2019年1月27日日曜日

韓国は中国や北朝鮮よりもややこしい国だ(その1)


 僕は昨年ごろから「韓国は北朝鮮に合併される」場合を想定すると、むしろその方が日本にとってもまだましなのかもしれないとということに気付いた。僕はジャーナリストではないから、詳しい資料をここで示さないが(彼らが書いた資料は読んでいる)、韓国は戦後の朝鮮半島の南半分を線引きして無理やり米国が資本主義陣営に囲い込んで作られた国だ。国の正当性は我々にあると北朝鮮が主張する根拠はそこにあるし、米国も反論できないものだ。
 もしそうなると、38度線での緊張線が対馬海峡に迫ってきて、日本にとってはリスクが増大するという話が出てくるが、現在の各国の武器を概観すると、こんなことは実はたいした話ではないのである。日本の防衛体制の構造(先ずは、憲法から)を世界標準しない限り、リスクは今までも今後も大きいのだ。現行の憲法は「世界の非常識」の典型であることを認めない連中は「裸の王様」である。
 北朝鮮は「ならず者国家」であるし、一般国民に恐怖政治や圧政をしいているが、外交的には日本よりも国際標準である(前号に記した)。我が国が陳腐ではあるが成熟した国際的標準の外交をすることしか、日本人の安寧の基盤はないと思われる。
 中華人民共和国(中共、ここでは中国と言っておく)や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は権力を握っている政府が党独裁であるから、そもそも普通に付き合うべき国ではない。それにひきかえ、大韓民国(韓国と言っているのは先進国の中では日本だけで、他の国は南朝鮮と言っている)は共産主義国家ではなく自由主義陣営であるので、価値観を共有する国家仲間としてのまともな付き合いをしてもよい国と思われてきたのだろう。一体、誰が本当にそう思ったのかなあと僕にはずっと釈然としていないことだ。
 最近、韓国を同じ価値観を持っていないということにようやく気付いたからそういう扱いにすべきだという政治家や官僚が増加してきているように見受けられる。遅過ぎるのだ。僕に言わせると、韓国の人たちは、以前から、日本とだけでなく多くの西欧諸国ともかなり価値観が違っているのだ。それもあって、いわゆる右寄りといわれる人々においては「東亜三国」という括りの中に入っているのだ。僕も、これはよくできた表現だと思っている。つまり、この近隣の三国は警戒を要するのであるという認識なのだ。敢えて言うまでもないが、どの国にも素晴らしい人とろくでもない人とどちらともいえない人たちがいる。個々はそうだが、全体的な構造を言っているのである。
 東亜三国のうちで、中国と北朝鮮、とりわけ北朝鮮は国家体制が相当にひどい独裁体制であるから、そうラベル付けされるのは至極当たり前である。ところが、この二国の個々の住民の価値観がどうのこうのといっても、実は判らない。住民は国家体制の強制する思想に従っている(あるいは、従っている振りをしている)だけなのである。ある日、国家が、「今までと違って、今日からはこうしよう」と言えば、そうなるのである。最初の文章に戻ると、北朝鮮では金正恩が「今から日本と仲よくしよう」と言えば、直ぐにそういう対応をしてくることになる。構造上の論理的な話をしているのであることをご理解していただきたい。しかし、韓国の場合はかえって、今後も面倒臭いことばかりだと言いたいのだ。
 韓国の場合は、実は結構ひどい国家である事例は多過ぎるのだが、それでも他の二国に比べれば、国民一人ひとりが、一応、自由に意見の表現をすることがきる体制なので、そういう意味では格段に開かれた国だ(最近の文政権では、もうかなり閉じた国になっているが、そのことは今日の議論には入れないことにする)。だから、ネットや報道で発信されてくる韓国の人々の意見の多くは、国家に無理やり言わされたことでもなく、素直な人々の考えや感想だと受け取ることができるだろう。個人が親日の表明をすることは袋叩きになってしまう「タブー」であるらしいが、これを自前の努力をして打破するということを選択しないのもするのも体制上は自由なのだ。
 こういう韓国の個人やマスコミや政界の発信内容が相当以前からひどくて、日本だけでなく多くの西欧諸国や東南アジア諸国の少なからずの人々から顰蹙を買っているのである。このことを日本のマスコミや政治家や官僚が、実際上、隠蔽ないし見ない振りをしているのである。前号の論旨と同じく、結論は、そういう「見て見ない態度」を採っている我が国のものの考え方がもっと問題ありだということだ。本論として、次号に具体例を列挙してみます。

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