2019年1月27日日曜日

韓国は中国や北朝鮮よりもややこしい国だ(その2)


戦後70年余の我が国の韓国への対応は実に拙いものだった。韓国が政治的にも経済的にも道徳的にひどいことを数多くしてきたのに、我が国の対応はインポテンツを貫徹してきた。政治とか経済とかの話になると、素人には実際に判らないメカニズムや戦術・戦略のノウハウなどがあるので、口出しするにも限度があるように思ってしまう。しかし、一方、そういうことを言い訳にして、素人にも判るような不適切な行動を政治家や経済人が強行してきたという図式も存在すると思われる。ただ、韓国がまともな国でない事例は政治と経済のプロパーを敢えて除外しても枚挙に暇がない。


 容易に判るのはスポーツのことだ。2002年のサッカー・ワールドカップは日本開催で決まるはずのものだった。極度に名誉に拘る日本が立派な大会を主宰できたはずだった。ところが、韓国が途中から横槍を入れてきて、日韓共同開催となった。当時、自国よりサッカー小国の日本が自国より先に開催するのが我慢できなかったのだ。FIFAの会長選挙の力学・韓国人の副会長の存在の影響があったが、韓国の選挙票の買収が疑われた。それはともあれ、共催になった結果、事実として、この大会は審判の買収事件で台無しになってしまった。韓国は、朝鮮半島で行われた自国の試合で審判を買収して勝ち上がった。誰にでも判る誤審を強行したために(ビデオで証拠が残っている)、勝ったはずのイタリア・スペインは負けてしまった。イタリア戦のエクアドル人主審は、その後、買収を受けたと認定され、世界中にその顔と氏名が公表された。スペイン戦ではエジプト人が主審をしていた。欧州のサッカーのレジェンドや有力選手は、韓国では二度とサッカーの試合はしないと吐き捨てるように公言した選手は数多い。 
 サッカーW..の長い歴史の中で、複数国による共催は、後にも先にも、この大会だけなのだ。日本が、そんな前例のないことは認められないと突っぱねれば済んだはずだった。ところが、日本は何故常に韓国のごり押しを許すのだろう。あの河野洋平と朝日新聞が日韓共同開催を後押ししだしたことも事実のひとつだ。いつも、このパターンなのだが、河野と朝日新聞の組み合わせも頭にくる話だ。戦後(日韓併合中もそうであったかもしれない)の日本は韓国に対して見事にspoiling motherの役割を果たしてきたのだった。長い目で見たら、これは韓国にとってはまともな国家に成長できなかった理由の一つであり、気の毒なことであったともいえる。別に、そんな国に思い入れはないが、その結果、世界が迷惑する。
2010年(バンクーバー)のフィギャースケートのキム・ヨナの金メダルにおいても審判が買収されていたという検証が多く語られている。審判員の一人であった韓国人が介入していたことが同定されている。他の審判員も買収されたと思われる。後でビデオでチェックすると採点が不当に高いことが判る(ユーチューブでその証拠を容易にみることができる)。逆に、2014年(ソチ)でキムは銀メダルに終わったが、韓国人はいまだに金メダルを取ったロシアの選手の悪口を言い続けている。自分たちが不正をするのが当たり前なので、他国も同じことをすると思っているらしい。因みにキムに敗れて銀メダルに終わった浅田真央の日本からはキムの悪口を言わなさ過ぎだと思う。聖人でもあるまいし、抑制の利いた多少の恨み言を言う方が生きた人間らしいと思う。特に、日本のマスコミはいまだにキムのことを、(韓国ではない日本のマスコミであるにも拘わらず)英雄偶像として扱っており、素直な人間の魂を持っていないことを示している。
バドミントン大会を韓国ですると、相手国の選手の方に不利になるような風が流れるので気を付けないといけないことになっている。
僕が不思議に思うのは、世界の他の競技団体も韓国という国の道徳の低さを伝え聞いているはずなのに(情報を仕入れる義務がある)、あのW..の後でも、数多くの国際大会を韓国で開催していることだ。私見であるが、世界の競技の責任者はスポーツを愛していないのだろうと言いたくなる。僕はあまりに不思議なので、つい、韓国の金銭やハニートラップによる買収を思ってしまうのだ。韓国はこの方面は歴史的に実績がある。僕は、50歳頃に地方のYMCA関連の医師サッカーの友好試合に出場するために一度だけ訪韓したことはあるが、観光旅行には行ったことがない。僕たちの若い頃に観光に出掛ける男どもはほとんどがキーセンパーティを楽しむために行っているのだろうという認識を僕はしていた。国家挙げての外貨の獲得事案であったのだ。今でも海外での「慰安婦」進出が他国を圧倒しているらしい(しばしば、日本人になりすましているらしい)。そういう国が、今更「慰安婦問題」でいちゃもんを付けてくるのもお笑いものだ。この件も朝日新聞などが国内から手引きしたのである。

僕が以前から注目していることがある。2017年の卓球アジア大会で平野美宇がそれまで実績を独占していた中国選手をなぎ倒して21年ぶりの優勝を日本にもたらしたのだが、それは中国開催での大会だった。地元の中国人観衆は、耐え難い結果であったにも拘わらず、それなりに礼節のある態度であったらしい。直後のネットでは多くの中国人は「残念至極」でもあるが、「平野は素晴らしかった」という書き込みも多かった。実は、昔からサッカーの日本代表チームが快挙をすると、中国人はやはり素直に称賛することが多かった。陸上競技の男子百米x4リレーの日本の快挙の時も中国人は褒めもするが、正直に羨ましいと書き込んでくる。中国の人々はスポーツそのものを愛している人が多いと思われる。スポーツだけでなく、芸術・科学・文化に対しても多くの中国人は実績自体を評価できる資質があるように感じる。韓国人はこういう反応とは程遠い。サッカーの試合に「戦争責任」ということをしつこく言い募る。韓国人が旭日旗にいちゃもんを付けだしたのは最近のことだが、これは国家の名誉に拘わることであるという認識が日本の政府や官僚にないことが許せない。「スポーツをやっている時に何を血迷ったことを言うのだ」「恥を知れ」と言わない日本人こそ敢えて責任を追及すべきかなと思うものである。
多くの韓国人(silent majorityは別に存在している信じている)からの発信から判ることは、この国には絶望的な程に、「公」と「恥」という資質が欠落しているということだ。翻って我が国はどうかというと、ある面、自我というものが確立していないので(未成熟・幼稚とも受け取られる)、他国人からの評価をアイデンティの拠り所にしてしまう。その結果、病的なくらい「恥」「気遣い・遠慮」意識が優先されてしまっている。政治家や官僚やマスコミ人において、こういう精神病理学的資質が「日本の普通の国益を」大いに損ねている。「公」の日本の現状はというと、国際的な事案においては国益を考えずに異常なほどに公というものを大事にし続けているが、国内の生活の中においては絶望的な勢いで失われつつある。つまり卑しい民族にならんとしている。しかし、この傾向は、経営者や政治家やマスコミなどのマジョリティに顕著であるが、我ら市井や巷のマイノリティにおいては「公」の悲しくも美しい徳目がなお根付いているという実感がある。

昨年の平昌の冬季オリンピックの際に、韓国の大会公式ホームページに載せた地図から日本列島だけが二度も地図から消えていた。故意でないはずはない。こんな愚劣な行状を韓国以外のどこの国がするというのか。中国はしないだろう。北朝鮮もしないかもしれない。これは非常に無礼な仕打ちであるから、声高に避難・叱責しなくてはならなかったが、政府はほぼ反応なしだった。マスコミの大部分は意図的に小さく報じただけだ。「声高」は恥ずかしいなどと我が国の町内の話のような能天気な感覚であってはならない。「声高」にしないから、いくらでも無礼で信じがたい韓国からの仕打ちが去年も今年も止まないではないか。「声高」は多少の政治戦術としてあるべきだ。そうすることによって、遠い西欧の人達にも韓国の愚劣さの深刻さをもっと早く知らしめることも出来たはずだ。


一寸、政治のことも補足しておきたい。日本人が国連などの国際機関のトップに就任した場合は、立場を利用しての自国への利益誘導は恥ずかしいと考えて(考え過ぎて?!)、完全公平をモットーにしようとするだろう。韓国はその反対の極の国だ。前任の国連事務総長は韓国人だったが、彼もこの面でひどかったらしい。もともと朝鮮人社会では「公」という概念が乏しいので、そういう教育もなされていないらしい。であるのに、その後も国連関連の要職に凝りもせず韓国人が選ばれているのが僕には気になる。お得意とも思われるあからさまな利益供与が行われているのではないかと疑うものであるが、今の僕には資料がない。

中国は、戦後の日本への戦争賠償を直ぐに放棄した。書いている今、その政治的理由は僕は思い出せないけれど。韓国は、日韓併合中に莫大な額のインフラ整備や教育の充実という支援を受けたにも拘わらず、また、終戦時は朝鮮全体は敵国でもなくそれ故戦勝国でもなかったにも拘わらず(朝鮮人は日本兵として中国と戦っていたから、敗戦者側なのだ)、莫大な額の実質的上の賠償金を掻っさらっていった(それを使用または流用して漢江の奇跡をもたらした)。これだけでもひどい国なのだ(しかし、この件においても、戦後の日本の政治家や官僚が一義的に悪い)。最近でも、インドネシアで開催されたASEAN関連の国際会議で、韓国代表は性懲りもなく会議中に日本の戦争責任を言い出して参加国をうんざりさせた。主催者側の閣僚が「我々の国も、もし日本に近い場所に位置していたら、随分日本の恩恵を受けて経済成長していたはずだ」とその公開の場で韓国の発言を諫めた。こういうことは、日本のTVや新聞では絶対に出てこない。安倍首相が訪印した際に、信じがたい程の国家挙げての大歓迎であったことも、多くのマスコミはそれが面白くないので報道しない。獅子身中の虫を証明している。しかし、ネットからはそういう事実が動画を通じて拡散しているのだ。伝統的なマスコミには「残念ながら」と言ってあげたい。

戦後直後から、韓国は李承晩ラインという身勝手な線を地図上に引いて日本の漁民の拉致を繰り返した。僕は小学高学年だったが、新聞記事を見るたびに義憤を禁じ得なかったことを思い出す。数多くの漁民が長期拘留された。李承晩政権はこういう人質をとって日本との戦後交渉を進めたのである。
しかし、中国は戦後直後は日本に対して韓国のような悪行を大してしなかったように思う。国内問題が大変で対外的な余裕がなかったのかもしれない。その後の経過をみるに、日本の左翼的文化人やマスコミがトロイの木馬のように中国の口撃を次第に手引きしていったのである。
在日中国人や在日朝鮮人の一部が反日活動を続けていることは確かであるが、僕はそのことはここで非難する気にはなれない。日本人ではないからだ。このことにおいては、法的ないし政治的に対応しないで済ませてきた日本の政治家や官僚に責任があると思う。
まだまだいろいろあるが(機会を改めて書いてみたい)、こういうことを許したのは、敗戦後の精神的インポテンツになった我が国の責任あるべき人々と、日本国民になろうとするよりも世界市民になるべきだ(本質的に、グローバリズムの先駆けなのだ)とアジテートし続けていきた左翼的文化人(実は、似非文化人)という獅子身中の虫である日本人自身の責任に帰するものだと思うものである。なお、本当のグローバリズムの先駆けは、キリスト教宣教師活動とコミンテルンという共産主義活動であろう。これらは、本来の日本の精神とは合わないイデオロギーなのだ。




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