2018年12月21日金曜日

韓国と日本とどちらの非常識が凄いのか?



現在の文在寅大統の政権になってからの韓国の反日行動に至って、我が国の最近の嫌韓意識が非常な勢いで拡がっている情勢のようだ。この情勢は、いわゆるポピュリズム風潮ではなく、健全な(というか、普通の)精神生理的反応である。そういう意識になかなか多くの国民がならなかったことが僕には理解できない。説明できるとしたら、偽善者ばかりなのか認知力がない人々ばかりなのかということだろう。
何故なら、何十年も前から韓国の政府・マスコミ・企業・人々の思考・行動応パターンは一人前の人間としては恥ずべきもので溢れかえっているからだ。反日の問題に限らず、日本以外の国に対しての態度もそうである。この実際の事例については、後日、僕なりの切り口でぼちぼち書いていこうと思っている。
僕は、しかしながら、以前から「日本の方が余程異常な国であるという諸点がある」「日本は世界の非常識」という判断をしているが、これを今書かないと時期を逸すると思った。

それは、竹島問題・慰安婦問題・戦時工場労働者(徴用工ではない)問題などの韓国発の断交をしてもおかしくないような日本を貶める嘘(これが嘘であることは歴史的証拠が数多く揃っているのだが、日本の大手の新聞・テレビはこれを隠蔽したい理由があるようだ)をバラまいているその極の時期の1214日に額賀福志郎を代表とする日韓議連の超党派議員たちが訪韓して文大統領などと歓談などを和やかにしたからである。多くの国士を任じる人々は、それに対して、ピンの「理解できない」からキリの「許せない」などの意見をネットで書き込んでいる。とにかく、「今は訪韓する時ではないのに、なにをやっているんだ」という意見に集約されていた。僕の場合はそういう意見と似たり寄ったりだが、敢えて客観的にみると「国際力学的に常識はずれだ」ということに力点がある。「こんな話に「客観的」などと他人事のような呑気なことを言うなよ」というお叱りがあれば、僕もその通りだと思う。僕こそ、大変怒っているからだ。ああいう議連の議員たちは危機感を欠如しているから外交音痴になることができるのだろう。憲法九条と米国の保護の下での太平の世のような感覚を持って安穏と政治家を続けているのであろう。韓国での夜の接待がどういうものであるか知りたいものでもある。あるいは、長年の利権が纏わりついているのだろう。こんな状況の時に「友好を深めるためだけに」訪韓するなんて、国益を大いに損なっている。
というのも、こういう記事やニュースを他国の人が伝え聞いたらどう思うかである。「日本人は本当に穏やかな人が多いから立派だなあ」とは思わず、「日本人は理解できないなあ。あれだけ酷いことをされているのに、何を考えているのだろう」「日本には外交の常識がない」と判断されているに違いないと思う。特に問題なのは、日本という国はいくらひどい仕打ちをしても反撃がないから、国益のためにはどんどん口撃しまくろうではないかというコンセンサスが広まっているのである。

僕は、以前から中共(最近の世間では中国というが、中華人民共和国という国名をしっかり認識しておかなくてはならない)や北朝鮮(朝共というべきか)の方が日本より、余程、外交行動として常識的だと思っている。これらの国々でも、米国やロシア(~ソ連)であっても、その他の一人前の国々であれば、二国間の片方が相手に反発をもって受け止められるような行動に出た場合に、相手側が必ず先ず発表するメッセージが「そういうことを進めるのなら、今後二国間で起こるであろう不都合は貴国が全責任を負うべきだ」なのだ。これが、現実の外交常識の一端なのだが、戦後、我が国の外務省などからこういう立派な(いや、実は、当たり前で陳腐でもある)メッセージを発したのを聞いたことがない。
こういうメッセージは、実際には戦争に近い話でも何でもない。かえって戦争に遠い話になりうる。というのは、日本人の性癖で気を付けなければいけないことは次のようなものだ。常に他国の気持ちに斟酌し続けているうち、相手がどんどん横柄になってくるので、最後に至って、「我慢もここまでだ」と尻をまくってしまう。ナチスの初期の隣国への侵攻に対して時の英国政府が融和対応をしたことから、最後には大ごとになった教訓を忘れてはならない。「尻をまくる」か「国を取られるか」のギリギリになる前に、普通の(国際上では常識の)対応をしておかないといけない。

「日本にはどんなに酷いことを言っても酷いことをしても、反発がない」ということを戦後の70年余にわたって近隣の諸国、特に、東亜三国に植え付けてきたのである。現在の韓国のようにどんどん日本に対して理不尽な行動をとっているのは、元はといえば日本の非常識な連中が、意図的にせよそうではないにせよ、そのように誘導し続けてきたことに要因があると思わねばならない。
慰安婦も軍艦島も朝鮮半島出身の人々に対してはもともとの日本人に対してと基本的には同じような扱いであったことは文字や画像での証拠で一杯なのだ。それを「悪うございました」と嘘までついて謝った政治家が最も悪い。その後の数十年の国益を損ね続けている最低の政治家だと思う。「自分たちは本当は悪くはないのだが、謝る態度を示しておけば相手も分ってくれるであろう」は日本人同士の例外的な話だ。相手は外国人だ。ことは国際問題なのだ。戦後の日本の外務省や多くの政治家は外交的に素人的で幼児的で、そして「世界の非常識」なのだと思う。人間の心理の働きを理解できない人物ごときが外交や政治する資格はないと言いたいものだ。

(参考)意味論コラムM: 意味論的国語辞典「国際」

2018年1月28日日曜日

大学教養学部での「言学」の講義内容

  • 四年間の専門課程に進む前に二年間の教養課程があった。そのうちの選択科目の中で、僕は「言学」を選んだ。日本語に多少の興味を持っていた。理系の学生はほとんどいなかったと思う。担当の渡辺実助教授は、「言語学ではなくて、言学です」と最初に説明されたが、その内容は覚えていない。かなり専門的な内容の講義だったと思うが、僕は興味を維持して受講できた。日本語の語句の発音の様式から、日本語の由来とその後の変遷を考察していたようだった。断片的に覚えていることで、母という言葉は初めは「パパ」との発音だったいうのが面白かった。父はまさかの「ママ」ではなくて、「テテ」だという。今でも、てて親という言葉がある。今、広辞苑で「てて」を引くと、「ちちの転」と書いてあるが、渡辺講義によると、逆に「てて」から「ちち」に転じたのだった。ところで、この母については、papa fafa hahaと時代とともに変化したという。その他、子音と母音、音韻、音便などの解析を教えてもらった。講義の中で、日常生活に関係のある二つのことを学んだので、そういうことでも意義深かった。
    一つ目は、イントーネーション(音調・抑揚)のことだった。関西の人間は、努力さえすれば関東弁を話すことは困難ではないが、逆は言学的には難しいということだった。山や川などの二音節の単語の音調には①下降、②上昇、③水平の三種類があるが、関西と関東では、①と②とが見事に反対になるのは割合に知られていることだ。ところが、関西語の②の中には、②a単純上昇と②b語尾に微妙に下がりのある上昇、という二種類がある。関西人は②を全部①に変換すれば、関東弁になるので迷うことはないが、関東の人は、①が②aに変換するのか②bに変換するのかは認識のある関西人にレクチャーを受けておかないと判らないのだ。
    関東語で説明すると、隙・鋤(スキ)の音調は③なので、関西でも③のために問題はない。好き(スキ)の音調は②なので、関西では①になる。橋(ハシ)も②なので、関西では①となる。他方、箸(ハシ)は①なので関西では②(②a)になる。ところが、窓(マド)は①だが、関西では②bになる(マドではなくマド)。僕は今これを書いていてヒットしたのだが、この(マド)の発音の仕方は、(ヤフ)をYahooと、(スキ)をskiのように発音するのと似ていると思う。この窓のようなケースは多くないかもしれないが、僕の判断では、他に晴れや雨とか亀などがそうだと思う。僕自身はこれらの言葉の発音で関西人でないことを察知する自信があるように思える。
    なお、渡辺講義とは無関係だが、理由はしらないが、熊本人の言葉は二音節であろうが、三音節であろうが、しばしば文節であろうが、全然抑揚のないことが多くて、このことで、熊本人であることが判ることがある。
    二つ目は日本の方言の分布に関する原理である。これはフランスにおける方言の分布の原理を適用したところ日本でもそうだったということだ。仏国はずっと昔から国の中央にあるパリが文化の中心だった。そして、その国土は概ね平坦である。この結果、仏国の方言の分布はパリを中心に同心円状になっている。パリ語が時代とともに変化してきたのだが、それが周囲に伝わっていったのだ。すなわち、パリからある距離の地方は何世紀前のパリ語であり、それより遠方の地方は、さらに以前のパリ語なのだそうだ。
    これを日本に当てはめると、そういう傾向が明らかだということだ。ただ、仏国とは異なる二点があって、多少は見事な分布ではない。第一点は、パリと同じく文化の発信地は長らく京都辺りであったが、その後に江戸に政治の中心が移り、明治維新になって以来は明確に東京が言語においても発信地になった。そこで、京都中心の大きい(歴史が長い)同心円に別の小さい同心円を取り巻く発信地ができたパターンになっている。       第2点は、仏国と違って日本は山岳地帯が多い。そこは、波が伝わるのに時間がかかるので、より以前の京都の言葉が島状に残っている傾向にあるという。  
     東北地方の言葉と同じような言葉が山陰地方や九州地方,あるいは中部山岳地方にみられ
    ることも、この原理で説明ができるということだった。しかし、この講義以後の半世紀のテレビなどの影響を考えると、東京中心の円が物凄い勢いで大きくなっている可能性がある。