新型ウイルス感染症への日本政府の対応については、マスコミからは批判の論調が強い。マスコミは常から、反自民党政権の体質と視聴率のために騒ぐ体質があるので、それは予想通りだ。
しかし、ことが簡単ではないので、その対応については反政府筋でなくとも、多くの反対論や疑問論が溢れてくるのも当然だと思う。
「その対応は問題も大いにあるかもしれないが、まあ仕方がない」という肯定論や消極的な肯定論は、どの話であっても一般に声は小さい。
日々状況が変わっていく事象に対しては、「朝令暮改」は正しい対応でありうると思われる。「朝令暮改」にはもともと悪い意味が込められていることは敢えてここでは取り上げない。「臨機応変」という言葉もある。「コロコロ方針が変わっておかしいではないか」と反射的に無責任なことを言わない方がよい。
今回、急に、首相が先ずは数週間程度の全国的な学校閉鎖の方針を明らかにした。物事には外せないタイミングがありうるし、「急に」も仕方がないかもしれない。そして、予想より状況がよくなれば、「急に、最初の1週間で学級閉鎖を解除する」と言ってもよいのである。この時にも国民は反射的に文句を言わないことだ。
今回の学級閉鎖の日本の方針は、少なくとも外国が日本政府を信用するという効果をもたらすという潜在的な日本の国益にかなうという副次的な(結構、大きいか)意味合いもあると思われた。
その政府発表の内容の細かいことは問題ではなくて(正解は誰にも判らない)、今回政府が強力な指導力を発揮したという事実が重要だと僕は思う。緊急時に政府の指導力を発揮できないことが最大のこの国の問題なのであり続けたからである。
この政府方針を契機に(対応策が大正解であったかどうかにあまり関係なく、たまたま今が時期的に公衆衛生的状況の分岐点なのだろうと思われる)、今回の新型ウイルス感染症は比較的早期に見通しが立つとを僕は期待しているし、多分そういうことになるだろうという予想をしている。日本では、もともとインフルエンザ並みの脅威のものだったのだろうと僕には思えるのだ。
➜「本ブログ」(新型ウイルス感染症で国民は普通に過ごしてよい.2020.03.03)
多くの人々は自分の生まれ育った国に愛着があるのだろう。家庭の場合と同じく、いろんな問題に直面して愛憎半ばという場合もあるだろうが、そういう場合でも、やはり「愛着」は軽くはないと思う。ところで僕は、未成年の頃には、恥ずかしながら「西欧人に生まれたら好かった」と思ったことがあった。しかし、いつからか、日本人で良かったと思うようになった。最近は、西欧の一部の人たちが日本の文化や生活を知るようになって、「日本人に生まれたかった」と書き込んでいるのを見る。日本は極めて特異的な国らしい。決して素晴らしいことばかりではなく、馬鹿野郎のところも多いのだと思う。こういうことについて書いていきたい。僕は、最近出版された「日本人に生まれて、まあよかった(平川 祐弘著)」という言い回しが好きだ。これくらいの感じが素晴らしいと思う。ただ、僕は今は、はっきりと良かったと思っている。平川先生も実はそうなのかもしれない。僕は何よりも、品質的に日本語が母国語であって実に有難かったと思うようになった。そして、日本の文化のうちで、良い方の部分は日本語の長所に拠っているところが大きいのだろうと思っている(平成30年1月)。
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