2019年5月8日水曜日

時効制度: これについても法曹界は工夫というものを考えてほしい


 前の項で「死刑廃止論」と「憲法9条」における剛直性の問題について議論したが、
書き終わってから、「時効」という法律上の制度についても同じような問題点があることに考えが及んだ。
 専門家のサイトの記述には「ひとたび時効が成立すると、警察はその犯人を逮捕できなくなってしまって、時効が成立した事件については、警察は事件を捜査した資料を被疑者不詳として検察官に書類送検して事件は完結してしまいます」と書いてある。
現実の場合でも、ドラマの場合でも、この制度によって多くの人が腑に落ちない気持ちにしばしばなると思われるが、この制度が存在する理由についても、このサイトに書いてある。要するに、時間が経ちすぎると記憶も曖昧になり証拠も集まりにくくなり、どこかで捜査の打ち切りをしないと捜査員の人員などの労作に大きい浪費が考えられるからだそうだ。
それは、予め想像できた理由であり、捜査についての不都合についても納得するところである。問題は、こんな剛直的な打ち切り以外の方便を何故考えられないのだろう。想像力の欠如だと思う。
僕は、前号と同じような議論で、おかしな結論だと思う。「公訴時効」など決めなくても、ある時間が経てば「積極的捜査は終了」だけにしておけばよいのだ。「事件を捜査した資料を被疑者不詳として検察官に書類送検して事件は完結してしまいます」とあるが、「一応、完結扱いに準じる」にしておけばよいのだ。
たまたま何かの拍子に証拠が出てきたり、容疑者が確保できる場合もあるのだ。
2010年に、殺人事件における25年の「公訴時効」については廃止されたということだが、「もっともっと早くそうすべきだったじゃあないか」と言いたいものだ。日本の法律は一旦条文ができると、剛直化してしまうので問題が多い(しかも、この条文の内容自体が剛直的である)。日本人は一旦できた「条文」を一神教の聖書の文言のように、或いは、日本人的なお上(おかみ)の宣言のように無批判的に心の中まで受け入れてしまう性癖があるように思う。ただ、この「時効」については国民の多くは異議を唱えていたと思うので、この件は法曹界の専門家の無責任性に一番の問題があると僕は思う。
殺人事件以外についても、全部のカテゴリーでとまではいわなくても、検討の余地があるのではないかと思う。


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