2019年3月10日日曜日

韓国の「戦犯企業」との言い方は許容の限度を越し過ぎている


「日本戦犯企業」はあり得ないほど酷い言葉だが、もう、慣れてしまっているような事態が怖ろしい。韓国に侮辱されても反撃しない日本は当面の経済安定のためなのか、それとも聖人ぶるためか。前者は長期展望のない刹那主義だし、後者は国際的には幼児的対応であり、世界の非常識だ。国もそうだが、企業も誇りがないのかと問いたい。君たち企業はそういう国に進出したのだ。韓国の精神風土など判っていたはずではないか。

 経団連も土光会長が存在感を示していた頃までは、大手の経営者も国士のような人物が多かった。最近の経団連の歴代会長は、最近のこの集団の精神劣化の反映であろうが、もう日本国のためにということを考えていないようだ。少しでも、大東亜戦争の頃の生活の記憶がある人々が生きている間は、日本の国力再生のエンジンが凄かったのである。生き残った自分たちの使命を自覚していたからだ。僕は、もちろん、戦争は絶対にない方が望ましいと思う(ただ、世界は「個人の望み」だけで動いてはいない)。ところで、僕の青春時代に流行った「戦争を知らない子供たち」というフォークソングには、僕は当時、既に反発する思考回路を持っていた。戦争を知らないで育ったということは有難いことである。しかし、そのことを誇らしげに歌い上げるとはどういう精神を持っている馬鹿者かと腹立った。今もそう思っている。僕は小学生の時には家にあった戦争物の本やグラビアを読む機会があったし、高校生の頃には江田島の「回天」という特攻潜水艦を見学したこともある。君たちと同じ世代であった若者が、日本の戦争のために尊い命や生活を犠牲にしてくれたことを思うと、あんな歌など嬉しがって歌うことできないはずだ。日本政府が開戦に踏み切った判断については僕も是とはしていないところ多である。しかし、当時の若者の人生や生活を今の若者は振り返ってみるべきだ。「お国のため」というその屍の上に今の日本の生活があるのである。「お国のため」が「天皇陛下のため」というのは反体制を自認する戦後のマスコミなどのウソである。若い彼らが戦地に送られて、追い込まれながら思ったことは、「自分の家族を守るため」「同胞を守るため」であったはずだ。現代人はそれに応えなければならない。

今の経団連も多少は国益を考えているだろうは思うが、自企業や自業界の利益を最大限にしたいという至上目標と国益とを天秤にかけると迷いなく前者を選択しているのだろう。もちろん、財界と政治資金などを介して運命共同体と思い込んでいる政治家や官僚の大部分あるいは一部の人々も、その立場を忘れているかのように、僕のいう日本の国益に無頓着である。彼らも刹那あるいは当面の日本の経済的な指標の維持・向上こそが国益であると思い込んでいるようでもある。
池田隼人首相の所得倍増計画の辺りから、日本は道徳上の名誉よりもマネー第一主義に舵を切りだして、今に至る。僕は、だからといって池田隼人が、失礼ながら、愚人だとは思わない。やはり、この頃の首相は、名誉を含めた国益を考えていたと思われる。しかし、選択を誤ったのである。今の日本の現状をもし池田氏がみたとすれば、自分の方針決定は拙い結果をもたらしたのだなあと思うだろう。
 いろいろ拙いことがあるのだなあと思うだろうけれど、日本の企業が韓国の数多くの立場ある人物や政府機関から「戦犯企業」などという暴言を浴び続けていることこそ、ここに至るまでの政権与党の政治家の無責任さに胸を痛めるに違いない。そして、暴言を受けている企業のそれまでの企業方針が刹那的な最大の利益という目的のみが拠って立つところであることを知って、情けなく思うのではないか。現時点では、安倍現首相に期待はするのだが、連立の公明党からだけでなく、自民党の議員(左翼教育を受けてきたからでもあるが、選挙に勝つのが最優先だからだ)からも骨抜きにされることが多過ぎる。真の保守政党の立ち上げの動きがあるほどだ。
 しかし、この暴言は中共も北朝鮮もあまり突出してはいない。東亜三国の中でも韓国の酷さが突出している。戦後の日本の姿勢が韓国をそのように育てたのであるから自業自得の一面もある。しかし、ここではこれ以上、韓国の酷さについては述べないことにしよう。述べたいことは山ほどあるが、そうすると述べている自分が卑しくなってくるように思うからだ。韓国の酷さの実態やその解析については既に数多くの書物やネット情報がある。
 
 僕は、今述べたように、日本の方に根本的な不都合があると思っている。今の時点のタイミングで考えても、早々と在韓大使の引き上げを断行し、韓国に対する有形無形の制裁をどんどん発動することのない日本国なんて、独立国ではない。サンフランシスコ条約の後も実は独立国ではないことを実証しているのだ。この条約の後でもこういうことなので、それは他国の責任ではなく、自国がそう選択していることなのだ。
 マッカーサー元GHQ司令官が朝鮮戦争後の米議会における証言の中で、「日本は12歳ほどの精神年齢」であると述べた。これを伝え聞いた日本人のかなりが「日本人は彼を慕っていたのに、侮辱的なことを言った」として残念に思ったらしい。しかし、この言葉尻だけをマスコミが流したからそういう誤解をしてしまう(反米・反日=反体制のマスコミは国民の気持ちを誘導する操作をし続けてきた)。彼は、長年、日本を統治した結果、「あの戦争は日本の自衛戦争であった(驚嘆すべきことに、この発言をこの米議会で公言したのである➞この発言で次の大統領の大本命であった彼が政界から締め出されたのだ)」という考えに達していたり、日本人が実に素晴らしい愛すべき国民であることを知ったのである。すなわち、統治者である米国人の彼が日本で生活して、その被占領国の文化によって、米国人の独りよがりの国民性から解脱をしていたのである。日本が彼をして解脱させてしまったという言い方もできる。つまり、日本という国はそういう国なのであることを現代人は知っていないといけない。
あの「12歳」ということは、西欧人からみれば対外的には未熟な対応しかできない精神状態であることと同時に、多くの物事をどんどん吸収できるという素晴らしい柔軟性を持っているとの両方を言いたかったのである。
僕は、その時の彼を信じている。「対外的には人が好過ぎる」ので、今後が心配な状況であるということだったのだ。「人が好い」のは、まあまあ美点のようである。しかし、「人が好過ぎる」というのは(これは言葉の綾であるし)実は、悪い資質なのである。長期的に考えると、しばしば自分も不幸にするが、相対する他人も不幸にするのである。一寸、また触れてしまうが、今の韓国がここまで酷い国になったのは、もともと多少とも酷い国が、戦後の日本と遣り取りを重ねることにより、さらに酷くなってしまったのである。日本に大きい責任がある。

当時のGHQの人々からすれば、戦後70年経てもなおGHQ憲法を後生大事にしていることなど全く予想外なのだ。日本でしかあり得ない。つまり「12歳」発言で彼が言いたかった二つのことで、前者の「未熟な精神状態」であることはその後も証明されているが、そこから成人にならなかったということで終わっているのである。日本の左翼の諸君(マスコミ人や大学人にも多い)の言動は意味論的には「未熟」そのものだ。決して真のエリートではない。
やはり、岸信介の「安保改定」の後の池田隼人は、首相になる前には彼もそう思っていたはずの、「憲法改正」路線を貫徹せねばならなかった。たとえ、経済回復が十年遅延しても、国民の精神・肉体の他国からの防衛という高所からは憲法改正をしなければならなかった。そして、日本国民の精神の未熟性の克服のためにもそれが必要だった。その付けが、現在の「戦犯企業」という暴言を甘受することに端的に表れている。現在、「刹那の経済成果」の観点で我が国の政界・官界・経済界で同じ誤りをしており、さらに誤りし続けそうなのが、「今、韓国との国交を絶やせれば、日本の経済にもしっぺ返しがくる」という思考回路である。日本国民が餓死するわけではあるまいし(終戦直後の日本や今の北朝鮮とは違うのだ)、10年くらい先を考えて、政治・経済を決めてくれよと言いたい。ただ、韓国と断交やそれに準じた状態にするには、予め米国の承認が必要なのであるはずだ。やはり、日本は真の独立国ではないのである。それは、憲法九条があるからそうなのである。

なによりも、朝鮮半島には係わるべきではないという教訓を堅持すべきだ。何度も教訓があるのだ。日清戦争・日露戦争・日韓併合はすべて我が国が朝鮮半島の利権に係ったからであるが、豊臣秀吉の朝鮮出兵もそうである。結局はどれも日本のその後にとってよくなかった。明治維新後に朝鮮半島の人々への文化的援助をし始めていた福沢諭吉が、賢明にも、あそこは酷い民族なので係わらない方が宜しいと悟って、手を引いたということは僕でも知っていることである。その後、日本国内でも併合に賛否両論が戦わされたが、結局、日韓併合派が勝ってしまった。朝鮮半島でも伝統の事大主義において、親日派・親露派・新中派が争っていて、たまたま親日派が勝ってしまったということだ。当時の日本が国を挙げて日韓併合に突き進んだのではなく、そういう巡りあわせになってしまったのだ。
自主独立という選択は朝鮮人自身にもなかったほど、民度も低く戦力も乏しい単なる部族社会の集まりだったのだ。こういう状況と事大主義というのは鶏と玉子の関係ともいえるので、まあ、仕方がなかったという見方も可能だが、十数世紀以上の長い間、そうであり続けたというのは信じ難い。とにかく、日韓併合前夜の朝鮮半島は帝国主義が席捲している時代で、自前で民族を維持できないそういうカオスの地域であったのだ。この頃の外国人が撮影した朝鮮半島の記録写真がネットに出回っているのを容易に見ることができるので、当時の現状が判る。朝日新聞や地方新聞(共同通信という朝日と同等の左翼的思想の会社が記事を配信している)、そしてNHKやTBSなどしか見ていない多数の善男善女は、目隠し状態を唯々諾々として受け容れている状態だ。

この時の朝鮮半島にもし日本が関わらなかったら、東南アジア諸国より遥かに発展の乏しい国にしかなっていなかったことは明らかだと思われる。当時の東南アジア地域では、独立国のタイだけでなくインドシナ半島の諸国は欧米列強に占領される前は、朝鮮半島と比較すると遥かに自立していた実績があったのである。
それなのに、韓国が、今、東南アジア諸国に対して上から目線であり、日本に対して恩知らずの暴言を繰り返すことは滑稽でさえある。そのうちに事実が世界に広まるのは必至だと思うので、僕はその時が待ち遠しい。書籍やネット情報がどんどん真実を明らかにしている最中である。僕は、さらに、次世代のAIが歴史の資料をことごとく吸収すると、人間のイデオロギーや意味論的に怪しい考えのバイアスに左右されないある種客観的な歴史評価をするという事態が、そう遠くない時に実現するように考える。僕は、ごく最近に、こういうことに気付いて、密かに期待している。結局、朝鮮半島の話がオチになってしまった。しかし、日本にこそ不都合の根があるとの力点に変わりはない。






0 件のコメント:

コメントを投稿