが今に至っている。
韓国は昔からの公や恥の精神のないままで経済だけがそれなりに発展した。日本は、経済的にはなお先進国ではあるが、昔にはあった公や恥の道徳が次第に希薄になってきていると感じられる。
 
 戦後、少しくらい経済発展が遅れても好かったではないか。僕は、小学校時代まで貧乏な家庭に育った。しかし、その時に自分が不幸だなんて思わなかったし、今から振り返っても思わない。金と物が多いほど幸せであるなんぞ真実からほど遠い(そういう思わない人がいてもそれはそれでよろしいが)。この世に生を得て、「自分の持ち分を果たせる」ことこそ「有難いこと」で「幸せ」なことなのである。給料が多少少なくてもいいではないか。ただ、働ける場所を得ることこそ有難いことと思うべきだろう。遊びはたまにすることで満足しようではないか。半世紀前まではそうだった。それ故、賃金レベルよりも失業を減らすことが一義的に重要である。
 韓国の文政権では最低賃金を上げて国民を幸福にするというストーリーの政策をとった。国を問わず左翼政権のお決まりだ。その結果、企業はレイオフするか、あるいは倒産して失業者がさらに溢れている。こういう流れは経済に精通していない素人でも十分予測できることなのだ。その文大統領は今回の米朝交渉がまとまるという未熟な予想で予めのストーリーを描いていた。彼のどちらのストーリーもイデオロギーが先で、独りよがりの希望的観測的なだけの結果に終ったのだ。こういうことは日本の左翼イデオロギーの政治家や学者やマスコミの発言内容と符合している。彼らは、国や国民に対して実に無責任であるということである。とにかく、イデオロギーの貫徹が最優先なのだ。これは曽野綾子が述べている「善人は周りのものを不幸にする」の一例でもある。ここで私の言う「善人」とは「単純思考が故に、善人と思い込んでいる人」のことだ要するに、現実を自前の頭で考えていないので(イデオロギーというスーパーエゴが考えせしめている)、多くは現実と乖離している。そして、論理的にも幼稚なのである。そして、多くの人々を不幸にする。実に傍迷惑だ。