2019年1月27日日曜日

多くの在日朝鮮人へ「日本に帰化して今後の祖国として下さい」


  僕は歴史のことには大いに興味がある。日韓関係の歴史についてもそれなりに知っているところは多少ある。そういう僕は、申し訳ないが、現時点では朝鮮民族について好感が持てない。今のような時代であっても、韓国旅行に行ったり韓流ドラマを好んで観たりする日本人とは同じ飯を食いたくないというのが本心であるという偏狭なところがあるのは認めるところだ。
 そういう日本人は嫌なのだが、ところが、僕は、それなりの数の朝鮮出身の人たちと縁あって付き合ってきたのであるが、好い思い出の人ばかりだった。小学校の同級生(地域には朝鮮人が多少はいた)と大学の医局の同門に数人の朝鮮出身者がいる。僕の所属した部門には大阪の生野区の地域と何時頃からかパイプができるようになり、自分がスタッフにいる頃から朝鮮出身の医師が研修に入ってくるようになった。みんな本当に愛すべき後輩だったし真面目な仕事ぶりだった。僕が大学を去ってからも、わざわざ自分の方から会いに行ったり、向こうから会いに来てくれた可愛い後輩を思い出すことができる。診療所を開業してからは婦長になってもらうことが決まっていた優れた力量があり人間的にも秀でた美人でもあるナースがいたのだが、ある時、自分は朝鮮出身者だと打ち明けた。僕は「ああ、そうか」と言っただけで、驚きもしなかったし、全くウエルカムだった。ただ、結婚で転居したためにそれが叶わなかったことが、僕にとっては実に残念に思ったことだった。それと、ある期間、隔年で日韓の医師同士がサッカーの試合をする九州地区内のYMCA関連のグループに属していた時に、韓国の若い一般外科の人と知り合いになった。ともにワイフ子供連れで歓談をしたのを懐かしく思い出す。非常に上品な感じの人たちだった。その後、日本の大学で食道外科を研修をしたいというので、一応は手紙でアドバイスをしたりしたが、僕は、呼吸器外科出身で、既に開業医になっていたので、結果的にはお役に立てなかったので、申し訳なく思ったものだ。

 日本人がどうのこうのとか朝鮮人はどうのこうとかの括りは、外れる内容が多いから厳密には無意味だと思う。遺伝子がどうのこうの、つまり人種であるが、これがこういう事案において重要だとは思えない。ただ、民族という括りはそれなりに意味がある。何故なら、幼少時からの家・地域・学校・マスコミなどから受ける長年の刷り込み(良くも悪くも)が、民族のマクロな特徴になってくるからだ。ただ、日本人でも僕とは相いれない刷り込みをされている人たちが結構いるのであり、せんじつめれば個々の人格に帰するものである。
 僕は、もう2世・3世の日本で生まれ育ってまだ在日朝鮮人の立場の人たちには日本人に帰化して欲しいと思っている(韓国の法律がネックになって、日本への帰化が難しい場合があるらしいが、・・・・・)。彼らは日本の文化の中で育ち上がってきたので、実は、文化的には紛れもない日本人なのだ。遺伝子が大事ではなくて、現在暮らしている生まれ育った故郷に愛着を持って欲しい。
 日本人がブラジルやハワイに移住した場合は、一世の人はもちろん日本人としての誇りを大事にしたが、同時に、移住先の国民になり切ろうという努力もした。日米開戦の際には、強制収容所に押し入れられた残虐な米国の仕打ちに、それでも忠誠を誓わざるを得なかった米国への移民者の無念に思いを馳せるのである。日本人にはそういう謙虚さがある。これを参考にしてほしい。移住に至った経緯はどうであれ、住んでいるところを新たな祖国として大事に思わなくてはならない。そういう気持ちになれない人は昔の祖国に一刻も早く帰ってくれと強く言いたいし、日本の政府が早急にそういう仕組みを作るべきだと主張したい。
 最近のネットでは、名の知れた芸能人や政治家などについて、「実はこの人物は朝鮮出身である」との発信をするネガティブキャンペーンを数多く見る。既に、日本人として生活している善意の人たちにとっては、実に腹立たしいものだろう。名字も日本式に変えて、日本人として生活してくれている人たちにする仕打ちではない。書き込んでいる人たちの根の気持ちは解るが、それなら、ネットにアップする前に悪いと思う連中を絞り込んで、キャンペーンをかける根拠を示しての情報を出さないといけない。

 僕の母親の祖先はきっと朝鮮半島の出だろうと、僕は子供の頃から勝手に信じている。本人と親戚の顔付きと出身部落の地域を鑑みてのものだ。もしそうなら、飛鳥時代かあるいはもっと以前の古墳時代の頃に渡来してきた末裔だろうというものだ。僕はそれに気付いた時も実に興味深いなあと思っただけだった。人種の差とか数世代前の民族の区別はどうでもよいことだ。端的に言えば、自分たちは今どういう精神文化を引き継いでいて、将来どういう精神文化に変わっていくのかそうではないのか、そういうことが本質的なことだと思う。戦後のレジームの中で日本人の精神文化の先行き自体が怪しくなっていることが問題だと思われる。

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