2019年8月25日日曜日

韓国は「張り子のトラ」を自覚して「そこそこ」にしておけばよかった


 韓国は8月22日に日韓のGSOMIA(軍事情報包括保護協定)を延長せず破棄することを明らかにした。これは、2016年に締結されたもので、互いの軍事情報を2国間だけに共有して保護しようというものだ。結果的には日米韓の3国の間で、特に北朝鮮のミサイル発射などの状況を把握するのに有意義だというものだった。
韓国は、最近の日本の態度(韓国への輸出に関するホワイト国という優遇措置を取りやめた)への反発(日本は信用できない)としてそのように決めたこと、そして、米国は了承しているなどと政府筋から表明していた。しかし、米国や日本はこれを破棄すると北朝鮮の動きを察知する能力に障害が出るとの懸念を表明していたことになっていたし、韓国がそう決定した後も米国はその決定に反対していたと表明している。少なくとも米韓の表明内容に不一致がある。
日本のマスコミは日米の公式的な表明をそのままその通りに信じており(あるいは、そのような振りをしている)、「朝鮮半島の安全保障に憂慮すべき状態で、日本はなんとか韓国に思い直すように働きかけるべきだ」という風な論評ばかりである。
以前からそうだが、日本のマスコミはどういう事案においても、各国の公式発表が真実だと受け取って、その後の報道や論評をしているようだが(公式見解自体の報道は妥当だが)、毎度本気にそう思っているとしたら、プロフェッショナルとは程遠い「痴呆状態」じゃあないかと思う。どの人物もどの国家も、あらゆる発言には意図が含まれていることが多いのだ。
 
さて、昨年12月に韓国海軍が海上自衛隊の哨戒機にレーダー照射するという大問題を起こし、それを咎めた日本に対して「嘘つき呼ばわり」という非常に失礼な逃げの虚偽態度を続けているが、この時点で、GSOMIAは日本の方から破棄の検討をすべきものだったはずだ。要するに、文政権の韓国は北朝鮮シンパの組織であるので、日本の軍事情報は韓国から北朝鮮に漏れるリスクが高過ぎる。日本の方から破棄を検討するべきなのだ。日本は韓国に言うべきこともするべきことも全然行っていないということに日本政府に怒りを感じる。現実には日本ではなくて韓国の方が破棄を決めてしまった。

ところが、日米の公式見解は額面通りには受け取れないという僕の希望的観測がある。本当のところは、日米両国にはかなり怪しくなった韓国が軍事的・情報的にリスキーな国になってしまったという共通認識が出来上がってしまっているのに違いないと思う。そして、米国は北朝鮮との直接のパイプができつつあるので、米国は少なくとも仮想敵国である北朝鮮と直接談判ができるようになっている。この方が、判りやすい。つまり、韓国の存在意義は米国にはもうあまりないのだと思われる。
韓国は米国がGSOMIAの破棄を本当は事後的に認めるだろうということを事前に信じる楽観的な習慣があったかもしれない。あるいは、米国との接触でそう思う余地を信じるような曖昧なコメントと受け取ったのだろう。日米は、自己中心的で利己主義的で直情的な韓国の方から協定の破棄の行動を起こさせて、日米両国は遺憾であるという表明をするというストーリーを書いて、その通りになった可能性を僕はみる。
ソウルのアメリカンスクールは最近までに閉鎖された。そこには米軍の子弟が通学していたのだ。米軍は韓国から引き上げるプランを実行し始めているようだ。

戦後の朝鮮半島に対する米国の行動には単純思考からは理解出来ないことが多い。そもそも朝鮮戦争は、時の米国国務大臣が「北が南に侵攻しても見逃すだろう」と受け取れるメッセージを発表して、その直後のタイミングで北朝鮮が南下侵攻してきて、朝鮮戦争が始まっている。そして、米国の(国連軍の)司令官であったマッカーサーが北の援軍の中共軍(人民解放軍というアイロニーのような自称をしている)を簡単に撃破する作戦を進言したが米本国が認めなかった。マッカーサーは北に原爆を落とそうとも主張したがトルーマンは許可しなかった。しかし、マッカーサーは原爆は別として、中国から朝鮮半島への補給路になっている河川の橋梁を爆破するという簡単な作戦を進言したが、トルーマン政権が許可しなかったのが摩訶不思議だ。そのために、莫大な数の米国の若い将兵が戦死してしまった。
米国は、朝鮮半島を共産国家との緩衝帯にするように目論んだように思われる。米国の民主党政権のスポンサーであった英国のシティーなどの金融資本の意向を受けていたとも言われている。その後、ソ連の崩壊による脅威の低下と中共の膨張による脅威の増大という一般情勢の変化が起きた。そして、北朝鮮だけでなく、そもそも韓国が近代国家としての内実がないということが、次第に明示されてきたことから、米国主導の南北朝鮮の統一シナリオが米国には描けなくなったと思われる。つまり、ドイツ統一よりもベトナム統一の方の可能性がより現実的になってきたということだ。そして、米国の現在の対中共戦略において、かつての戦争相手のベトナムは重要な協力国になりえている。金正恩とホーチミンとの道徳性には大きい違いがあるとしても、そういう当事国の国内の話は米国にとっては「しばしば知ったことではない」ということは米国の過去の対外政策が明らかにしている。米国の韓国疲れは限界を越した。

戦後の日本を再び強力な主権国家にならないように、日韓両国に常にトラブルがあって、日本の国力の疲弊が適当に存在するのが今までの米国にとってよかったのかもしれない。
つまり、米国にとって韓国という国は、共産国家との緩衝地帯としてと、日本の国力を制限する国としての、そういう意味合いの地域でしかなかったのだと思われる。そう考えてみると、最近までの日韓関係と米国の第三者的な態度を貫いてきたことが何となく分かるような気がする。
しかし、米国が中共は核心的な脅威であると認知した昨今、日米同盟の前提で、日本にもう少し影響力のある国家になってもらおうと米国が舵を切ったのではないかと思われる。日本も米国も面倒極まりない朝鮮半島やシナ大陸には直接関与することは控えて、日本海・東シナ海・南シナ海に中共からの防衛線を設定し直すことが賢明であると僕は思っており、日米両国もそのように思うようになっているという希望的観測をしている。
 そのうちに米国から日本の憲法九条の見直しへの圧力が始まると思うる。外圧があろうがなかろうが、軍隊の保有は独立国家としては当たり前至極のことだ。そういえば、明治維新の頃も米国の外圧で開国が起こった。

韓国は、昨年だったか、日本とのスワップを自分の方から「もう要らない」と延長せず破棄してくれた。これも腹立ちまぎれで後先を考えない韓国の性癖だ。このスワップはもともと日本側に全然メリットのない片務的なものだった。日本政府は韓国に悪態をつかれ続けてきて、実にお人好しといえるが、日本国民の資産の保護に対しては裏切り行為を続けてきたのだ。しかし、スワップがなくなった現在でも、韓国の銀行の決済に対して、日本の銀行の信用保証を与えているのだそうだ。これがなければ、世界の企業は韓国の銀行などと取引きしないことになるという。これも片務的なものだ。
そして、韓国の特定のメーカーは最近まで世界のシェアの先頭を走っていて、国民は自国を先進国と思っているようだが、もともとは労働力が安かったからの産業移転であったに過ぎなかったが、今でも実は「組み立て工場」でしかないのである。核心的な技術やノウハウの開発は米欧日のものに依存しているのでしかない。日本が部品や工作機械を利用させず、円によるウオンの保証をしなくなったら直ちに韓国経済は崩壊してしまう。それなのに、韓国政府だけでなくマスコミに発信できるこの国の人たちは日本に対して上から目線の悪態の限りをつくものだ。これが朝鮮半島の種族の精神構造なのである。そして、これに対して唯々諾々と良い人ぶることを守ることとの引き換えに、戦中にあって必死に日本民族として苦労した人々の名誉を守らないだけでなく、侮辱し続けているというのが大手マスコミを通じて大手を振っている日本人の精神構造なのである。

韓国は、反日教育を含む自国の歴史の捏造を止めて、自国の足らない点を真摯に見つめる機会があればよかったのに、自省も自制もなさ過ぎた。それ故、過去と同様に未来も難しいのではないかと思われる。
 昨年、朝鮮半島問題の専門家である西岡力氏が米国の安全保障の専門家から聞かされた内容は実に怖ろしいことであったそうだ。「我々がこの半島から撤収する時は、焦土化して引き上げる」。朝鮮戦争の直後での撤収であれば、爆弾を落としまくって将にこの通りのことを米国はしたであろう。現在は時代も変わったし、日本に原爆を落としたような非道はしにくい時代となっている。韓国の経済的なインフラを壊滅して去っていくということである。
 この半島の統一ということが物理的に可能になるには、現実的には韓国の経済・生活レベルが北朝鮮のそれに近付くことでしかありえないと思われるが、韓国の「焦土化」は米国にとっても北朝鮮にとっても、奇しくも共通した必要条件となる。現在、北朝鮮シンパの文在寅はそういう作業を確信的に進めているとして韓国の行動を眺めると、実に腑に落ちる気もする。そもそも、韓国は朝鮮戦争における当事者とは認められていないのだから(休戦協定の当事者でもない)、ずっと米国の傀儡政権なのであったので、文在寅の言動はそれなりに理解できる。

最近、「李承晩学堂」という韓国で活動している韓国人自身の歴史学者たちのグループ(李栄薫校長=ソウル大学校名誉教授)が、「韓国の正しい歴史」のような講座シリーズを公開している。日本でもユーチューブで一連の講義を視聴することが出来る(https://www.youtube.com/watch?v=zu3dMjzOgy4 20190703、 韓国の歴史 国民に知らされない真実1 反日種族主義を打破しようシリーズを始めるにあたって) 本当に、自国の将来を思っての韓国の愛国者なのだ。こういう人たちの主張が拡がっていけば、韓国の未来に明るさが見えてくるというものだが、まだまだ、こういう人々は身の危険を感じながらこういう発信をしているのだ。
その内容は、過去の史実に忠実であろうとの努力の成果であり、ほとんどが同意できる内容である。しかも、韓国人が朝鮮民族の将来を祈念しての心からの叫びであるので、僕たちの日本人が今までの韓国を批判するよりももっと深い真実の迫力がある。是非、多くの人がユーチューブを視聴してほしいものだ。
 ただ、李承晩初代大統領を尊敬しているこそのグループの名称であるが、これについては、僕は今のところ驚きと違和感を持っている。彼らの李承晩に対する尊敬の理由は「自主独立」の精神であることは共感できるが、それと表裏一体として、「反日」の精神に貫かれているからだ。この韓国の反日教育というものは、李承晩個人の方針でもあったが、実質上の権力者であったGHQがこの政権に指示ないし容認していたということも言われている。
李承晩が始めた反日の歴史捏造教育が、現在の韓国の不幸の大きな原因であることを考えると、「李承晩学堂」の悲しいような矛盾に内心気が滅入る。しかし、この「講座」では、過去からの日本のあり方に対して概ねは正当に評価している。それが真実であったから当然ではあるが、有難く思うのである。
今年7月、ジュネーブの国連シンポジウムの場で、いわゆる徴用工については、日本人の労働者と同じような扱いであったということを韓国人の大学の研究者である李宇衍氏が証言したという注目すべき報道があった(日本の大手マスコミは目立たないように報道している)。この講座では彼の講義も含まれている。彼は、国連から韓国に帰国してから暴漢に襲われているが幸い大事には至らなかった。

 李栄薫校長は最初の講義の中で、韓国の極めて大きい不具合を「嘘の文化」「種族主義」「反日主義と中国事大主義」だと看破して、これから決別しないと自国に未来はないと自国民に説いている。そして、彼は「崔南善先生が言うには、韓国は建国することにも失敗したし、亡びるのにも失敗した」と、自国民の胸に突き刺さるような言葉を敢えて述べている。こういう人たちがいることを思うと、朝鮮民族の将来が実りの多いものになって欲しいと心から願う気持ちになる。ただ、我々はそういう国になるまでは深入りはしてはならない。福沢諭吉の教訓を忘れないでおこう。

2019年8月15日木曜日

米国は中国をどう扱ってきたか・ 中共は「そこそこ」にしておくのがよかった


 第二次世界大戦がはじまる前において、米国は直接シナ大陸にそれほど権益を持っていなかった。既に、欧州やロシア、そして日本が進出していた後だったからである。ただ、グアム島やフィリピン諸島の統治権を持っていた。
 その頃は既に米国は軍備において強力になっていた日本に対しては厄介者と感じていた。シナ大陸は清国が日清戦争に敗れた後は国民党が勢力を伸ばしてきていた(清国の末裔・溥儀は満州に落ち延びて、日本の加護のもとに傀儡政権といわれる満州帝国を建てていた)。その後、太平洋戦争になる前の時期に、宋慶齢と宋美齢の姉妹はシナ大陸における日本の進出に対する非難の宣伝活動を流暢な英語の弁舌で米国のラジオ媒体などで行っていた(前者は孫文の妻で、後者は蒋介石の妻である。父親はクリスチャンで、ともに幼少時から米国に留学して、米国文化や生活に馴染んでいた)。こういうことも直接米国民に影響も与えたと思われる。また、米国では、中国の舞台で日本軍の残虐行為の筋書きの映画を作って、対日戦争への国策映画を作っている。ここで述べたいのは、対米世論宣伝工作で日本は国民党政権に完全にしてやられていたのだ。日本の暗号はとっくに米国に解読されてもいた。実は、この頃からも、軍事力に負けず劣らず諜報力や宣伝力が重要であったのだが、日本の対外的な総合国力は本人たちが思ってたよりは低かったのだと思う。日清戦争や日露戦争の時までは、少なくとも情報能力はある程度優秀だった。それ以後に劣化していった理由は今の僕には判らない。この劣化こそが、日本を勝ち目のない戦争に突入させた最大の理由だったし、戦争中は軍事作戦の失敗の原因だったし、早期終戦をし損ねたのもこれが大きい原因だった。
 とにかく、この頃から米国はシナ大陸における日本の進出を侵略行為と認定して(じゃあ、シナ大陸で権益を行使していた欧州やロシア(その後、ソ連)は侵略者でなかったのか?アメリカはアメリカインディアンからハワイの人々までを侵略し尽くしたのではなかったか?)、次第に米国の国民感情も日本悪しというようになっていった。開戦直後には日本の移民は強制収容所に入所させるという非人道的なことをしており、このことからも米国が戦争犯罪国であった。そして、米国こそが対日戦争を準備をしていたのだ。
 そして、第二次大戦が始まる頃は、米国ルーズベルト(フランクリン)大統領自身が共産主義にシンパシーを持っていた。それは、よく考えると不思議ではない。共産主義者のアジテートの修辞学は過去も現在も実に優秀であり、単純な頭脳の人間がそれを聞けば、ユートピアを想い馳せて、共感を抱いてしまうのだ。「平和」とか「平等」とかその実現の手立てもなく吹聴するだけなのだ。いかに、そういうことを実現するのかについて真面目にも緻密にも考えないので、その人々が権力者の立場になると、決まって「全体主義」政策を採らざるをえなくなり、その結果は必然的に「戦争」と「不平等」に親和性の高い体制になっているのが現状だ。
当時の米国の与党である民主党には共産主義シンパが多くて、大統領の重要な側近にソ連のスパイが複数いたことが最近までに開示された文書によって明らかになっている。因みに、GHQの米国職員の半数以上は共産主義シンパだったということだ。そういう連中が日本国憲法を数日くらいで作り上げたのだ。

 戦前・戦中から既に米国の世論は日本よりも中国に好意を持つ傾向にあったが、戦後も極東の潜在的な大国の日本と中国(この頃は毛沢東の中国共産党が蒋介石の国民党を台湾に追いやって、シナ大陸の実権を握っていた)との扱いを、中国に好意的に扱うことから始まっている。米国は日本の軍隊には恐怖を味わった後なので当然であった。
 共産主義に対しては、もともとルーズベルトとスターリンとは盟友であったほどである(英国首相のチャーチルは単純な人間ではなかったので、スターリンを警戒していた)。
 太平洋戦争の終戦時は米国は政権を引き継いだ民主党のトルーマン政権時の1950年に朝鮮戦争が始まり、米国を旗頭とする資本主義陣営とソ連と中共を旗頭とする共産主義陣営との冷戦時代に突入した。
 1950年の米国というと、250名という多数の国務省職員である共産党員のリストをマッカーシー共和党議員が暴露告発して以後、米国のソ連離れが始まり、「赤狩り」が始まった。1949年には蒋介石政権を打破した毛沢東による共産党政権が成立し、ソ連の原爆実験が成功するなどの共産主義国家に対する警戒感が湧き出した。日本においても、ここにきてそれまでの左派シンパが多かったGHQにも通達が行き、日本の左翼を泳がせることはなくなって、たとえば日本共産党を非合法化した。
 ただ、この頃の中共の国力はまだまだで、米国はソ連ほどまでは警戒をしていなかった。あるいは、その後、ソ連に対抗するために、中共とある程度の協力を求めようとする姿勢をとることもあった。

 その後の米国はソ連に対しては軍拡競争を仕掛けて、ソ連の経済の破綻を顕在化させて、レーガン大統領とゴルバチョフ大統領の時に一本勝ちをした。もともと二大国ではなく、国力からは米国一強であったのだ。米国は経済力からしてソ連は「張り子のトラ」であることは判っていたという意見もある。
 当時の米国から見れば、中共はまだまだ混乱と貧困の国であり、将来の中共を警戒する気にはなっておらず、まだまだ日本が復活し過ぎることを恐れていたようであった。中共が次第に軍備拡張をし続けていたにもかかわらずである。僕は、それほど米国にとって日本の軍隊や国民の強さの印象が強かったのだと思う。
 そのうちに、世界において国力の重心が経済競争にどんどん移っていったが、米国にとって中共は安い労働力が豊富であり、また人口が極めて多いので輸出先の対象としても非常に魅力のある市場だった。そして、中共が欧米や日本からの援助で国民の生活がそれなりに豊かになった時点で、共産主義を捨てて自分たちの陣営に近寄ってくるのではないかという期待を持っていた。
 だから、最近までに次第に増長してくる中共の覇権主義体質にまるで盲目のようになっていたのだろう。特に、クリントンとオバマの民主党政権は日本と中共とを比較すると明らかに親中共政権であり、この政権が長期にわたっている間には、中共の「やり過ぎに」を気に掛けなかったとみえる。しかし、いろんな製品の海賊版を作ったり、特許を盗んだり、ネット犯罪を起こしたりしていた不道徳国家であることは明らかだった。歴史的事実からは、日本にとって米国の民主党政権は疫病神のオンパレードだ(ウイルソン・ルーズベルト・トルーマン・クリントン・オバマ)だが、米国の大手マスコミはことごとく民主党シンパであるし、その受け売りの日本の大手マスコミも産経新聞以外はことごとく民主党シンパだ。

 ところが、軍事的には東シナ海にある中共の領土といえない南沙島にとんでもない規模の軍事基地の増築し続けており、マラッカ海峡を通るシーレーンに脅威を与え出た。そして、経済覇権的には「一路一帯」プランを立ち上げて、米国に代わる経済圏の主導者になるというあからさまな挑発をし出した。つまり「そこそこ」でなく「やり過ぎ」なのだ。
 無能な民主党政権が共和党のトランプ政権に交代した頃に状況が激変した。新政権はこの「やり過ぎ」を見逃さなかった。
 僕は、日本にとってこそ、中共に習近平、米国にトランプという指導者が現れたことは神からの恵みだったと思っている。習近平は「やり過ぎ」という失敗をしてしまい、トランプはもう少しで取り返しの付かなくなる中共の危険を正しく診断して、何らかの対応の実行をしようとしている。そして、米国に対して「やり過ぎ」の北朝鮮の金正恩指導者と特に日本に対して「やり過ぎ」の韓国の文在寅大統領の出現は、神からの恵みであるように思っている。「やり過ぎ」は失敗の始まりだからだ。しかも、我が国には長期政権で欧米の列強の指導者と伍していける安倍首相が在任中ということも、日本の国益にとって有難い巡り合わせだと思っている。

 第二次大戦後の中共は毛沢東主席が権力者であったが、すぐさまチベット族やウイグル族・モンゴル族の領土などを侵略して自国のものにしている。戦勝国とはいえないが、曲がりなりにも戦勝国側になった中共の不法行為というべきものは見咎められずに現在進行形なのだ。日本のマスコミがこれについてほとんど報道しないことこそ非倫理的で腹立たしい。
 毛沢東はその後は内部抗争に明け暮れ、紅衛兵というまさに私兵的ないい加減な組織を作って利用し、文化大革命を起こして、自分の政治生命を長らえることを図った。ただ、まだ国力は不十分で、日本に対する非難もあまりなかったように思う。韓国のようないじましい国とは少し違い、戦争中の案件における日本に対する賠償は当初から毛沢東政権は放棄している。まだまだ、対外的に考える余裕がなかったこともあったのかもしれない。
(注)日本の敗戦の時点での中国の政権は、まだ曲がりなりにも蒋介石の国民党政権であった。多数の日本人の引き上げ者が無事に帰国できたことについては、当時の国民党政権下での中国人のお蔭であるということを、最近遅まきながら知るようになった。これにひきかえ、ロシア人と朝鮮民族には日本人の多くの引き上げ者が言うのも憚れるような残忍な仕打ちを受けている。2021.06.27追記)

 ところが、毛沢東の死後に政権を引き継いだ鄧小平は実に老獪であった。彼は「政治は共産主義を貫徹するが経済は自由主義にひろげる」とかなんとか言って、いわゆる殖産興業を目指したのである。資金や技術を先進諸国からただ同然で取り入れようということで、この政策は大正解であった。そして、大多数の国民は貧しいが、軍事大国・経済大国に至ってしまった。国際社会もこういう国に対して、ずっと経済途上国の扱いを受けることを容認してきたのであり、日本も、最近までODA(政府開発援助)を与えたりする大馬鹿をやっていたのである。ハニートラップがあったのではないかと思ってしまう。

 現在に鄧小平が生きていたら、習近平のような阿呆な行動はしなかったと思われる。現在もなお超大国の米国が存在しているからだ。鄧小平ならもう後10~20年くらいたって米国が気付いた頃にはもう後の祭りだという頃までは「爪を隠していた」と思われる。習近平は「2025年には軍事的にも経済的にも米国を追い抜く」とぶち上げてしまったのである。僕は、習近平のせいで、中共の世界制覇は夢物語になることに決したと思っている。

 しかし、米国はつい最近まで、こういうような中共よりもなお日本の方に警戒心を持っていた一面があるように思われる。中共が共産主義国家であり、日本は資本主義陣営内であって、かつ、日米同盟があるにもかかわらずそのようであった。その理由は、超大国の米国は、自国以外は「バラン・オブ・パワー」を守りたいのだろう。多くの国の中で米国を軍事的に震撼せしめたのは日本軍が飛びぬけていたのだろうと思う。かなり、中共が強力になってきた時点でも、日本が再び強力になってくることとの天秤に掛けると、中共寄りになってしまうという選択をしたのではないかと思う。
しかし、本当は、日本という国の風土は西欧や中国大陸のような肉食系の文化ではないのだが、米国も戦後七十余年経って多少それが分かってきたのかもしれないと僕は思っている。そして、習近平の言動でやっと、中共を最大警戒の国家と位置付けることになったのだ。ロシアは経済的には問題があるので、中共ほどは脅威に感じなくなったと思われる。しかも、ロシアは曲がりなりにも共産主義を卒業した国なのだ。
 ある意味では、この1~2年は戦後レジームの大転換の最中であり、僕たちはそれを証人として見ているのだと思う。つまり、米国の態度として、戦勝国側の中共と敗戦国の日本との戦略的立場は逆転したということだ。
ただ、トランプ大統領はこの流れの主導権を握っているのだが、対立側の民主党も含めて、米国の議会の多数が中共をそのように位置づけるようになったようである。トランプはそういう意味では時代の子であったということが出来る。
面白いことに、日本のテレビ番組や大多数の大手新聞からは、こういう話はほぼ出てこずに、「トランプは知性のない馬鹿な奴だ」、という情報操作を繰り返しているので、これらのマスコミしか見ない多くの日本の国民は洗脳されている。トランプは柄は悪いが、賢明な指導者だと思われる。もちろん、米国の国益にとってである。国益第一は当然のことであって、これを非難する勢力は国際政治のエネルギーのベクトルがどういうことであるか判らない知能しかない者だと思う。トランプが「自国が第一」と何度も発言しているのは、同時に「貴方の国も「自国が第一」のスタンスでしてください」ということで、自明の理のことを言っているのだ。「国連第一主義」的なスタンスがどの国のためにもならない悪しきグローバリズムに陥っていることへの明確な反旗なのである。トランプは二国間交渉が基本であるとも明言しているが、これもまことに正しいことだと思われる。
 今後、国連機能不全状態に対する反省期に進んで行くと思われるが、これも戦後レジームの転換の一表現だろうと思う。

 とにかく、長期政権の安倍首相と合理的なビジネスマン上がりのトランプ大統領が同時期に日米の首脳であり、二人の個人的な交流が異常に多いといことは日本の国益にとってこそよいことであり、このタイミングで、「やり過ぎ」の習近平と文在寅が中韓の首脳であることは得難い組み合わせの妙だとして、僕は喜んでいる。ただ、僕にとって、金正恩委員長についての評価は一番判りにくい。つまり、彼を米国が最終的にどう扱うかについて今のところ読めない。

2019年8月14日水曜日

米国は日本をどう扱ってきたか・ 日本は「そこそこ」にしておけばよかった

 米国は、清教徒という英国において迫害されていたキリスト教徒(プロテスタントの一派)が1620年に東海岸に上陸してから増殖してきた国家だ。そもそも、今の米国という国の成り立ちは、英国の開拓民がアメリカ原住民に終始戦いを仕掛けて駆逐していったということから始まる。その後、相当数のドイツ系移民やその他の欧州の人々が加わった。当初から黒人の奴隷~奉公人が使用させられている。
その後、母国の英国からの独立戦争(1775~1783年)を経て、1846年のメキシコとの戦争(米墨戦争)で西部の土地を奪取して西海岸にまで到達した。1898年のスペインとの戦争(米西戦争)を経て、カリブ海の諸島の他にグアム島やフィリピン諸島の統治権をスペインから奪取した。さらに、ハワイ王国の崩壊の前後に影響力を及ぼしていた米国は米西戦争のしばらく後に米国に吸収してしまった。アラスカだけはロシアから購入した。
 
 日本が大東亜戦争の際にシナや東南アジア諸国に進出した際、進出・占領を受けた人々の一部が非難するとはことがありえても、今述べたような歴史の米国が日本を非難することなどは滑稽の極みだ。日本の敗戦70数年後においても、なお日本国内にこのような戦勝国のレジームの観念(日本が戦犯国であるという戦後の米国の洗脳)を抱いている人たちは貧しい知能しかないのだと思う。米国がこの洗脳を企てた理由は、東洋人の分際の日本人が西欧人に戦いを挑むとは「怪しからん」という人種差別であると思われる。日本の落ち度は「負けいくさ」をしたことに尽きる。戦勝国なら何も問われることはないのだ。この戦争の前も、現在においても現実はそうなのだ。

日本に2発も原爆(第二次世界大戦の時点でも、非戦闘員の大量無差別殺戮ということは、国際平和条約で明記されていた戦争犯罪である)が落とされた理由はいろいろ議論されていることは承知しているが、大きい要因としては日本が東洋人種であったからに違いないと思われる。ドイツがなかなか負けなかったとしても、開戦時の驚異がしぼんできたドイツには原爆は落とさなかったと思われる。
とにかく、米国はハワイ諸島付近まで西への進出を果たしていたが、その広大な太平洋の先には広大はユーラシア大陸があったが、その手前に日本列島があった。当時の東南アジアは欧州諸国に占領され、シナ大陸は欧州やロシアの列強により割譲をされていったが、米国はまだ直接の進出は出来ていなかった。

米国のペリー提督が幕末の1853年に日本に現れて開港を強要したのは、自国の捕鯨船の燃料その他の補給のために港を提供してほしいためであったに過ぎない。ただし、当初は不平等な通商条約を結ばされた。しかし、英国と仏国が明治維新の際に政治介入しようという思惑を持っていたのとはいささか異なる。国内問題が不安定で、そういう余裕がなかったからのようだ。
そしてその後、欧州や米国の各国は日本からの留学生を受け入れてくれたり教育者を派遣してくれたりして、東洋の小国の発展に好意的に貢献してくれた。そして、日本人の文化や能力についてはスポラディックに評価されていたと思われる。
その後、日清戦争の後の日露戦争の際には、戦費やポーツマス条約において欧州や米国が日本の方に好意的であったので、日本に不利にならないような結果で済んだものだ。もちろん、日本の知力と武勇の成果でもあったことは確かである。この頃までは、米国は(たとえ東洋人種への差別意識がそれなりにあったとしても)日本に対して好意的であったと思われる。

僕は、最近までに、この頃からの近代のことを書き記した書物をいろいろ読み足していく従って、日本は第一次世界大戦後から米国から邪魔な国家だと思われるようになったということを知った。余談だが、その長い歴史は令和時代になってやっと払拭される可能性が出てきたという感触を今持っている。
日本は、あの栄光の大英帝国と日英同盟を結ぶようになった。今から思っても、この事実は驚くような快挙だったと思う。ロシアに対する利害が共通していたのだろう。そして、その状況の時に起こった第一次世界大戦(この戦争は基本的には欧州が主戦場だった)では、同盟国の要請でやむを得ずにロシア出兵を行ったりして、戦勝国の立場になった。大戦後の1919年のパリ平和会議によって、ヴェルサイユ条約が締結された。 この会議は影響力の大きくなった米国のウィウルソン大統領が議長として主導権を握っていた。
この会議において、日本は「人種差別撤廃」の議題を提出したことは現在の日本国民は知っておかないといけない。この時点では、欧州の列強がアフリカ・中東・アジア・アメリカを占領しまくっていた時代である。僕は、この日本の行為が政治のパワーゲームにおいては拙かったのであると思う。
もちろん、この「人種差別撤廃」は素晴らしい主張であり、日本の政治・文化の風土と歴史があったからこその立派な主張だったと思われるが、これは、当時の西欧列強にとっては「過激過ぎる主張」であったはずだ。この立場表明により、これ以後の世界の指導者にならんとする米国は日本を厄介者と扱うようになったと思われる。なお、この動議は賛成多数を得て採択されるべき状況だったが、議長の米国・ウイルソン大統領が議長職権を行使して、「この重要過ぎる議題は全員一致が必要だ」といって否決して終わっている。僕たちは小学校の歴史で、国際連盟はウイルソンが提唱したもので、なんだか立派な人物として習ったが、決してそうではない。しかも、勝つはずのなかった米大統領選で英国のユダヤ系財界からの多大の援助を得て当選していたので、その操り人形であったという点があったらしく、政治信念が平和主義であったというのも疑わしい。

第一次大戦後には、敗戦国のドイツの領土であった太平洋にある南洋の諸島を日本の信託統治として任された。この時点で、米国にとって、太平洋の西側は千島列島―日本列島―沖縄諸島―台湾―南洋諸島という日本領土のアーチがシナ大陸やインドシナ半島方面への手前に塞がる状況だったのである。台湾と南洋諸島の間だけは日本領ではないフィリピン諸島(米西戦争の結果、当時は米国に統治権があった)が挟まっていた。こうした地政学的な状況も、米国にとって日本は厄介者と思われるようになったと思う。つまり、欧州の列強にとっては日本はただの遠い国に過ぎなかったが、米国こそは太平洋において対峙していたのである。
パリ会議は欧州の戦後処理が議題であったが、米国はシナ大陸などの権益に関わる案件についても議論をしなければならないということで、1922年にワシントン会議を招集した。日本が大戦の間隙の中で膨張してきたことに米国が危機感をもったからだ。この会議の時に日英同盟は更新せずに解消する運命になった。それは米国が日英同盟の存続が英米間の緊張につながることを恐れて、英国に破棄するように圧力をかけた。英国にとってはロシア帝国とドイツ帝国が崩壊した状況からは日英同盟の必要性は少なくなったのだが、存続の選択に異存はなかったのかもしれない。ただ、英国も米国との海戦につながるような因子は解消した方がよいという一点で最終判断をしたのだろう。とにかくは、米国の意思が日英同盟を終わりにさせた。

真珠湾攻撃が第二次大戦における日米開戦の時ではなく、ハルノートの時点で既に米国の経済封鎖発動ということで実質上始まっていたという認識が、米国の極秘資料の公開が相続くことにより確かなものになりつつあるのが最近のことである。米国の方が着実に開戦の準備をしていたのだ。最近は、ルーズベルト大統領が日本との戦争を仕掛けたという資料が出回るようになっている。
しかし、それよりずっと以前の第一次大戦の終戦直後からの上記の状況が、米国をして日米開戦に向わせる一般状況であったと診断することができる。

では、日本は最後の敗戦を避けることができたのであろうか? 日米開戦は普通であれば避けられなかったかもしれない。それは米国の方の意思であったからだ。ただ、日英同盟の破棄と日独伊三国同盟の締結が決定的に拙いことであったと思われる。

それはそうだと思うのであるが、ここでは違った側面から考えてみた。結論は、戦争は避けられたかも知れない。日本は「やり過ぎた」と思う。「そこそこ」で様子をうかがっておればよかった。
領土については、千島列島から台湾、そして南洋諸島という回廊で上出来とすべきだった。当時のシナの状況はカオス的な政治状態で、コミットを深めた日本も翻弄されるようになってしまった。大陸への進出が身の程知らずであったということだった。たとえば、大本営が駄目だったのか、関東軍が悪かったのかという議論がずっとされてきたが、どちらの意見や主張にはそれなりの根拠があったのだと思う。本部と現場が遠すぎて、特に現場から大本営の方への情報のフィードバックが伝わっていなかったのだと思われる。ただ、大本営は現場からの具体的な情報を十分に知ろうとしなかったかもしれない。とにかく、日本の進出版図が管理できる範囲を超えていたのだ。

 また、ワシントン会議のサテライトであったワシントン軍縮会議で決められた各列強の軍艦の割り当て比(米英日仏伊がそれぞれ、5:5:3:1.671.67については、日本にとっては無念の結果だったとなっている。しかし、世界の3番目の海軍勢力を容認されていたのだ。米国の方もこの辺で妥協していたのだ。西欧列強の中のこれは「そこそこ」で上出来でよかった。なにせ、相手は白人の列強国ばかりだったのだ。最近でも、イラク戦争などを身近にニュースで体験すると、欧米諸国の強靭さが分かるというものだ。
そして、当時、西欧列強は異分子である東洋人種の日本人の能力が多分次第に恐ろしくなっていったのだろう。

「そこそこ」で様子を見ていて、当時の米国にある程度は「ヘイヘイ」「ハイハイ」と言っておればよかったのだろうと思う。そうしたら、それなりの扱いを受け続けていたかもしれない。そうしなかったので、日本は太平洋戦争に負けた結果、最近まで米国に完全に「ヘイヘイ」「ハイハイ」してきたのである。
もし日本が自信過剰にならなかったら、現在までの日本は全然違った発展・成長をしていたかもしれない。その代わり、東南アジアの諸国の独立は何時になっていたかわからない。日本がインドシナに侵攻したのが契機で独立できたわけだから。

米国は自国の戦勝後に日本の戦争犯罪に関する東京裁判を開いた。そして戦争犯罪人として日本の指導者を絞首刑に処したりした。この裁判は「違法」であった(当時も現在も、「事後法」は「違法」である)。何故、このような無理やりの裁判を開き、憲法九条を含む国権無視の今の日本国憲法を押し付けたのか。その理由は、やはり先程述べたように、東洋人種であるにもかかわらず末恐ろしい日本民族を二度と米国に立ち向かわないようにしておこうと考えたのだろう。それは、見事に成功を収めている。その当時の米国GHQが行った洗脳思想についての現在の日本人代弁者が左翼ないし似非文化人というのは、本当に残念を通り越して喜劇である。

しかし、朝鮮戦争の勃発後に、米国は日本に共産勢力の防波堤としての機能を認識して、日本に対してのネガティブな姿勢は多少は減少していった。さらに、米国はGHQによる日本統治の経験で、日本民族の非常に従順で温和な民族性をやっと実感するようになっていった。そして、日本は軍備を米国に依存しながら、当然の資質から経済大国になっていった。そして、一時は米国に続く世界第二位の経済大国に上り詰めた。
僕は、今度は経済活動の面で、第一次大戦後と同じような間違いを日本が犯したと思う。それは、日本の企業が米国の誇りであるエンパイアステートビルを買収したことに象徴している。それまでに、これは仕方がなかったにしろ、日本の車が米国の顔である自動車産業の誇りを傷付けていたこともあった。米国に対して「そこそこ」を逸脱して有頂天になり過ぎたのである。米国は今度は経済において、日本の経済による世界制覇の勢いに危機感を抱くようになった。「軍事力と情報力を半人前にさせて安心していたら、今度は経済力で攻めてきた」ということだ。
この後、1985年のプラザ合意により、輸出抑制の方便としての円高を誘導するよう圧力を掛けられて、その後の日本の経済は勢いを失っていったといわれる。しかし、今の韓国と同じく、自国の経済を輸出に依存し過ぎていた構造がまともではなかったと僕は思う。やはり、合意の方向の通り、適度の「内需」が重要だったのだ。しかし、日銀・政府の対策は拙速で、地価が暴騰してバブル景気となった(現在の中共では猛烈な地価バブルが生じているらしい)。「内需」の主力が土地売買ということが不健全の極みなので、その後に重病を発症することは自明の理だと思うものだ。それに対する引き締め政策(公定歩合の急激な引き上げに続き、不動産の総量規制や種々の土地所有関連の税金の強化)がもっと拙速で、それで急激なバブル崩壊を起こした。医療に置き換えれば、医学の文言だけ覚えて、患者の生理反応の速度や程度を斟酌せずに薬物を投与して、血圧や脈拍が乱高下してしまった(医療の場合では死んでいる程度)ということだろう。日銀や政府は「治療が下手で乱暴」であったということだ。

さて、令和という元号になったが、たまたま今は、日本が最浮上するかどうかの重要なタイミングであるとの根拠がある。それは、今度は、中共と韓国が間違いを起こしたからだ。両国はもともとオカシカッタが、今や「そこそこ」はまったくなくなり「やり過ぎ」まくりになった。ただ、韓国は中共と比較する程の国力が全然ないので、事の重要性は低いのだが、習近平と文在寅とに「そこそこ」が全くなくなった言動が同時期的に起こったことは、非常に興味深く思っている。これらの反面教師のお蔭で米国をはじめ世界の多くの国々が、相対的な日本のまともさに気付いてくれるようになるだけでなく、対中共や対韓国に対する比較的厳しい対応をしてくれることになって、日本の立ち位置が改善されることになるという期待ができる。
しかし、日本が「そこそこ」の戒めを忘れないだけでなく、世界標準の成熟した姿勢で自らの国の権利を守らなくてはならないことが必要不可欠だ。「隣国とは友好第一」「戦争絶対反対」「再軍備反対」などの幼児的で空虚で国益を一切考えない世界市民イデオロギー(他国に利用されるだけのグローバリズムであり、現実には戦争を仕掛けられるリスクが極めて大きくなる)から抜け出さないと再浮上は無理だろう。
第一に他国から攻められることがないこと、第二に他国に攻めることのないように、ということは国家として実際に一番重要なことである(我が国の似非文化人は、世界標準と全く異なり、第一と第二の順番が違うのであるが)。第一と第二との重要性は相当の開きがあってしかるべきだ。このことを担保する最大のノウハウが、世界標準の成熟した国際感覚なのだと思われる。つまり、「隣国とは友好第一」「戦争絶対反対」「再軍備反対」の題目を唱えているだけでは、日本の領土は少しずつ隣国に持っていかれることになる。特に、近い将来、米国が西太平洋への関心をなくすようなことがあれば、その時点で間違いなくそうなってしまう。
(①)米国と仲良くしてもらって(米国の子分)、軍備や情報機能(スパイ対策など)を不完全のままでしのぎ続ける。(②)米国の子分をやめて、軍備や情報機能を普通の先進国レベルに上げる。(③)米国の子分でいながら、軍備や情報機能を普通の先進国レベルに上げる。(④)米国の子分をやめて、かつ、軍備や情報機能に力を入れない。
の4択ならば、成熟した国際感覚では③しかないはずだ。ここでいう成熟した国際感覚とは、なにも思想的に立派なことというのではなくて、沢山の国民の安全を守る立場の政府ならば、左右のイデオロギーではなくて現実的な対応をせねばならないという、当たり前の感覚を指している。
④は日本の「世界市民」イデオロギーのシンパだけが主張しているだけなので、阿保らしい以外の言葉はない。①は今の日本の状況で、それが危うい状態であることはすぐ前の文節で述べたとおりだ。②は第一次世界大戦後の日本の状況で、身の程知らずで非常に危険である。つまり、当面は、否が応でも、超大国の米国が君臨しているのだ。日本の国益(つまり、これは日本人の益である)からすると、米国の傘の下にいることが有利だということだ。米国が中共よりも倫理的であるからというのが拠り所ではない。ただ、幸いなことに、米国政府の方が共産中国の指導部よりも相対的に倫理的に遥かにましである。