2020年2月23日日曜日

日本の新型ウイルス感染症対応の拙さの「戦後日本の構造的必然性」

 物事に対する「対応の拙さ」といっても、理論的対応の是非なのか、結果評価による是非なのか、というのもある。また、ある時点では「最適なもの」は判らないこともあるし、いつまで経ても「最適なもの」は判らないこともある。さらに、傍目八目という諺もあり、傍目と真っ只中とは意見や感想が異なることがあるのも自然の理であろう。僕は、別のブログでこういう世間における物事に対する考え方に関することを考察しようとしている(意味論コラムM)。


 現実的に重要なことは、日本の政府当局などの対応が「妥当な範囲」なのか「妥当ではない」ものかの評価は、国外からの評価が一番重いという一面があることは、この欄で述べたいことのひとつだ。それは、回り回って自国の国益に跳ね返ってくるという意味に限定されるのだが、無視できないことだからだ。この意味では、一国の発する情報における修辞学が重要だ。同じ行動を取っても、それを他国が認めざるを得ないような情報発信の仕方があろうというものだからだ。
 それ故、「国外からの評価が正しい」ということとは全く違う論点である。このブログや意味論コラムMにおいてしばしば述べているごとく、国際政治の場では自国の国益が最優先だということであって、善悪や正邪の基準によるものではないということだ。そして、国連の場や、スポーツ(IOC・FIFA)の場や、各国の政治の場においてはロビー活動によって自国利益を如何に引き出せるかということに「努力」がなされており、酷いのになるとそこに関わっている個人への賄賂のために活動が行われていることもある。多分、日本は「清い」対応者ばかりで、こういう世界からは最も遠い。実は、この「最も遠い」ことが問題でもあるということだ。

 今回の新型感染症の問題においては、要するにこれは「危機管理」の問題ということだ。一義的には健康管理における危機管理ではあるが、そのもたらす影響からすると、二次的~副次的な経済・政治の問題における危機管理の問題がより大きいものと思われる。
 前号の「今回の新型コロナウイルス感染についての考え方」では、主に一義的な医療の問題点について述べてみたが、ここでは、日本全体の問題を考えてみたい。
 先に結論を言えば、今回のこの感染症に対する日本政府筋の対応への海外からの疑問・不満の表明は、煎じ詰めれば「日本に危機管理の姿勢がないのではないか」ということに集約されるわけだ。もし、国際水準的な危機管理の姿勢が明らかであれば、個々の危機管理対応の是非に異論があっても、それこそ、正解というものが必ずしもあるわけでもないのであるから、確定的な非難というものを受けることはないと僕は思う。しかしながら、日本の国には危機管理の体制がないばかりではなく、その前の危機管理の意識・姿勢がないのである。後述するが、これは憲法問題と根幹で関わっている問題だ。

 横浜の港でクルーズ船に2週間拘束されていた乗客のその後のフォローをしてみるだけで、その事実が容易に判るので、先ず関連記事を羅列してみよう。
 米国の乗客はチャーター機によって途中で米国に送還されたのだが、米国に戻ってからは、米軍管理ゾーンの中の収容施設に収容されたらしい。国家レベルの危機管理としての認識ならこういうことになるのは「なるほど」ということだ。日本では、法律的に国土・国益を確保する軍隊がない戦後の精神風土であるのだから、この当たり前のことが無理なのだ。
 そして、「また一から始めます」というように、さらに2週間の収容期間とされたのだ。この2週間というのは潜伏期間が2週間足らずということに根拠がある(ただし、この潜伏期間は医療上の実際からは個々事例によるバラツキがあるはずだから、こういう米国の対応でも「絶対に正しい」ということはないが、それで仕方がないのであると思う。非常に念を押したいのなら3~4週間の拘束期間にすることもありうるだろう)。前号でも述べたが、日本での2週間の拘束期間における船内感染防止の対応が「本気度に欠けている点が多いというもの」と評価されているので、その米国での方針は当たり前なのだ。岩田教授の数時間における船内の防疫態勢についての観察レポートがそれを裏付けている。ただ、前号から今回の号の間の一両日に岩田教授が語った内容のユーチューブは削除されてしまっていることに気付いたことを報告しておくが、僕の主張はそれにもかかわらず同じことである。
 さらに、豪州にチャーター機で帰った乗客は帰国後に症状が出て、このウイルス感染検査で陽性がでたの報道があった。つまり、日本の港における2週間の拘束期間の間に船内感染を受けたと受け取られる。
 以上により、日本における危機管理は信用できないことをさらに印象付けているのだ。

 話は逸れるが、前号に書いた通り、少なくとも日本においては、今回の新型感染症の疾患自体は大したことがないと僕は思っている(重い病気になってしまった方は気の毒に思うのだが、マクロな公衆衛生学的観点のことである)。
前号を繰り返すと、現時点でのWHOなどの発表によると、8割は軽症であり死亡率は2%ということだった。これは生活水準に大きい問題のある人々が多い中国国内での数値である。世界有数の生活水準の高い日本に広がった場合の死亡率は1桁(場合によっては2桁)くらい低い率に違いがないと僕は推定している。因みに日本のインフルエンザの死亡率は新聞記事によると<0.2 %と書いてあった(僕の単純計算では昨年は0.03%だった)。僕の推定では、感染力はSARSよりは数倍高いがインフルエンザよりは同じ程度~低目だろうし、死亡率はインフルエンザと同じ程度かあるいは少し高いというところだ。
 だからといって、生活や政治への影響が大したことがないということではない。経済的な指標がかなりのマイナスになる可能性は論じられている通りだろう。東京オリンピック開催は危うい状況になってくるかもしれない。これは、基本的には、前の文節で述べたように、「日本国の一般的な管理能力の欠陥がばれてしまっている」ことが大きい要因になる可能性があると思われる。 

 閑話休題。今回の感染に関してのもう一つの事例に触れてみる。1月29日に日本政府が用意したチャーター機で武漢から羽田に206名の邦人が帰国した。羽田に着いた後で、このうちの2名の30歳代の男が政府の予定したメディカルチェックを拒否したのである。「検査を受けるかどうかは自由意志やろう」「帰れるやろが」「なんでやあ」とまくしたてて帰宅してしまったらしい。僕は報道でこのことを知って、「一体全体、どこのどいつなんだ」との思いから、久しぶりに週刊新潮を買って読んだ。ところが、この件に関しては柄の悪い関西人ということくらいしか載っていなかった。
 僕は、二重に問題があると思った。政府筋の意識上の危機管理体制がないことと、(多分)テロリストやアナーキストでもないような一般のビジネスマンのような日本人が、このような人間性にもとる行為を貫徹してしまうという情けなさである。後日談として、帰宅後周囲の人たちに説諭されて、遅まきながらチェックを受けたとのことだ。
 しかし、あのクルーズ船からチャーター機で米国に帰国した客の一人は「ウイルス検査未施行」だったのに「陰性」だと嘘をついていたことが判り、後で騒ぎになっているらしい。個々の人間においてはどの国にもいろんな性格の人がいるということだが、日本の客の場合の方が構造的に悪質だ。この「嘘の供述」の問題においては、クルーズ船からの退去の際に各客についての「ウイルス検査」の資料などを書類にして申し送りしておかなかったことは間違いであったと思った。このことなどから「純粋な事務職員」と「予め職務が決められていない遊撃手的な職員」とを帯同することを今後は考えてほしいと僕は思った。

 日本側の対応については、結局は、戦後の日本の国の在り方に問題点があると思わなくてはならない。日本国憲法3章に「国民の権利及び義務」のことが書かれている。11条には、全ての国民が基本的人権(言語・結社・身体の自由など)を享受する権利を有するとされ、12条には、国民はこの権利の行使を濫用してはならないとし、公共の福祉に反する場合の国民の基本的人権は制限される、ということになっている。この記述は非常に真っ当であるし、11条と12条とがセットになって機能するものである。ただ、文章の解釈の仕方は法律学者がいろいろ勝手な(しばしば恣意的とも思えるような)ことを主張するのだが、国語教育を普通に受けた日本人が国語の時間で普通に読むように読むと良いはずのものでないといけないと僕は思う。
 日本国憲法の内容については大体妥当なことが書かれており、しかしながらその一部には根本的な問題があり、その他の部分はその後の実情に合わなくなったところがあるというほどのことだろう。ことのついでに言うと、「この憲法の一字一句も変更してはならない」というビックリするような発言を明言するような人物は相手にしてはいけない。明らかに世界の非常識なのだ。明らかにまともな世俗社会の中では非常識なのだ。この異次元の精神の人々を説得しようとすることは無理だ。生の政治や生活の次元の話ではない。「宗教経典の次元の話をするな」と言わねばならない。

 民主制国家においては(も)、個々の事例において個人の権利と公共の福祉の優先の線引きをどの辺に置くのかという作業は、その時点での政府の権利でもあり政府の義務なのである。憲法上であっても憲法上でなくても、政府以外に誰がその作業を行使できるというのか。一般人や識者やマスコミが大声で意見を言うことは当然の権利であるが、決定するのは選挙で信任を受けた政府でしかないのである。「その政府がお粗末であれば、次の選挙で負けるようにすればよい」というのが民主制のルールなのだ。民主制は現実的には欠陥の非常に多いことが判っている制度であるが、他の制度よりはまだましかなということで、多くの国で選択されているのである。
 このルールが一国のいわゆる知識人と任じている多くの人々に現実的に一番理解されていないのが、世界広しといえどもこの日本なのであると僕は思うのである。すなわち、個人の尊重を最大限に主張し公共への奉仕の意識が極めて少なくなるように誘導してしまった戦後教育がGHQの方針で始まり(GHQに都合の悪い書籍の焚書もあったが、嬉しいことに最近どんどん復刻版が出版されだしている)➞大学教育・小中高の教科書・日教組➞官僚・NHK・マスコミ➞この影響で、民衆の意識が洗脳されていった➞経営者における国益の観点から見た道徳的堕落➞そのうちに保守政権与党の自民党がリベラル化という変質をしてしまって、万事休す的な状況に嵌ってしまっている。

 歴史を遡ると日本民族は明治維新の頃までは一般の民衆も概ね賢明だったように僕には思える。この頃までに日本にやってきた宣教師や旅行家・冒険家などの手記を読むと、彼らの目にはいささか未開人に見える日本の民衆の精神的と道徳的なレベルに対する畏敬の念が表明されている。戦国時代には先ずポルトガルやスペインからの人物往来があったが、彼らの文化に異常と思えるほど興味を持って吸収できるところは吸収しようと創意工夫したりした。しかしキリスト教のようなイデオロギーについては自分たちには合わない宗教であることを大半の者は直観的に感じ取っている。
 しかし、敗戦後がいけない。それまでの日本民族はどうしてしまったのかと訝しく思う。僕の解釈は、それまでに一度も外国に侵略を許したことがなかったので、その自信過剰が敗戦で裏返しになってしまったと思う。神風も吹かなかった。初めて外国に敗戦して占領されるという事態を前にして、そういう状況への精神的な免疫が民衆になさ過ぎて、茫然自失になってしまったかのように思う。何故、政権でなくて民衆のことをいうのかといえば、現在における国家とか国益とかの意識に関する腑抜け状態は民衆にまで広まってしまった状態だからだ。日清戦争以後の連戦連勝により民衆にこそ生まれた対外過信状態が仇となっている。

ここから述べることを強調したいのだが、第2次世界大戦の戦前戦中までにおいては、むしろ政治家や軍人においてそういう呑気な意識は毛頭なく、ずっと危機感を持っていたという資料が数多く残っている。朝日新聞を中心としたマスコミが「イケイケどんどん」の報道を垂れ流して民衆を煽っていたのである。それに関しては、日露戦争の戦後処理の頃から顕著になっている資料が数多くある。政府よりもマスコミに煽らされた民衆の方が好戦的になっていたという事実であるにもかかわらず、戦後のGHQ先導の「日本の骨抜き作戦」によって、その事実が完全に覆されており、その洗脳状態が久しく続いているのである。すなわち、民衆は正で政府は邪であるという「dichotomy」である。日本はこの考えが極端に席捲している特殊な国なのだ。
NHKや朝日新聞はGHQ路線のもとで戦後完全に間違った存在修正をしているのが事実だと思われる。民衆を煽ったポピュリズムを「自らだけが反省すべき」行状であったにもかかわらず、民衆は正で政府は邪だという偏向した「対立的2分法」をまき散らして、「日本人のみんなが政府にだまされたことを(しかも対外的に)反省しなければならない」と戦前の時に劣らない誤った誘導をし続けて来たのである。しかし、この誤った洗脳を大半の民衆と似非知識人が見抜けないような実態であるのである。

 新型ウイルス感染症に対する日本当局の対応の拙さは、厚労省当局者だけの問題ではない。別のジャンルにおいては別の省庁当局者も同質の誤りをするのである。 
 僕は、以前、「意味論コラムM」で 昭和52年のダッカ日航機ハイジャック事件について述べている。福田壯夫首相が「人の命は地球より重い」と言って、超法規的措置として「日本赤軍」の収監者をテロリストのキャンプに解放したのだ。
これへの対応は誰が行っても苦渋の決断に違いないものだったが、この解放については西欧諸国の政府筋には批判的な風潮が優勢であったように記憶している。解放した人物がテロ兵士としてその後の活動をするからだ。まあ、僕に言わせると、特に戦後の日本の政治家の精神風土ならば悩むにしても結論は「解放ありき」に決まったようなものだと感じていた。僕が立場であってもそうしたのかなと思ってしまうし、誤りだとまでは言い切れない感じもする。
国家という形態の必要性をシビアに認識できている西欧諸国の多くは、個人の権利と公共への福祉の線引きをもっとシビアに判断しているのである。西欧諸国であれば、特殊部隊を突入させてテロ兵士を殲滅する方針を採ることをもっと現実的に考えたのだろう(個々の場合の状況によっては、最終的にテロ兵士の言い分を受け容れることがないとはいえないが)。戦後の日本においては、その精神風土が欠けているし、その実力部隊も持っていない。

もっと卑近で単純明快な例を考えることにしよう。国や自治体の都市開発計画で道路を作ろうとする。莫大な予算を投入してあともう少しというところだが、数軒だけ立ち退き拒否の家がある。日本以外では、この家については「怪しからん」ということになるのだが、これに対する日本の当局の対応も将に憲法3章12条に書かれてある権力側の義務をサボタージュしているといえる。つまり、説得に時間をかけすぎ、莫大な経済的損失を国家に与えてしまうのである。税金を国民から得た大事な資金であるという役人の認識が希薄だから成立しているのだ。  
 このことと、今回の「何故、当局はもっと徹底した感染防止対策を貫徹しないのか」という問題とは、全く同質のことなのだ。つまり、あのクルーズ船の乗客になった人々には「運が悪くて申し訳ないが」公共の福祉のために必要な権利を一時停止~制限させていただくということを明確にしなければならない。その引き換えに、乗客の人々には可能な範囲での快適さを確保する努力もするのである。そして、厚労省やその筋の医学関係の学会のヒエラルキーに重きを置き過ぎるプロジェクト班を立ち上げるのではなくて、実務に明るい識者を指揮官~アクティブメンバーとして指名すべきであろう。

 ことのついでに触れてみたいことがある。それは成田空港問題である。1960年代からその構想が始まったが、そこに住む住民の立ち退き反対が続き、そのうちに暴力的な左翼活動家が主導権を握り長年の大紛争になった末に、1978年(昭和53年)にやっと開港した。マスコミは大体のところ反対運動側のスタンスに立つような論調が続いたのも相変わらずで、反国家的な無責任性を露呈していた。この遅延の間に莫大な経済損失があり、かつ、この成田空港を東アジアのハブ空港にしようとする目論見があったのに、韓国の仁川空港にさらわれてしまった。これについての国家的経済的損失は途方もないものである。
 現在の「民衆」はこの成田空港開港が20年近くも「民衆」自身の抵抗で遅れてしまったことをどう総括するのかという仮想質問をしたいものだ。現在のほとんどの「民衆」は、こういうことを忘れて、ただ便利に利用しているのである。じゃあ、民衆にとっても(マスコミにとっても)やっぱり早く開港した方が好かったじゃあないか。
 これについても、マスコミやそれしか情報源のない日本の民衆の左翼偏向的な精神が問題であることは確かであるが、政府が発動すべき権力を行使して公共の福祉の方にもっとシフトしなかった義務放棄が問題であったと思う。
まあ、強力な偏向マスコミに対峙することには政府に非常なエネルギーを要したので、この繰り返しで精神劣化が生じてきて、自民党政権自体までもがリベラルへの変質をしてきたようである。敗戦直後にはあったはずの日本民族の再生という目標が、経済さえ成長すればそれでよいというような精神に変質していったのだろう。あるいは、選挙で勝つことだけが目標になっていったのだろう。

僕が思うには、戦前戦中から活躍していた日本人が戦後の経済界や政界の指導者にいた頃までは、古き佳き日本の再生という見識が健在であったと思うのだが、それらの方々がいなくなり、僕のような団塊の世代がトップになるようになってから、経歴主義や金儲け主義が国家や個人の目標になっていったという印象を僕は持っている。そして、僕たちの団塊の世代が日本の民衆の左翼偏向の精神を先導していったように思っている。僕たちの世代から戦後の偏向的な教育を受けているのだから不思議ではない。僕がその世代のど真ん中で人生を歩んできたから、僕の周囲にはそういう風潮がいまだに優勢だということがよく判るのである。
 ただ、団塊の世代の少し前の世代が既に変質し始めたという意見を最近知ることとなり、そうだったのだなあという思いもある。
今後、団塊の世代がいなくなったら、日本も少しずつ良くなるという希望的観測を僕は持っているのだが、あまりにも左翼偏向が日本では常識的になってしまったので、それが染みついてしまって次の世代でも方向の変更が難しいかもしれないとの悲観的観測も持っているのである。ただ、若者がNHKや民放テレビや朝日新聞などのお仕着せ報道(報道内容の選択が一方的である=具体的には左翼的でもあるし、ポリュリズム的でもある)の欺瞞性をかなり認識するようになっており、ネット情報にアクセスすることが一般的になっているので、そういう意味では光が見えてくることを期待したい。
 ただ、今も続く戦後の反日的教科書で教育を受けた若者を信じてもよいのかどうか、多少は心配である。

0 件のコメント:

コメントを投稿